ちくま文庫

輝き続ける談志落語
ちくま文庫『談志 最後の根多帳』解説

終生、落語の価値をどのようにして伝えるかを考え続けた著者が、演じたネタの軌跡と意味を明らかにした名著。つくりかえた落語、つくった落げ、有名なネタでもあえて演じなかった理由など談志落語の舞台裏を初公開した。ファン待望の文庫化への広瀬和生さんによる解説。

 

 本書の「まえがき」で、談志はこう書いている。
「談志(わたし)ほど落語に深く興味を持った者は、過去一人も居るまい」
 ここに、彼の本質がある。
 若くして天才と呼ばれ、マスコミの寵児となった立川談志。生前の彼は、知名度こ
そ圧倒的に高かったが、世間的には落語家というより「歯に衣着せぬ毒舌で知られる
大物タレント」としての破天荒な言動ばかり注目されていた。
 一方、落語界においては「師匠小さんと袂を分かち家元と名乗る異端児」という側
面ばかりがクローズアップされ、その言動に対して「傲慢だ」と不快感を露わにする
「アンチ談志」が、業界内にも落語ファンの間にも根強く存在していた。
 だが、談志が亡くなったことで、当人の強烈なキャラクターが覆い隠していた本当
の姿 ―― 「天才落語家」「不世出の評論家」「誰よりも落語を愛する男」という本質が、次第に明らかになってきたように思う。
 亡くなって七年の歳月を経た今なお、衛星放送などで「談志特番」の類いが放送さ
れ、次々に発売されるCD・DVDボックスなどを入手して後追いで談志を語る若き
落語ファンが増えている現実。立川談志に対する世間の関心度は、生前よりも増して
いるとさえ言えるだろう。
 そして重要なのは、その関心が「破天荒なエピソード」よりも「談志の落語」その
ものに向かっているということだ。かつては毀誉褒貶相半ばした談志だが、今となっ
ては彼が「時代を変えた天才落語家」であることに異議を唱える者は(よほど筋金入
りのアンチ談志以外は)いないだろう。
 歴史上の多くの偉人がそうであるように、立川談志という落語家もまた、死後よう
やくその業績を正当に評価されることになったのである。

