問いつめられたおじさんの答え

どうして学校に行かなきゃいけないの?

おじさんの答え)社会人になるため(←ばかばかしいけど)

 う~ん、それは永遠の課題だよね。おじさんも子どもの頃から学校嫌いでね。小学校って6年も行くんだ、と知ったときに、生まれて一番最初の絶望を感じたんだね。だって、子どもの頃の6年間って、永遠みたいに長いよ。
 しかもそのあと3年間も中学校に行かされるんだとわかったときに、なんというかこの世界に対しての自分の印象というか、心構えというか、スタンスみたいなものが決まったと思うね。そういうときって誰にもあったはず。ただ憶えてないだけで。
 それを親の愛情とか、将来の夢とか、ほのかな恋とかで感じると、その人はたぶん生きて行くことに、前向きな人間になれるかもしれないけど、おじさんの場合は、学校というものへの絶望感からはじまってるので、今でもネガティブな人格がベースになってるというか、隠してもジクジクと沁み出て来るというか、毎日毎日、世の中とか人の悪口ばっかり言って生きることになるわけだ。

 でも学校には行ってました。行かないと親に怒られるし、兄弟にもいじめられるし、ばあちゃんにもクチきいてもらえなくなるし、家庭内でヘイトされるわけね。だから毎日灰色ですよ。とにかく朝起きるのがイヤだったし、日曜日とか連休とか夏休みばっかり心待ちにしてたね。
 だからさ、月曜の朝とか、夏休み明けとかに自殺したくなる子どもの気持ちは痛いほどよくわかる。テレビから「サザエさん」の音楽が聞こえて来ると、暗くなっちゃうサラリーマンの気持ちとかもよくわかります。

 それで、どうして学校に行かなきゃいけないのかだけど、これに対しては、誰もちゃんと答えてくれないというか、学校に行かされる理由を教えてくれないわけね。「立派な社会人になるためだ」とか「立派な会社に入るためだ」とか、テキトーなことを言われた人はいるかもしれないけど、おじさんには誰もなにも言ってくれなかった。
 こういうことは私にとっては二度目なんですね。一度目は「この世界はなんなのか」「なぜ生まれて来たのか」について、誰も教えてくれなかった。だからいまだにその理由を探してるし、わかってないわけです。なんとなく見当ついては来たけども。
 つまり、この世界はなんなのか、なぜ生まれてきたのか、わからなくてもいいから生きていけ、なぜ学校なんて行かなければいけないのかわかんないけど、とにかく毎日行け、と言われてる。これが子どもが大人を信用しないというか、心を許さない一番の理由じゃないでしょうか。
 おじさんは自分の子どもに「私はなぜこの世界に生まれてきたの?」と聞かれたら、65年間考えて、なんとなくついた見当でもって答えてあげようとは思ってるけど、聞いてこないね、ウチの子は。

 去年、自分の地元の小学校と中学校に呼ばれて、生徒の前で講演とかしたんだね。2回目だけど。おじさんは仕事をめったに断らないヤツなので、そういう講演とかトークショーとかも、罰ゲームだと思って受けてます。
 その講演でなにを話したかと言うと、「学校が大きらいだった」とか、「学校は誰かのマネばっかりさせる」とか、「サボって授業にも出なかった」とか、「学生がイヤでイヤでしょうがなかった」とか、「家出した」とか、「中退した」とか、「ヤクザに土下座させられた」とか、そんな話ばかりしてたわけ。たしかテーマが「志とは」とかだったけど。
 でも、2回も呼ばれたということは、少しはウケてたのかな、そうは思えなかったけどね。だって中学生はともかく、小学生なんて盛大にアクビするし、これ見よがしに寝てるからね。聞いてるように見える生徒がいても、眼が死んでるし。講演時間は1時間20分だったけど、1時間10分あたりで心が折れてしまってギブアップだった。なんというか、学校の先生の気持ちがよくわかったというか、先生にだけはなるもんじゃないというか、どっちにしても3回目はもうないだろうな、と思いました。

 結局、学校に行かなきゃならないかどうかだと、別に行かなくてもいいわけね。世の中もだんだんそういう方向になってきてるし。ただ、高校を中退したときにわかったけど、学校に行かないと誰も遊び相手がいない。いまだとネットとかゲームとかスマホとかあるけど、当時はなにもなかったからね。やることないです。
 しょうがないのでバイトとかするんだけど、まぁ、荷物の配送とか、左官屋のバイトとかなんで、それはそれでつらい。大人に混じって子どもが働いてるんだから、肉体的にも精神的にもつらいに決まってる。だけど、つらければつらいほど、終わったときは「やった」感があったんで、その「やった」感が、なんか新しい生き方っぽかったかな。

