問いつめられたおじさんの答え

第10回 友だちって、必要?

担当的には、出色の回です

 う~ん、まず何をもってして「友だち」というのか、その辺の定義が必要かな。おじさんの場合ははっきりしてます。別れるときに「こいつの家について行きたい」と思うかどうか。そう思うぐらい名残り惜しいヤツというのは、なかなかいない。とは言っても、そういうのって学生の頃までだけどね。社会人になってからは、どれだけ楽しく飲んでも、別れるときはホッとするようになるもんです。つまり、社会人になってからは、友だちってできないんじゃないかね。いや、これはおじさんの独断と偏見だけど。
 向こうは友だちだと思ってたかもしれないけど、こっちは思っていないケースも多い。小学校の頃なんてほとんどそう。まず友だちかどうかわからないし、好きか嫌いかもはっきりしない。いっしょに遊んだり、いっしょに帰ったりしていても、コイツはなんだかかっこわるいとか、ヘラヘラしてるとか、そんなこと思いながらひとまずつき合ってるだけなので、学年が上がってクラス替えになるともう会わないね。
 小学校の頃の友だちで、まだつき合いがあるヤツはいるけど、そいつが友だちかどうかというと、未だによくわからない。向こうはこっちのことを好きなんだと思うけど、こっちも好きかというと、嫌いではない。嫌いではないヤツなので、65年間の人生の中でついたり離れたりしてきたわけだけど、そいつがこの文章を読んだらショック受けるかもしれないね。向こうはずうっと幼馴染みの友だちだと思ってたろうし。

 友だちと言えるヤツというと中学校のときの3人でしょう。この3人とは、社会人になって、そんなに頻繁に会わなくなっても、なんとなく「友だち」という繋がりがあった。
一人はSというヤツで、たしか中学1年と3年のときと部活がいっしょだった。Sは農家の長男で、長男らしく面倒見がいい。とは言っても、落ち着いてるとかではなくて、にぎやかなのが好きなほう。おじさんは中学のときはにぎやかなヤツだったんだね、意外かもしれないけど。Sとは毎日、学校を出るまでいっしょだった。あまり毎日いっしょにいるんで、Sが家に帰るときに「こいつの家について行きたい」と何度か思ったわけだ。一度もついて行かなかったけど。
 もう一人はMと言って、学校の先生になったヤツ。先生になるぐらいだから、勉強はできたんだけど、なんか感情的なんだね。危ういぐらいの正義感があって、納得できないと、相手が先生でも食ってかかっていく。
 中学を出て高校に入ったばかりの頃、バス停の裏にある茶店で、二人でたい焼きなんか食っていたら、この町ではあまり見たことのない3人組がカラんできた。その中のボスのようなヤツにMが何事か言い返したら、その男に店の外に連れて行かれて、私と子分二人が残されてしまった。そいつらに「どごさ行ったのや」と聞くと、「行ったらおめもやられっと」などと言いながら、二人でニヤニヤしている。
 それでも探しに行こうとして店を出ると、道の向こうからMとそいつが肩を組んで歩いてきた。Mはなんだかニヤニヤしていて、店に入るとボスらしき男が「食え、食え」と言いながらたい焼きをくれる。なにが起きたのかわからないまま、そいつらと別れてからMに話を聞くと「店の裏の倉庫さ連れて行かれたげっとも、オレのほうが強がったのさ」とか笑っている。Mはそんなにケンカすることはなかったけど、体はがっしりと大きいほうで、そのときはハンドボールをやっていた。当時流行っていた番長漫画の影響があり過ぎの展開だけど、たしか二人ともそのときは制服姿で、因縁つけてきた3人は私服だったんだね。なんとなく大工とかやっていそうな格好だったけど、中学を出て大工になったヤツから見たら、高校の制服着て、ヘラヘラたい焼きなんか食ってるヤツが、気にくわなかったんじゃないか。帰り道、Mと二人でそんな推理もした。たぶんそのとおりだろうと思うけど。
 Mは正義感に溢れた激情型だったからか、なぜかおじさんのひねくれたものの見方が好きだった。おじさんが東京に行ってからも、自分の進路なんかについて相談して来たし、意見を聞きたがったんだね。18歳同士で、相談されたり意見求められたりって、そんなのなかなかないでしょ。
 3人目はTという男で、農家の三男。そいつは中学からサッカー部で、お互いサッカー好きだったからね。おじさんのあこがれは釜本だったけど、そいつはエウゼビオのポスターを自分の部屋に貼っていた。エウゼビオって知らないでしょ、釜本だって知らないかもしれないけど。ペレでも釜本でもなく、エウゼビオというところが、気取ったヤツなんだね。それであんまり好きじゃなかったんだけど、この文章見たらアイツも怒り出すかな。

