たしかに暑いよね。おじさんが住んでるのは仙台なんで、ニュースとかで「酷暑」とか、「40℃」とか言われてもあまりピンと来なかったんだけど、昨日なんかこっちも9月なのに34℃あったからね。やっぱり年々、気温が上昇してるのかな。
それでも「昔のほうが暑かった」とか言う人はいるよね。それがほんとかどうかはともかく、今の暑さって、昔の蒸し暑い感じとちがって、照り返しの暑さだと思うんだよ。道路とか、ビルとか、ガラスとか、クルマとか。それで焼けるような、暑さというより熱さを感じる。
なぜ暑くなったかというと、よく言われるように、大気中に二酸化炭素や水蒸気やメタンなんかのガスが溜まって、温室効果が生まれるからだよね。温室効果っていうのは要するに地表で生まれた熱が、宇宙空間へ逃げて行かなくて、こもってしまう。ほんとかどうかはわからないけど、科学者はそう言ってる。もし、二酸化炭素とか水蒸気とかのガスがなかったら、地球ってほんとはマイナス19℃ぐらいらしいね。ま、この辺まではググればわかること。
また関係ないこと言うけど、おじさんはあんまりググったりしないんでね。なんでかと言うと、ググればすぐわかるから、ググる気にもならないというのが第一。それと誰も賛成してくれないけど、ググるってなんか卑怯でしょ。特に人物についてググったり、これから会う人を、前もってググってみるとか、みんな後ろめたくないのかね。
あと、エゴサーチだっけ、自分のことをググってみるヤツ。他人をググるよりも恥ずかしい。おじさんも自分をググってみたことはあるけど、アダルトサイトを覗いてるのと同じ感じだったね。
あと、はじめての場所に行くとき、ストリートビューで現場を確認してから行くでしょ。アレはちょっと楽しいです。
ま、それはともかく、どうしてこんなに暑くなったのかだけど、なにをどう言っても、人間が増えすぎたんだと思うよ。だって人が暮らすところには、必ず熱が発生する。寒いとあったかくするし、料理するにしても火を使うし、暑くても寒くても風呂には入るし、冷やす場合だって、熱が発生するわけだし。さっき言ったように、なにもしないと地球ってマイナス19℃だからね。
ハワイに行ったときに感じたのは、人間には経済格差だけじゃなくて、環境格差もあるということ。ハワイみたいないい天気の下で、一年中Tシャツと短パンとサンダルだけで生きていける人たちがいて、片や日本の東北地方のように雪と寒さに耐えかねて、セーター着てコート着て、暖房がないと生きていけない人がいたりする。おじさんはね、そのとき、世界中がハワイみたいになればいいのにと思ったんだね。小学生みたいだけど。
だから、むしろどこまで暑くなるのかに興味がある。ハワイみたいにならないかな、と思うし。だって、寒いよりは暑いほうがいい。歳をとってからは特にそうだね、夏より冬のほうがつらい。熱中症はイヤだけど、風邪やインフルエンザのほうがよっぽどこわいでしょ。今はコロナもあるし。
まぁ、現実には夏はさらに暑くなり、冬はさらに寒くなるというパターンかもしれないんで、いつまでたってもハワイのようにはならないだろうね。
問題は、この温室効果がいつまでつづくのか、果たして気温上昇は止まるのか、または適正な温度まで下がるのかだよね。毎年ジリジリと気温が上昇して、ハワイどころか、インドやアメリカのデスバレーみたいに、気温50℃とかになったらどうするのか。そうなったらもうめったに外に出られないし、コロナ以降とか、ウィズ・コロナとかの比ではない生活の激変がある。SFのネタって、隕石落下とか、核戦争があったあとの氷河期の設定が多いけど、これからは気温60℃とかの高温化社会が舞台じゃないかね。
科学者やグレタ・トゥンベリ嬢が言うように、二酸化炭素とかフロンガスの排出を削減すれば、ほんとに温室効果は減るのか、それはわからないけど、減るにしても何年もかかるだろうし、そこまで人類が根気よく我慢できるのか。数カ月のロックダウンとか、外出自粛でさえヘタレた我々にそんなことができるんだろうか。
いっそコロナを期に、世界中の経済活動がダウンして、みんな貧乏になってしまうとか、先進国の少子高齢化を止められなくて、ジリジリと人口減少に転ずるしかないんじゃないか。だけど、よく考えてみると、世界はそっちに向かいはじめてるでしょ。おじさんはね、世界は革命とかで変わったりしないと思うんだね。革命じゃなくて、ジリジリとそっち側の人が増えて、いつのまにかもう戻れなくなる、そういうパターンでしか世界は変わらないんじゃないか。それでも何年もかかるんだけどね。
