『万葉集』という歌集
前回、新元号「令和」について記したが、その続きから始める。新元号が『万葉集』を出典とすることについて触れた首相談話の中に、「万葉集は、1200年余り前に編纂された日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。」との一節があった。『万葉集』を国民統合の象徴(「国民歌集」)と捉えようとする意図がうかがわれて、私などは「おやおや」と思ったりもした。
もっとも、このような理解は、首相に限ったことではない。古典の教科書を見ると、『万葉集』を「国民歌集」と呼んだ例は、管見のかぎり見出だせないが、天皇から庶民までを作者とする歌集という説明は、多くの教科書に共通している。事実として誤りではないから、目くじらを立てる必要はないともいえるが、このような見方は、実のところ『万葉集』を不適切な理解に導くことになる。なぜなら、『万葉集』は「国民歌集」などではなく、「宮廷歌集」として把握されるべきだからである。歌い手もまた、ことごとく宮廷社会に属する皇族や貴族たちであることを原則とする。
それでは、天皇から庶民までを作者とする歌集という理解はどこから生まれるのか。それは、『万葉集』が東歌や防人歌を含むからである。なるほど、東歌や防人歌は、東国の衆庶の声を直接に伝える意味をもつ。とはいえ、『万葉集』に東歌や防人歌が収められた理由は、宮廷歌集の論理と密接に関係している。そこで、以下、その説明をしたいが、東歌と防人歌とでは、『万葉集』に取り込まれる理由を異にする。それゆえ、別個に述べていくことにしたい。