 なんか長々と紹介しちゃったけども、友だちというと、この3人が頭に浮かびます。高校からは別々なところに行ってしまったけど、おじさんが東京に住むようになった頃、Mは浪人と大学で千葉に、Tは東京の大学を中退して、埼玉でラーメン屋のバイトをやっていた。田舎にいたSはみんなに会いに何度か東京に来てくれたわけだね。当時のおじさんはおカネがなかったので、少し持ってきてくれた。そのおカネもすぐ遊びに使ってしまって、ご飯も食べさせてやれなかったんだけど、そしたらSは夜中に泣き出してね。腹が減って泣くヤツをはじめて見たけど、Sは農家なんで飢えたことがなかったのかな。
 そのあとは、おじさんが借金抱えて都落ちすると、まずSとのつき合いがはじまった。お酒も飲めないのに、酒好きのSに誘われてよく飲みに行った。二人でお銚子13本空けたことがあってね、それがおじさんの最高飲酒記録。おじさんが飲んだのは13本のうち3本ぐらいだったと思うけど、帰りは二人で路上で仮眠しました。
 そのうちMも、地元の学校の先生として帰ってきたので、また3人で会うようになる。Tも帰ってきたけど、仙台の人と結婚するためで、すぐそこのラーメン屋のオヤジになってしまった。結婚というのが一番友だちを遠ざけるのは、男も女も同じで、そのあとMが結婚し、Sも結婚し、最後におじさんが結婚すると、ますます疎遠になる。
 あるとき、Tの父親が亡くなったので、その葬式でひさしぶりに4人揃った。世間話の中で、ゴルフをやっているという話をすると、Sが「そんでは一回コンペやるべ」と言い出した。おじさんは気が進まなかったので「1回だけな」と言ったら、もう酔っぱらっていたМが一番ハシャイでいたんだね。「酒ばっかり飲んでる」とは聞いていたけど、酔うとほとんど躁状態で、酒乱に近い。
 ゴルフ当日は、私とSとMの3人。Tはラーメン屋で土日は休めないので欠席だった。いや、この日のことは今でもトラウマのように憶えてます。朝、クルマの音がしたので、迎えに来たんだろうと思って外に出てみると、Mがすでに真っ赤な顔をして酔っぱらっていて、家の玄関脇の植え込みに向かって「ほれ、こんな家なんかションベンしてやっから」とか叫びながら、派手に立ちションしている。Sもそれを見ながらゲラゲラ笑っていたけど、私はいきなりムカついたので、うしろからMを蹴とばした。ションベンだらけの生垣に倒れ込んだMは、立ち上がりながら「なにすんのや!」などと怒り出す。なにすんのやじゃねえよ、ばかやろ~。
 そこからはもう3人とも不機嫌だったね。MはすでにSのクルマの中を缶ビールだらけにしていて、Sによると「飲まねど人に会われねのさ」などと言う。ゴルフをはじめると、Mはクラブを振っても満足にボールに当たらない状態で、そのうえ、しょっちゅういなくなる。なにしているのかとSに聞くと、苦笑いしながら「吐いでんだべ」。ハーフが終わるあたりには、Mも酔いが冷めて、ややシラフになったけど、結局、ハーフタイムに飯を食いながらまた飲み出して、元の黙阿弥に。
 そしてMの酒癖はどんどん悪くなり、友だちの噂では、アル中になって入院した、家族に暴力ふるっている、学校を辞めた、などの話ばかり聞くようになったある日、Mが私の仕事場をアポなしで訪ねてきた。ドアを開けると見覚えがあるおっさんが立っていて、よく見るとMで、アル中で入院していたとかで、顔まで変わっていた。なにか話があって来たのかと思い、部屋に入れて「とにかく酒やめないと家族も失うぞ」とか説教すると、「もうやめだんだ」、「医者が言うにはオレは酒に向いてねえんだって」などと呑気なことを言って帰っていく。

 それから何年かして、Tから突然「Sが死んだって」と連絡があった。お通夜に行くため、途中でMもピックアップしてクルマに乗せると、変な帽子をかぶっていて、どうしたんだと聞くと「階段から落ちた」とか言う。帽子をとると大きな絆創膏が貼ってあって、酒を飲んでないMはほとんど話をしなかった。
 Sの実家に着くと、築120年以上とかいう母屋がなくなり、そのあとにまだ一度も住んでないけど、ほとんど完成した新居にSが安置されていた。なんでも、仙台近郊の住宅地に内装の仕事に行った帰りの車中、クモ膜下出血になり、そのままクルマの中で亡くなったとかで、翌朝、警察に発見された。
 葬儀の帰りに、TとMと3人で、Sが亡くなったという辺りに行ってみると、もう少し走れば国道に出るところだった。国道に出ていれば、誰かが助けを呼んでくれたかもと思うと、なんだか無惨で無念でしかなかったね。
 その3年後ぐらいに、今度は「Mが亡くなった」と連絡が来た。Tといっしょに通夜に駆けつけると、別居していた奥さんと子ども二人が棺の横で泣いていて、死因はクモ膜下出血で階段の下で倒れていたという。奇しくもSと同じ死因だったけど、友だちの間では「自殺だ」とか言われていた。葬儀はお寺でやったんだけど、Mの遺骨はしばらく引き取り手がなくて、お寺預りになっていた。
 Mは51歳、Sにいたっては48歳の早逝で、おじさんはすでに65歳になり、Tとはまだ年に何回かゴルフする仲で、そのゴルフコンペの名前が「ぼのぼの会」と言う。SとMとでやったあのゴルフが第1回目なので、数えるともう50回を越えたんだね。

 友だちって必要なのかということだけど、キミはどう思う?