 この前、ある新聞の地方版で、宮城県が独立国になったら、という企画があったんですよ。その取材で、おじさんがその宮城国の骨格となる憲法を何条か制定するということになった。エラそうで他愛もない話ではあったけど、学校に行けなくなった子どものために、フリースクールを整備するという条項もつくったわけね。ほかにも自分の家にいられなくなった子どものために、フリーホームのようなものもつくる。なんか夢のような話だけど、フリースクールに行くにしても、フリーホームで暮らすにしても、はっきり言って、そっちのほうがタフじゃないと務まらないと思うよ。
 結局、これはドロップアウトするということなんでね。ドロップアウトというのは、道を外れるというか、ふつうに生きるのをやめるっていうことですよ。みんな学校なんて行かなくてもいいって言うけど、学校行かないと道を外れるのはまちがいない。少なくともいまの日本ではそう。だから、ふつうに生きたいんなら、学校に行ったほうがいいよ。だって学校に行くなんてそんなたいしたことじゃないでしょ。いじめられてるんならともかく。
 う~ん、ウチの娘も中学生の頃に、部活でいじめられてたんだね。そのとき何度か相談されたんだけど、ひとまず先生に話してみて、とかなんとかふつうのこと言ってたわけだ。まぁ、先生はというか、学校はなにもしてくれない。それでおじさんは、いじめてる子の家に行こうと思ったんだね。その子は小学校の頃は遊びにも来てたし、家も知ってるし。
 当然、奥さんと娘には反対された。だけど本気だったんだよね。それで奥さんと娘が相談して、部活をやめることにしたわけ。奥さんに付き添われた娘が、先生のところに退部するって言いに行ったとき、いじめていたその子がたまたまそれを見ていて、思ってたより大事になったんでビビってたそうなんだよ。ま、部活やめたらいじめもなくなったけど。
 だけど、おじさんは悔しくてね。娘をこんな理不尽な目に合わせたヤツに、なにもできなかった自分が悔しかった。生まれてから一番悔しい思いをしたというか、悔しくて眠れない日もあった。なんなんだろうね、これって。一番悔しかったのは娘なのに、いつまでもいつまでもひとりで悔しがってた。子どもみたいに。

 え~と、あ~、いじめの相談じゃなかったな。思い出したら、また悔しくなっちゃって、ムキになって書いちゃったけど、なんか学校ってこんなことばっかりじゃないかね。誰も悪くない形で決着つけちゃう。あとは忘れろ、みたいな。
 そうそう、そういうのはおじさんにもあったんだね。事務所の駐車場に無断駐車してるクルマがあってね。出勤してきたアシスタントがクルマを停められなくてムカついてた。それで不動産屋を呼んだんだけど、誰のクルマなのかわかんないそうなんで、不動産屋経由で警察に電話して、クルマのナンバーから持ち主を割り出して電話を入れてもらったけど、留守電だったらしい。ま、駐車場は私有地なので、警察ができるのはそこまでだそう。公道と違ってレッカー車までは出せないわけね。あとはクルマの持ち主が来るのを待つしかない。
 だけど、いつまでたっても誰も来なくてね。次の日にまた不動産屋が来て、「どうもこのビルにお勤めの方のクルマらしくてー」などと言う。それで「どこに勤めてる人?」とか聞いても、「いやプライバシーにかかわることですのでー」と、また語尾を濁す。「結局、誰も謝りに来ないの?」と聞いても、「いやぁ―」とか言うばかりでね。無断駐車してたクルマってでっかいバンなんで、通勤用のクルマとは思えない。チャイルドシートまであったし。たぶんこのビルの住人でしょ。
 2日ぐらいしてからかな、一旦クルマが消えて、そのあとまた何日かしてから、ちゃっかりウチの駐車場の隣に停めてあったんだよ。結局、駐車するところを間違えたんだと思う。謝れば許してあげるのに、それさえやらない。これも誰も悪くなかったことにして、忘れろっていうヤツだよね。ま、娘の時ほどは頭に来なかったけど。

 つまり、社会で起きることは、学校でも起きる。学校に行くっていうことは、働くっていうことだし、勉強しろということは、おカネ稼げということだろうね。じゃあ、いじめはなんなのかというと、ハラスメントでしょう。どこへ行っても、なにをしても、ハラスメントや差別はあるので今のうちに慣れとけっていうことかな。なんのために慣れなきゃいけないのかというと、そりゃあ社会人になるためだろうね。
 ま、ここまではっきり言うとバカバカしくなるけど、これぐらい言わないと、なんで学校に行かなきゃいけないのか、子どもにはわかんないでしょ。わかったからって、学校に行きたくなるわけじゃないけど。それにしても一番の問題は、誰しもが社会人になりたいと思ってるわけではないということなんだけどね。いまだにこんなこと言ってるおじさんて、やっぱり子どもなのかな。
 地元小学生と中学生の講演のとき、「学校が好きな人は手を挙げて」と聞いてみたら、7割ぐらいの生徒が手を挙げたんで驚きました。ウチの娘も学校は好きだったそうです。