問いつめられたおじさんの答え

第5回 どうして噓をついちゃいけないの?

 噓ね。どうして噓をついちゃいけないのかと言うと、そりゃぁ噓つかれた方が、ヌカ喜びしたり、ヌカ悲しみしたり、ヌカがっかりしたりするからだろうね。そうなったあとに「ありゃぁ噓だった」とか言われたら誰だって腹立つし。
 その程度だったら謝ればいい、と思うだろうけど、人一倍傷つく人はいるからね。それに「謝ればいい」という考え自体が間違ってるかもしれない。それじゃあまるで政治家でしょ、「謝ればいい」って。違法なことがバレても、政治家は「返せばいい」とか、とりあえず謝っとけみたいにヘラヘラしてるし。よく言われることだけどさ、万引きしたり、泥棒したりしても「返せばいい」んだったら、警察はいらないわけだよね。
ゴホンと言ったら龍角散だけど、噓と言ったら政治家なんですよ。ほんとのことを言わない政治家はいても、噓をつかない政治家なんていないでしょ。「でしょ」って、誰に言ってるのかわかんないけど、なんか今回は政治家をディスるディスる、腹立ってるんだよね、最近の政治家のクズっぷりには。
 知らないのは政治家本人だけかもしれないけど、世間じゃ政治家って相当軽蔑されてるはず。そんな職業についておいて、やっぱり軽蔑されるようなことばっかりやってるって、どういうヤツらだよ。選挙違反とか、学歴詐称とか、おカネあげるとか、おカネもらうとか、香典出したとか、ウチワ配ったとか、なんで調べられたらバレるに決まってるような噓ばっかりつくんだよ。子どもかってえの。
 いい政治家だっているとか言うかもしれないけど、知らないです、いい政治家なんて。野党だって、なんにもしないで、ヌクヌク議員やってるだけのくせに正義漢ヅラすんなって。カネ欲しくて国会に就職したみたいなヤツばっかりだろ。
 すごいすごい、ごいごいす~。まるで政治家なんかみんな犯罪者みたいな言い方してる。いいのかな、こんなこと言っちゃって。よ~し、もっと言ってやるわ。
 今回のコロナでわかったのは、日本の政治家が世界で一番役立たずだったことだよ。なんだよ、アベノマスクって。「責任は私にある」とか言って、責任なんかとったことないくせに。ちっちゃいマスクを鼻にして、フガフガフガフガなに言ってんのかわかんねえんだよ。耳が悪いオレにも、ちゃんと聞こえるように言ってみろ。アホんだら~!!

 ねっ、噓つくとここまで言われちゃうわけだ。まぁ、こんなこと言ってると、「おまえは噓つかないのか」とか言われるわけだけど、おじさんは、噓つきそうなときは黙ってます。そうは言っても噓ついたことがない人はいない。漫画家なんて噓つくのが仕事みたいなものなんで、おじさんも、仕事と私生活の境目がわかんなくなって、つかなくてもいい噓をついてしまうし、話を盛ったりはします。
 そういう場合はどうするのかというと、最後まで噓をつきとおす決意というか、口が裂けても訂正しないというか、死ぬまで黙ってるつもりです。それが「漫画家」という「噓業」をやっている人間の「噓のつき方」なのかもしれません。噓をつきとおして責任をとる、というやり方もあるのかな。なんか威張ってるみたいに聞こえるかもしれないけど、政治家よりはマシでしょ。
 今回はなぜ「噓」がテーマになったのかよくわかんないけど、もしかして、ネット上のニュースとか、トランプのツイッターとかの「ファクト」からはじまったネタなのかな?
 だったら、あんまり興味ないです。主観の入らないニュースはありえないし、そのニュースを配信するという段階でもう主観が入ってるのは、ニュースの宿命なんだから。むしろ主観が入ってないと断じるニュースのほうがウソくさいでしょ。
 関係ないけどさ、歴史上の人物とか出来事とかも、ファクトなのかどうかなんて証明できないと思うよ。本能寺の変とかほんとにあったのか、明智光秀とかほんとにいたのか、ましてやイエス・キリストさえ。
 現時点で会った人はいないし、写真だってないんだから、昔の物の本に書いてあっただけじゃないのかね。史実に忠実とか謳う時代物の小説なんて、実在したと言われる登場人物が「わしがこの前申したことはどうなったのじゃ」とか話しはじめたら、もうすでにフィクションでしょ。ほんとに「わしがこの前申したことはどうなったのじゃ」と言ったのか、言った証拠なんてないはずだし、作者が作った会話でしょ。当時の音声が残ってるわけじゃないんだから。
 それを言ったら、なんにも書けない。ビッグバンだって、ブラックホールだって架空のものだろ、という話になるわけだけど、もちろん厳密に言ったら架空です。すべては多数決でそうなってる。おじさんは、ビッグバンとかブラックホールとか好きなんだけど、それを信じてるかというと、信じたほうがおもしろそうだからね。または信じるに足りるおもしろさがあるから。
 だから、本能寺の変も明智光秀も同じです。信じたほうがおもしろそうだから信じてる。ここが重要だと思う。じゃあ、おもしろくなかったら信じないのかというと、おもしろくないなら、どうでもいいんじゃないのかね。だって、本能寺の変とか明智光秀なんて、ほんとはどうでもいいでしょ。
 結論から言うと、我々は真実なんかにたどり着けないというか、永遠にわからないというか、この世に真実なんかないので、おもしろいかどうかを基準にしてるんだと思う。

