問いつめられたおじさんの答え

第11回 勉強って、役に立つの?

今回はド定番の質問に、いがらしさんが答えます。

 それはみんな思うことだね。特に小学生の頃なんて。おじさんもそう思ってたけど、誰にも聞いたりはしなかったし、親にも先生にも言わなかった。なんとなく、そういう質問というか、疑問というのは、「難しい」部類の話だと思ってたしね。この場合の「難しい」というのは、人生論とか哲学とかの部類の「難しい」だけど、まぁ、そういう難しさを理解していた頃というと、もう中学生になってるよね。
 小学生の頃だと「なんで毎日毎日学校に来なければいけないの」というレベルであって、単なる不平不満でしかない。親とか先生に聞いても、だいたい答えは予想できるでしょ。「立派な社会人になるためだ」とか、「いい大学に入るためだ」とか、「いい会社に入るためだ」とか。
 もしかしたら「お金持ちになるためだ」とか言う人もいたかもしれないけど、結局、実利主義です。実利主義で言うと、子どもは「立派な社会人」になったことも、「いい大学」に入ったことも、「いい会社」に入ったこともないので、なにがいいのかわからない。ましてや「お金持ち」というと、なんの実感もないからね、テレビで観たりする以外は。
 昔のテレビに出てくる「お金持ち」というと、だいたい悪い役だった。「お金持ちの子ども」なんてほとんどが悪役か敵役、よくて主人公のライバルでしょ。なんか日本人の「お金持ち」に対してのイメージって、その辺で培われてしまったんだろうね。
 ウチもお金持ちじゃなかったというか、貧乏でした。とは言っても、その頃はみんなふつうに貧乏だったしね。比較的お金持ちはいたけど、それは、家が新築2階建てとか、自分の部屋があるとか、クルマというか自家用車があるとか、その程度のお金持ち。
 あとは弁当だね。比較的お金持ちの子どもって、色とりどりの弁当を持ってくるけど、ウチはほとんどが豚肉を炒めたものとか、焼いたものとかがメインで、なんかいつも弁当は茶色っぽかったね。誰かに「おまえの弁当はいつも肉だな」とか言われたことあったけど、それは誉め言葉だと思ってたフシがある。魚より肉の方が豪華だと思ってたし、第一、魚嫌いで、刺身以外はほとんど食わない偏食のガキだった。

 おじさんのすぐ上の兄貴は、よく勉強してたんだね。誰に言われなくても勉強机に向かう子どもだった。おじさんは全然向かわなかったけどね。本人に聞いたわけじゃないけど、兄貴は、たぶん「大学に入らないと一生貧乏だ」と思ってたんじゃないかな。高校も進学校に入ったんだけど、大学は、結局おカネがなくて、短大の2部だったね。
 新聞社のメッセンジャーボーイみたいなバイトをやりながら通ってたみたいで、これも推測だけど、たぶん新聞社に入りたかったんじゃないか。なにしろ、高校のときに学生デモとかやってたし、共産主義とか科学的社会主義について、ふとんの中で講義というか、説教されたことがあった。なんか政治に目覚めていたところがあったんだね。
 その頃、一度兄貴のところに泊まりに行ったことがあって、行ってみたら女の人を紹介された。同じ大学に通う人だそうで、晩ご飯作ってくれたりしたけど、おじさんと同じ年だったね。夜になったら、大学に連れて行かれて、校舎にはポツポツとしか電気がついてないんだけど、明るい教室を見つけると「お~い」とか声をかけたりしている。やっぱり弟に「大学だぞ」と自慢したかったんだろうね。なんかいじらしいです。
 大学を卒業してからどうしたかというと、やはり新聞社は無理なんで、生協に入って、そのまま40年ぐらい勤めあげた。遊びに行ったときに紹介された女性とそのまま結婚して、一男一女をもうけて、家も建てて、孫も二人生まれて、もう定年退職して5年ぐらいになるけど、夫婦で仲良くスイミングクラブに通っている。今は幸せかどうかなんて聞いたこともないけど「勉強って役に立った?」とか聞いてみたら、どうだろう。「もっと勉強しておくんだった」とか返ってくるんじゃないかな。