「じゃあ、ユーはどうしたいのっ」とか、グレタ・トゥンベリ嬢に怒鳴られそうだけど、この前は娘にも怒られたんだね。例のレジ袋の廃止とか有料化がはじまったときに、テレビのニュース見ながら「物を買ったのに袋もくれないって」とかブツクサ言ったら、「そんなことで文句言うからダメなんだよ」みたいなことを、こっちも見ないで言われました。結局、私は守旧派なのか、ただのオヤジなのか、いったいどうしたいのか。
何年前かな、ググってみたら2016年だね。写真家の畠山直哉さんの写真展が仙台のメディアテークというところであって、その写真展のトークショーのゲストに呼ばれたことがあった。畠山さんは岩手県の陸前高田市出身で、震災でお母様を亡くされ、そのあとも陸前高田を撮りつづけているという世界的に有名なカメラマンです。私は畠山さんの写真集は採石場の発破を撮った『BLAST』しか持っていなくて、しかも、あくまで資料として買っていたという、写真好きを公言しているくせに、その程度のヤツなんで申し訳なかったけど、畠山さんは昔から私の漫画を読んでくれているということで、トークショーに呼んでくれたわけね。
しかし、そのあと写真集を買ったり、文章を読むようになってから、畠山さんはとんでもない「巨人」だというのがわかった。タイヤの直径が4メートルとかあるような巨大トラック、あれが畠山さんで、おじさんなんかはハイゼットとかの軽トラかな。言っとくけど、おじさんは悪口ならいくらでも言うけど、お世辞はまず言わないヤツなんで。
そのトークショーは、お互いのことや作品の話をしたりするうちに、話題が震災の話になってね。ま、トークが噛み合っていたかというと、畠山さんとはその日がたしか2度目の対面ということもあったし、相手が難聴の漫画家なんで、お世辞にもうまく行っていたとは言えない。それでおじさんは、このままじゃしょうがないと思ったのかどうか知らないけど、震災の話の途中で「だけど震災が起きたときに「しめた」と思った表現者はいたのではないか」と、言ってしまった。みんなシーンとしているので、次に「いや、私はどこかで「しめた」と思ったかもしれない」とか言ったんだね。バカだけど。
そのとき会場にいた知り合いの写真家の人が「そんなことない」と大きな声で抗議してきたけど、実は、その人も震災の津波で、自分の家や知り合いを亡くした人だったので、そういう無神経な発言には我慢できなかったんだろうね。畠山さんも、そのときはどう反応したらいいのか、とても困った顔をしていた。
「しめた」というのは、漫画家や写真家やアートをやっている人にとって「表現すべきものが目の前に現れた」という意味なんだけど、もちろん、そんなことみんなが思うわけではない。なんというか、これは血も涙もない発言です。ただ、表現者というのはどこかでそういう部分を抱えているのではないか、ということを言いたかった。
それを芸術家の選民意識ととられるか、業病のようなものと捉えるかで相当ちがう。関係ないようだけど、この問題は、ひきこもりというものをどう考えるかに繋がっているかもしれないね。
結局、おじさんは震災を漫画に描いたし、その作品に出てくる少年が、震災翌日に避難していた学校を抜け出し、母親を探しに行こうして、すべて流されてしまった自分の故郷をはじめて目の前にしたときに、開口一番「すんげえ」と言わせた。
そしたら担当の編集者さんからクレームが来て、震災の被害をはじめて見た少年の反応として軽すぎるんじゃないか、と言われた。それもわからないではないけど、あらゆるものが津波に流されてしまったあの風景を見たら、少年はまず「すごい」と感じたはず。口には出さないかもしれないけど、生きているうちにそんな光景を自分が見るとは思ってもいなかったろうしね。そして、それはあの震災の映像を見たみんなの感想だったのではないか。それを畠山さんは、後になってからとても的確に言っている。「スペクタクル」だと。震災は目を奪われるほどのスペクタクルな出来事でもあった。
おじさんは核実験とか核爆弾の写真集を見つけると、必ず買ってしまうんだね。なぜそんなものを買うかというと、これほど恐ろしくスペクタクルな情景はないから。核分裂の写真なんか、悪魔的な美しさと言ってもいい。それは人類の歴史の中で生まれた極北だと思うんだね。見えなかった極北が見えるようになればやはり見てみたい。いや、見なければいけないんじゃないか。
それがなぜ今回のテーマの「どうしてこんなに暑いの?」と、関係があるのかと思うかもしれないけど、う~ん、なんだろうね。おじさんはね、この歳になってようやくわかったんだね。オレってどこにも行かず、なにもせず、ただ見ているだけのヤツなんだって。だから、これからだんだんと人の住めないような地球になったとしても、そこに住んでそれを見たいとは思ってます。