 おじさんにも明確に「噓ついた」と思った瞬間があります。小学生の頃、家のおカネをくすねてたんだね。ウチは床屋で、店にオヤジが集めた町内会費を入れている引き出しがあった。夜になると、ひとりで店に行って、電気もつけずにその引き出しを開ける。
 その引き出しって、例の床屋用の大きな鏡の下についている引き出しなんだね。だから目の前に、おカネを盗もうとしている自分の顔が大写しになっている。いつもくすねるたびに、そのときの自分の顔を見るハメになるというか、どうしても視線が合ってしまう。鏡に映った自分の顔は、照れ隠しのためか、なんかニヤついてたというか、わざとニヤついてたんだけどね。その顔は今でもすぐ思い出せます。
 それで、ある日、店のほうにオフクロに呼ばれてね。行ってみると、オヤジも憮然とした顔して、長椅子に座っている。その時点で「あっ、バレたな」と思ったんだけど、オフクロに「みっきお、そごの引ぎ出すがらオガネとってねえが」と、いきなり直球で聞かれた。それで咄嗟に言ってしまったんだね。「とってね」と。なんか頭蓋骨内の圧が強烈に増す感じがした。結局、そのあと、もう一回同じ質問されて、「うん」と言ってしまうわけだけど、「オレ、噓ついてる」感に耐えられなかったというか、早く楽になりたかったというか。

 もうひとつ。田舎に帰って就活してたころ、オフクロの知り合いがいるという仙台の内装会社の面接に行ったんだね。そこで聞かれもしないのに「難聴者で身障者手帳も持っている」とか言ってしまったら、結局、落とされた。まぁ、難聴者が原因だったかどうかは知らないけど。
 それでそのあと別の工場の面接に行くことになって、そっちは難聴者も身障者であることも黙って面接したら、採用になったんだね。だけど、その工場にいる間の1年間とそのあとの印刷所にいた5年間は、自分が難聴者であることも、身障者であることも、小さな耳穴補聴器をしていることも、隠して働くことになったわけだ。
 まぁ、隠してるつもりでも、どこかでバレてる感じはありました。当時はバンドもやっていて、耳も隠れるぐらいの長髪だったけど、補聴器が見えてるときはあったろうし、飲み屋で、何も知らない知り合いに、突然「あんだ、耳さなぬ入れでんの」とか聞かれて、あわてて「耳ダレなんで綿詰めてる」とかゴマかしたりもしたし。
 つまり、隠し事しながら生きていくというのは、とても負荷がかかるんですよ、自分の人生に。そのときの負荷が、おじさんの人生を決めたということはあるかもしれない。なんというか、性格がねじ曲がったというか、人と会いたがらないヤツになったというのもあったけど、早く漫画家にならないといかんと思ったんだね。漫画家になれば、誰はばかることもなく、難聴者も身障者も補聴器も、全部オープンにできると思った。もう誰にも雇ってもらわなくてもいいわけだし。
 実際、漫画家になったあたりで、髪も短くなったし、補聴器も隠さなくなった。今はもうカミングアウトして30年という感じなんで、頭ハゲてきたのも隠しません。隠すというか、噓をつくというか、秘め事して生きていくことが、どれだけ自分の人生に負荷かけることなのかわかった。だから、人を殺してどこかに死体を隠したまま素知らぬ顔で生きていくなんてのは、卒倒しそうなぐらいのシチュエーションなので、人だけは殺さないようにしてます。

 すべてオープンにした負荷のない人生がどれだけ楽なことか。どこかで噓ついたり、隠し事したり、また負荷のかかる人生にはもう戻れないです。
ただ、それでいいかどうかというと、また別です。自分以外の他人に対して誠実に生きていくと、どうしても噓をつかざるをえない局面がある。
 最近の私はダメです。楽することばかりで、噓さえつけない、噓も背負えないヤツになっている。自分が正直に生きていくことで、誰かを悲しませたり、傷つけることもあるわけで、この歳になって、そんなことを突きつけられるとは思ってもいなかったですが。