『談志 最後の根多帳』は、「談志最後の三部作」と銘打った書き下ろしシリーズの第
二弾として二〇一〇年四月に梧桐書院より刊行された。第一弾は二〇〇九年十一月刊
行の『談志 最後の落語論』。『談志 最後の狂気』として予告されていた第三弾は談志
没後の二〇一二年八月に『立川談志自伝 狂気ありて』というタイトルで刊行された。
 この「最後の三部作」は、それまで以上に談志が「自分に正直に」書いたものだっ
た、と僕には思える。
 第一弾の『最後の落語論』は、談志が「落語とは何か」という命題に真正面から対
峙した一冊で、「江戸の風」という新たなフレーズが登場したことで知られている。
「業の肯定」「イリュージョン」に続く第三のキーワードの登場に戸惑った向きも少な
くなかったようだが、あの本で談志は「自分はなぜ落語が好きなのか」を自らに正直
に分析しようと試み、そこで行き当ったのが「江戸の風」だった。談志の言いたいこ
とを要約すると「〝風〟が違う芸は嫌いだ」であり、その言い換えが「落語とは江戸
の風が吹く中で演じる一人芸」という定義だったのだ。
 落語は「業の肯定」である。これはわかりやすい。「イリュージョン」というのは
少しわかりにくいが、簡単に言ってしまえば「非常識の肯定」を一歩進めた「意味の
ないものをこそ面白がる人間という存在の不思議さ」のことだろう。では「江戸の
風」というのは何か? これは「面白ければ何でもいいってもんじゃない」「形式を
満たしているだけでは落語ではない」という談志自身の正直な感覚を「伝統に根差し
た〝風〟がなければ落語じゃない」と言い換え、さらにこれを「江戸の風」というキ
ーワードとして表現したのだと僕は思っている。
 そして、そうした感覚に基づいて談志自身が表現してきた「自分の落語」について、
具体的に書き記したのが、この『最後の根多帳』だ。
 これ以前にも談志は『新釈落語咄』という演目論の著書を出しているし、『立川談
志独り会』『書いた落語』『談志の落語』といった「自分のネタを脚本化した全集」の
項目ごとの解説でも演目論を展開しており、本書における個々の具体的な表現には、
それらと重複する部分もあるけれども、大きく異なるのは、「落語家にとってネタと
は何か」というテーマに正面から対峙していること。それは、『最後の落語論』での
「落語とは何か」というテーマと対(つい)を成しているのだ。
 本書の「まえがき」には、談志の「自分のネタ」に対する考え方が、あまりにもわ
かりやすく要約されている。「よくできた落語はそのままやる」「疑問がある落語は改
作する」「自分でこしらえた噺もある」、そして今では「作品から登場人物が飛び出し
てくることもある」……。
 それを第一章以下の本編で、より具体的に書いている、というわけだ。
 第一章は「落語家にとってネタとは何か」「ネタを覚えるとはどういうことか」と
いう一般論を書いている。一見、取りとめのない書き方をしているようで、内容は濃
い。そもそも、こういうことを正面切って書く落語家は談志だけだろうし、落語家で
はない評論家には到底書くことが出来ない。例を挙げていくとキリがないが、随所に
「目からウロコ」な言葉が出てくる。
 ちなみにこの第一章の冒頭で「ネタ数が少なくても江戸の風を吹かせていればやっ
ていける」という表現があるが、その後で具体的に江戸の風を吹かせている現代の演
者として「九代目文楽、八代目円蔵、五街道雲助」を挙げているのが実に興味深い。
この具体例を読んで、『最後の落語論』で言う「江戸の風」の意味がハッキリわかっ
た気がした。
 第二章では冒頭で自分のネタを「A:先人の形や内容をそのまま残してやっている
もの」「B:形や内容を一部直したもの」「C:小咄や講談から作った落語」に分け、
BとCについて個別に言及している。
 ここでは、それぞれの噺を「どのように変えたか」という具体的な種明かしが興味
深いのはもちろんだが、それ以上に談志が「この落語をどう捉えているか」が浮き彫
りになっているのが面白い。改訂点を列挙した「資料」ではなく、「演目論」になっ
ているのである。
 たとえば『らくだ』では、「円歌からサゲをもらった」という種明かしがあったり
するが、それよりも主として「オリジナルのキャラクターとしての屑屋」について熱
心に書いていて、談志がこの噺を「屑屋の心情」にスポットを当てて演じていたこと
がよくわかる。
 実は、談志はらくだの兄貴分を「丁の目の半次」としているが、落語界の「先人た
ち」は誰もこの名で演(や)っていない。歌舞伎や映画などでは「手斧目(ちょうな
め)半次」となっているから、そこにルーツがあると思うのだが、「なぜ丁の目の半
次にしたのか」に談志は過去一度も触れたことがなく、この『最後の根多帳』でも言
及していない。こうした「語らなかった改訂」はおそらく談志にとって「些末なこと」
(=本質的ではないこと)なのだろう。
 熱心な談志ファンにとって最も興味深いのが、第三章かもしれない。あれだけネタ
数の多かった談志が、意外にあの噺もこの噺も演ってなかったのはなぜなのか。その
「演らない理由」がズラリと列挙されているのである。何かのきっかけでこうした話
題に触れていたこともないわけではないが、こうやって系統立てて網羅したのは、も
ちろん初めてだ。人気演目を「嫌い」とバッサリ切り捨てているのも談志らしいし、
「手が回らなかった」という表現が幾度も出てくるのも、正直でいい。『強情灸』は
「腕が細いので見た目が良くない」から演らない、というのは聞いてみなければわか
らないものだ。
 第四章は、演目のセレクトがすべてを雄弁に物語っている。晩年の談志が「これが
俺の落語だ!」と最終的に選んだ作品が『粗忽長屋』『鉄拐』『居残り佐平次』『芝
浜』『二人旅』である、というのは長年談志を追いかけ続けてきたファンとして、心
から納得である。
 そして『落語チャンチャカチャン』。「これは私の発想で他に類がない」と自ら述べ
ているとおりなのだが、これは『最後の落語論』にも出てきた「落語はフレーズだ」
という理論の具体的な形であり、「これを面白いと思えるかどうかが『落語をわかっ
てる』かどうかなのだ」というメッセージでもある。これぞ究極のイリュージョン落
語、と僕は解釈している。
 巻末の二百十六演目に及ぶ「最後の根多帳」(読める本・聴けるCD・観られるD
VD一覧)も非常に便利で役に立つ。二〇一〇年の刊行時にもリスト自体はあったが、
それ以降の八年間で数多くの談志の音源・映像が新たに商品化されており、実はその
「新たな商品化」こそがお宝の山だったりする。今回の文庫版ではそれらがしっかり
と追加されているのが嬉しい。

 僕は本書を二〇一〇年四月十三日に新宿・紀伊國屋ホールで開かれた出版記念落語
会の会場で購入した。『最後の落語論』購入者の中から抽選で当たった人間だけが参
加できる「立川流落語会」で、トリで出演した談志はイリュージョン編『やかん』を
導入部として『首提灯』を演った。当時すでに体調が著しく悪化していた談志は、前
年八月の「J亭談笑落語会」にゲスト出演したのを最後に長期休養に入っており、こ
の日が、僕が観た八ヵ月ぶりの談志の高座だった。声は掠れて痛々しかったが、落語
の切れ味に衰えはなかった。本書を読み返すと、当時のことを思い出す。
最後に談志のナマの落語を観たのは、その出版記念落語会から十一ヵ月後の二〇一
一年三月六日。談志にとって、それが生前最後の高座だった。

「誰よりも深く落語を愛し、落語と格闘し続けた男」立川談志。嬉しいことに、彼は
多くの著書を、音源を、映像を残してくれた。それらは色褪せることなく、永遠に輝
き続けている。

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