ちくま文庫

ホースの水と、気の流れ
『日々の整体 決定版』(片山洋次郎著)巻末エッセイ

整体とは? 気の流れとは? ホースの水のたとえでわかりやすく、歌手の小川美潮さんが伝えます。片山洋次郎さんの『日々の整体 決定版』は毎日朝昼晩に使える整体法の本ですが、その整体の魅力が伝わってきます。

 久しぶりに『日々の整体』の単行本を読み返して、忘れていたことをずいぶんと思い出しました。人は忘れるんだ、という事も忘れていたなぁと思い出し、久々に自分の知ってる整体をいろいろとやってみたところです。寝ながらタオルを使って足を開いてぐぐぐ。ひざを立ててゆらゆら、ぱたん。それから両ひざ開いてしばし。恥骨のふちに触れながら肩とあごをグッと引いてゆっくり戻して、フッ。両ひじを手で包み込み。座って腿に手を置いてしばし、といった具合です。

 身体のまわりがそよそよと涼しくなり、部屋が明るくなったような気がします。

 気がする。気がしない。

 何気なく使っていますが、おもしろい言葉です。

 考える、のは頭ですよね。頭で考えてます。思ってる、のはどこでしょう。やはり頭と、少し気持ちも関係しているような感じですから胸のあたりも一緒かもしれません。いずれにしても、自分が、そう考えたり思ったりしている、そこのところは明確です。感じる、もそうですよね、自分が、感じています。

 ところが、気がする、となってくると、確かに自分ですが同時に自分だけじゃないような、若干他人事のような、そんな感じがするのですがこれは私だけでしょうか。

 なんとなく、そこにも“気”というもののヒントがあるような気がしています。

 初めて片山先生の整体に行ったのが二八年くらい前のことです。いいんだよ、おもしろいから美潮も行こうよ、と友達のミュージシャンが連れていってくれました。整体自体はじめてだったし普通はどうなのかもまるで知らないのですが、あまりぎゅうぎゅう押したりとかないし、てかむしろ触らなかったりするし、なんか普通とちょっと違うなぁって気がしました。それから何年か通かよって、そしてエネルギーというものを意識するようになりました。

 片山先生にうかがったところ、私たちの中に流れているエネルギーは、頭の上の方から入ってくるそうです。そして背骨を通って身体をめぐり、また頭のてっぺんから出て行ってるんだそうです。いつも滞りなく流れていればいいんですけど、詰まったりして流れが悪くなることがしばしばです。イメージですけど、ホースの中を勢いよく水が通ってるとします。その途中に砂か何かが溜まって狭くなっている場所があるとしたら、水は本来の勢いで通ることはできません。その、砂の溜まっている場所を見つけそっと手を添え、砂がサラサラっとくずれて、水がまた勢いを盛り返すように導いてあげてるのが片山先生の整体(の私のイメージ)です。

 やり方も簡単だし、無理な力も出さずにできるし、実に省エネです。最近では本を見ながら自分でできるようになって、さらに便利で、手軽でありがたいです。

 ホース、じゃなくてエネルギーの話に戻りますが、容量に多少の個人差はあるようで、よく、あの人はエネルギーが強いなんてことを言ったりしますが、たくさん流れている人もいれば、そうでない人もいると。
 当時、片山整体道場には音楽をやってる人がたくさん来ていて、その中にもエネルギーの強い人たちがいっぱいいたと思います。私も最初、エネルギー的には強いと言われ一瞬、喜びましたがそれって? やはり何かをするために必要なエネルギー自体、ある意味借りているわけだし、強いとか弱いとかそこに優劣はないんだナと、すぐに気がつく私ってさすがと自画自賛でやっぱり喜びましたが。その時の先生の見立てによると、エネルギーが強くてもそれをどう使っていいかわからないとっちらかった状態で、水圧の強いホースを踏むと踏んづけた先がびゅるるーっとなる、そのホースの先そのもの、との事でした。ひぇ〜狂ったホースの先とはこれまたひどい。でもまぁ若かったし、まわりにはそんなホースの先系がいっぱいいました。
 それからいろいろと工夫して、エネルギーがサーッと通る器になるべく、自由に生きることを自分の係だと思って目指してきました。ある時期は、昼間に寝てても世間に後ろめたい気持ちにならない練習とか、またある時期は歌の生徒に、エネルギーを通す器なんだから歌う時も自分で歌ったらよくない、と訳のわからぬ説法したり(笑)。
 最近になるともう人は本当に自由なんだとわかってきて、すると逆に今度は何をしたらいいのかがわからなくなる事があったりして。でもある時フとこんな言葉が浮かびました。宇宙で起こることは全体責任。つまり一人一人の思いやする事は確実に全体に響いてるって事です。これで一気に指針ができたのでしばらくは大丈夫そうです。

 何だかとりとめもなく書いてきましたが、これが自分以上でも以下でもないと認めて、最後に、片山先生と同じ時代に生まれて会うことができてホントにウレシーです! とお伝えして終わります。ありがとうございました。