う~ん、まず何をもってして「友だち」というのか、その辺の定義が必要かな。おじさんの場合ははっきりしてます。別れるときに「こいつの家について行きたい」と思うかどうか。そう思うぐらい名残り惜しいヤツというのは、なかなかいない。とは言っても、そういうのって学生の頃までだけどね。社会人になってからは、どれだけ楽しく飲んでも、別れるときはホッとするようになるもんです。つまり、社会人になってからは、友だちってできないんじゃないかね。いや、これはおじさんの独断と偏見だけど。
向こうは友だちだと思ってたかもしれないけど、こっちは思っていないケースも多い。小学校の頃なんてほとんどそう。まず友だちかどうかわからないし、好きか嫌いかもはっきりしない。いっしょに遊んだり、いっしょに帰ったりしていても、コイツはなんだかかっこわるいとか、ヘラヘラしてるとか、そんなこと思いながらひとまずつき合ってるだけなので、学年が上がってクラス替えになるともう会わないね。
小学校の頃の友だちで、まだつき合いがあるヤツはいるけど、そいつが友だちかどうかというと、未だによくわからない。向こうはこっちのことを好きなんだと思うけど、こっちも好きかというと、嫌いではない。嫌いではないヤツなので、65年間の人生の中でついたり離れたりしてきたわけだけど、そいつがこの文章を読んだらショック受けるかもしれないね。向こうはずうっと幼馴染みの友だちだと思ってたろうし。
友だちと言えるヤツというと中学校のときの3人でしょう。この3人とは、社会人になって、そんなに頻繁に会わなくなっても、なんとなく「友だち」という繋がりがあった。
一人はSというヤツで、たしか中学1年と3年のときと部活がいっしょだった。Sは農家の長男で、長男らしく面倒見がいい。とは言っても、落ち着いてるとかではなくて、にぎやかなのが好きなほう。おじさんは中学のときはにぎやかなヤツだったんだね、意外かもしれないけど。Sとは毎日、学校を出るまでいっしょだった。あまり毎日いっしょにいるんで、Sが家に帰るときに「こいつの家について行きたい」と何度か思ったわけだ。一度もついて行かなかったけど。
もう一人はMと言って、学校の先生になったヤツ。先生になるぐらいだから、勉強はできたんだけど、なんか感情的なんだね。危ういぐらいの正義感があって、納得できないと、相手が先生でも食ってかかっていく。
中学を出て高校に入ったばかりの頃、バス停の裏にある茶店で、二人でたい焼きなんか食っていたら、この町ではあまり見たことのない3人組がカラんできた。その中のボスのようなヤツにMが何事か言い返したら、その男に店の外に連れて行かれて、私と子分二人が残されてしまった。そいつらに「どごさ行ったのや」と聞くと、「行ったらおめもやられっと」などと言いながら、二人でニヤニヤしている。
それでも探しに行こうとして店を出ると、道の向こうからMとそいつが肩を組んで歩いてきた。Mはなんだかニヤニヤしていて、店に入るとボスらしき男が「食え、食え」と言いながらたい焼きをくれる。なにが起きたのかわからないまま、そいつらと別れてからMに話を聞くと「店の裏の倉庫さ連れて行かれたげっとも、オレのほうが強がったのさ」とか笑っている。Mはそんなにケンカすることはなかったけど、体はがっしりと大きいほうで、そのときはハンドボールをやっていた。当時流行っていた番長漫画の影響があり過ぎの展開だけど、たしか二人ともそのときは制服姿で、因縁つけてきた3人は私服だったんだね。なんとなく大工とかやっていそうな格好だったけど、中学を出て大工になったヤツから見たら、高校の制服着て、ヘラヘラたい焼きなんか食ってるヤツが、気にくわなかったんじゃないか。帰り道、Mと二人でそんな推理もした。たぶんそのとおりだろうと思うけど。
Mは正義感に溢れた激情型だったからか、なぜかおじさんのひねくれたものの見方が好きだった。おじさんが東京に行ってからも、自分の進路なんかについて相談して来たし、意見を聞きたがったんだね。18歳同士で、相談されたり意見求められたりって、そんなのなかなかないでしょ。
3人目はTという男で、農家の三男。そいつは中学からサッカー部で、お互いサッカー好きだったからね。おじさんのあこがれは釜本だったけど、そいつはエウゼビオのポスターを自分の部屋に貼っていた。エウゼビオって知らないでしょ、釜本だって知らないかもしれないけど。ペレでも釜本でもなく、エウゼビオというところが、気取ったヤツなんだね。それであんまり好きじゃなかったんだけど、この文章見たらアイツも怒り出すかな。
それから何年かして、Tから突然「Sが死んだって」と連絡があった。お通夜に行くため、途中でMもピックアップしてクルマに乗せると、変な帽子をかぶっていて、どうしたんだと聞くと「階段から落ちた」とか言う。帽子をとると大きな絆創膏が貼ってあって、酒を飲んでないMはほとんど話をしなかった。
Sの実家に着くと、築120年以上とかいう母屋がなくなり、そのあとにまだ一度も住んでないけど、ほとんど完成した新居にSが安置されていた。なんでも、仙台近郊の住宅地に内装の仕事に行った帰りの車中、クモ膜下出血になり、そのままクルマの中で亡くなったとかで、翌朝、警察に発見された。
葬儀の帰りに、TとMと3人で、Sが亡くなったという辺りに行ってみると、もう少し走れば国道に出るところだった。国道に出ていれば、誰かが助けを呼んでくれたかもと思うと、なんだか無惨で無念でしかなかったね。
その3年後ぐらいに、今度は「Mが亡くなった」と連絡が来た。Tといっしょに通夜に駆けつけると、別居していた奥さんと子ども二人が棺の横で泣いていて、死因はクモ膜下出血で階段の下で倒れていたという。奇しくもSと同じ死因だったけど、友だちの間では「自殺だ」とか言われていた。葬儀はお寺でやったんだけど、Mの遺骨はしばらく引き取り手がなくて、お寺預りになっていた。
Mは51歳、Sにいたっては48歳の早逝で、おじさんはすでに65歳になり、Tとはまだ年に何回かゴルフする仲で、そのゴルフコンペの名前が「ぼのぼの会」と言う。SとMとでやったあのゴルフが第1回目なので、数えるともう50回を越えたんだね。
友だちって必要なのかということだけど、キミはどう思う?