 勉強って自分のためにやるものだと、言われたりするけど、自分のためだとか思えないからね、ふつうは。おじさんも思えなかったです。なにしろ小学生の頃には、漫画家になるともう決めてたしね。勉強とか学校とか邪魔でしかなかった。
 だから大学というものの価値もわかんなかったし、いい会社に入ろうとも思わなかったし、お金持ちになりたいとは、ちょっと考えたこともあったけど、なにか具体的なプランがあったわけではない。とにかく、小学校、中学校の義務教育が早く終わればいいという感じだったね。だから、高校に進学しても、さっさと中退してしまうし、さっさと仙台の職業訓練校に入って、さっさと東京に就職した。
 それで東京で、さっさと漫画を描いてデビューしてしまうかと思ったら、そうは行かないわけだね。なぜそうは行かなかったのかというと、描けなかったというよりも、描こうと思わなかった。なにしろ、東京はなんでもあるから楽しくてね。3年ぐらいフラフラしてました。
 そんなフラフラしてるときに東京で知り合った友人がいて、一時期、彼の家に居候させてもらうんだけど、実家は電器屋だった。彼は長男なんで、父親から電器屋のあとを継げとか言われてたけど、それへの反抗で早稲田に入ったらしいんだね。だけど、反抗するためだけに大学受験して早稲田に入ったので、入ってしまうと大学に通う意味を見失ったのか、入学式に行ったきりで、あとは授業に出ることもなく、退学したのか除籍になったのかしらないけど、バイトしながらバンドマンやりはじめた。
 その頃におじさんと知り合ったんだけど、なんか大学を辞めたことを、後悔してるふうはなかった。もし後悔するようなヤツだったら、おじさんに居候なんかさせないだろうし、バンドマンなんかやらなかったろうし、帰って来るのは毎晩午前様で、そのあと二人で音楽の話とか漫画の話とかをしながら、いつのまにか寝てしまう毎日だった。
 そのあと東京と田舎に別れて、何年も会わないままでいたんだけど、彼の結婚式に招待されて、ひさしぶりに会った。そしたら、おとうさんの店のあとを継いで電器屋になったとか。たしかおとうさんはそのときは亡くなっていたので、それで店を継いだのかな。詳しい理由は聞かなかったけどね。なにしろ結婚式で、お嫁さんは若くて美人で、幸せいっぱいそうに見えたし、そんな話をする時間もなかった。
 そのあとまた何年も会ってないけど、今年メールが来て、お互いコロナを生き延びたら飲もうという約束はしています。もう65歳と66歳だけど、そのときに聞いてみてもいいね。「勉強って役に立った?」って。彼はなんて答えるか想像できる。たぶん、答えるふうでもなく「え? う~ん、うふふふ」とか笑うだけだろう。そういうヤツなので。

 フラフラばかりしていたおじさんはどうしたかというと、そのうち借金を抱えて、当然のように都落ちして田舎に帰った。とりあえず就職しなければいけないので、母親のツテで仙台の広告看板会社に面接に行くも、即決で不採用になる。これは中卒だからとか、学歴とかの問題じゃなくて、単にこんなヤツいらないと思われた感じだったね。
 そのあと町はずれの誘致工場に勤めるんだけど、そこはもう地元のおっさんおばさんの世界で、田舎のリアリズムにどっぷりハマりました。3交代制で、深夜勤務もあるし、雪の降る中を自転車漕いで通うわけだけど、夜中の0時前後の街灯しかついていない田舎の町を往復する毎日は、なんつうか、これがオレの望んだ未来なのか、という感じではあった。
 そのあとは、そこも1年ぐらいで辞めて、町の印刷会社に勤める。絵を描くのが好きだというわけで、チラシとかポスターとか作ったりしたわけだね。一応、デザインしたり、絵を描いたりもするわけだけど、基本は写植打ちです。まぁ、さすがに工場勤めよりはマシだったかな。
 そこには毎日遅刻しながらも5年ぐらいいた。なぜ5年もいられたかというと、草野球やったり、麻雀したり、バンドをやったりしてたからだね。それでいい加減バンドにも飽きてくると、ようやく漫画を描きはじめたわけだ。
 仕事しながらだから、あまり時間もないので手っ取り早く4コマ漫画を描いて、出版社に持ち込んだら、それがデビュー作になった。あとはね、そのまま41年間漫画家をやってます。

 では、そういう自分に聞いてみようか。「勉強って役に立った?」
 勉強って役に立つとか立たないとか、そういうものではないね。みんな無理やりやらされるだけで。ただ、字の読み書きを覚える、簡単な計算ができるようになる、世の中いろんなヤツがいるんだなぁ、と知ることについては、役に立ったかな。
 だけど、子どもの頃から満足に学校にも行かず、漁師の親の手伝いで船にばかり乗っていて、17歳ぐらいになると東京に出て、バイトしながらひとり暮らしをはじめて、そのうちアラスカに興味が湧くと、おカネ貯めてアラスカのエスキモーの町に行って、地元の女の子と結婚し、そこでも漁業をやりながら子どもを5人ぐらい作って、アザラシ漁とか、北極探検とか、自分の船で世界一周したりとかして、最後は漁に出た船から落ちて、遺体もあがらない死に方をする。そういう人生の方がよかったろうな、とは思います。
 「よかったろう」というのと、「やりたかった」というのは別だけどね。そんな人生を歩める人には、勉強なんて無駄だと思うし、そんな人生を歩めない人には、ひとまず勉強したら、ということじゃないかね。まぁ、人生のオプションを確保しておくというか、人生のプランBも用意しておけということだろうね。
 だけど、ほんとうの「勉強」というのは、学校を卒業してからはじまるんじゃないか。少なくともおじさんにとっては、自分のおカネで買った本は、役に立ったと思うよ。どんな役に立ったかというと、それこそ自分でもわからないぐらい役に立っている。それがなかったら漫画も描けなかったし、漫画家にもなれていなかったろうね。
 そして「勉強」というのは、本だけではない。音楽だってそうだし、映画もそう、テレビもそうだし、恋愛だって勉強なんじゃないか。だけど、一番勉強になったのは、漫画を描いたことです。漫画を描くという行為が一番勉強になった。まぁ、それは仕事ということかもしれないけど、仕事は一番勉強になるわけだね。だから今も勉強中です。