犯罪心理学者・臨床心理学者として国際的に活躍する原田隆之氏の『痴漢外来』はその副題の通り、「性犯罪と闘う科学」の書である。
海外旅行に行く際、現地の治安情報を気にする人は多いだろう。バルセロナやローマにはスリや置き引きが多い。中国には偽札が多い。事前に情報を得て心構えをする。そんな犯罪ランキングの上位に日本が現れることは、ほぼない。たった一つの例外を除いて。それが痴漢である。
痴漢は、満員電車に恒常的に悩まされる日本の都市部で頻発する卑劣な性犯罪である。海外でもChikanとして知られる。定時運行と整列乗車が守られている日本の清潔な電車内で、主として女子学生をターゲットとした卑劣な犯罪が日々行われていることにショックを受ける外国人は少なくない。被害者はもちろんのこと、痴漢冤罪の不安を抱えつつ満員電車を利用せざるを得ない圧倒的多数の善良な市民にとっても深刻な社会問題だ。
痴漢は再犯率の高い犯罪として知られている。良き家庭人として生活しながら、出勤の度に痴漢行為に及び、何食わぬ顔で仕事をこなし、夜になるとネットで今日の「釣果」を自慢する――そんな者さえいると聞く。彼らにとって痴漢行為は歪んだ「生き甲斐」なのだ。家庭や仕事を失うかもしれない恐怖に怯えながらもやめることができない。被害者の身になって反省することもできない。
なんと悪質で情けない人間なのだろう。そんな人たちはいなくなればいいのに。そう断罪したくなる。だが、嘆いているだけでは仕方がない。真に求められているのは、痴漢のない社会の実現なのだから。
性犯罪者に厳罰を科す、GPSチップを埋め込み行動を監視する、氏名をネットで晒し社会から抹殺する、無人島に「隔離収容所」を設ける……。私たちが思いつくような対策は既に海外で実践されている。しかし、著者によれば、どれも統計的に見て性犯罪を減らす上で効果的だとは言い難い。
誰もが匙を投げたくなるこの状況に、科学の力で立ち向かっているのが著者だ。日本で初めての「性犯罪者再犯防止プログラム」「薬物依存離脱指導プログラム」の開発に携わった後、民間のクリニックで「痴漢外来」を開設。プログラムを実践、改良し、効果を上げてきた。
痴漢には、薬物やアルコール、ゲーム等の依存症との共通点が多い。その最たるものが「やめたいのに、やめられない」ことにある。痴漢常習者の少なくとも一部は、その行為に依存しており専門的治療を必要としている可能性が高い。実際、世界保健機関WHOの『国際疾病分類』にも、「窃触障害」という疾患がリストアップされており、痴漢はそこに分類されるという。それでも痴漢を「治療を必要としている障害」と捉えることに違和感を覚える読者も少なくないだろう。だが、十年にわたる著者らの治療の軌跡を、データと具体例とともに読み進めていくうちに、「痴漢は認知の歪みを伴う依存症だと考えるより他にない」「逮捕と治療をセットにすべきだ」という結論に自然に至るのではないだろうか。
それにしても、誤解されやすく、直接感謝されにくい、著者の仕事の孤独に頭が下がる。痴漢被害者からは「痴漢の味方をしている」と責められることもあるだろう。認知行動療法の成果で痴漢行為への依存から脱却した「元患者」にとって、「痴漢外来」に通った日々は忘れたい過去に違いない。だが、考えてみてほしい。年間百件以上の痴漢行為を繰り返していた者が、痴漢は依存症なのだと認識し、「痴漢外来」に通うことで六年間その行為をやめることができたなら、それは六百回の被害を食い止めたことを意味する。だが、その六百人が誰かはわからない。彼らから著者が感謝されることはないだろう。これほどまでに無私な活動を、私は他に思いつくことができない。
痴漢という犯罪を心底憎みながら、この仕事に粘り強く取り組んで来た氏の胆力と、専門家としての強い責任感に圧倒される一冊だ。
10月刊ちくま新書『痴漢外来』は、性的依存症としての「痴漢」の実像を描き出す書であるとともに、著者が取り組み続けてきた「痴漢をなくす闘い」の軌跡そのものでもあります。
この仕事の真価はどこにあるのか--。PR誌「ちくま」11月号より、新井紀子さんによる書評を掲載します。
この仕事の真価はどこにあるのか--。PR誌「ちくま」11月号より、新井紀子さんによる書評を掲載します。