加納土、すごくいい名前だ。土くんと知り合ってすぐの頃。コンビニで缶ビールとストロングゼロを買って、いつものようにその辺で乾杯する。名前の由来を聞くと、うれしそうに話してくれた(本書でも書かれているが、最高だ)。
「とても素敵な名前だけど、茶化されたことあった?」土くんは目を細めて遠くを見ながら、「あったね~、ちつとか」。「それ言われたらなんて返すの」と聞くと、「誰がヴァギナじゃい! って」と土くんは小気味よく言った。わたしはこみあげる笑いを抑えられず、ケラケラ笑いながら、この人は信用できそうだな、もっとよく知りたいなと思った。
一九九五年は、阪神・淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた年だ。「今につながる嫌な時代の始まり」と土くんは書いている。この年、東京・東中野では、非婚のシングルマザーだった加納穂子さんが、「あなたも、一緒に子育てしませんか?」とチラシを撒き、集まったひとたちと息子の共同保育「沈没家族」を始める。彼女が、「土」と名付けた母親だ。土くんは、たくさんの見知らぬ大人たちに育てられたのだ。
穂子さんは、「ただそこに居るだけでもいいし、それぞれの関わり方でやれることをやってくれたら」というゆるさで保育人たちを迎え入れ、わからないことはその時々で話し合った。実際、酒ばっかり飲んでただ寝てる保育人もいたらしい。これならわたしでも参加できそうだ。
わたしはどちらかといえば子どもが苦手だ。「母」とか「父」とか「おばあちゃん」とかいう家族間の役割に、「子」もある気がしてどうも落ち着かない。というのも、わたし自身が、「子」の役割を演じることをまっとうしようとする子どもだったからだ。
沈没家族では、だれに役割が与えられるでもなく、対等であることが重視されていた。「土だって体調悪くてつらいときもある。それと同じで、こちら側も、体調悪くてつらいときもある」当時の保育ノートに書かれていたこの一文が大好きだ。そういえば土くんは「お母さん」ではなく、下の名前で「穂子さん」と呼ぶ。二人は、対等なのだ。大人と子ども、女と男ではなく、あなたとわたしの関係。
十代のときは生きてる感がなかったと穂子さんは言う。穂子さんは、生きづらい世の中を予定調和的にやり過ごしたくないひとなのではないか。
わたしだって嫌だ。土くんは、穂子さんのことを「「生きている感じ」に対してずっと真面目だ」と書いた。親と子、家の中で完結した生活では、生きられないと思ったのだ。これにはわたしも身に覚えがある。
父が単身赴任だったため、わたしは母と子二人きりの閉ざされた関係で育った。母と一緒に死ぬと思ったこともあった。
これは何も、センセーショナルな告白というわけではない。母は、わたしと二人きりで家に押し込められ、生きていない感じがあったのだろう。そのどうしようもなさをどうにかしようと、すべてをわたしに賭けていた。今なら、母から経済的自立を奪い、母親という役割を押しつけた社会の構造を呪うことができるが、当時はお互いに行き場がなく苦しかった。
この本を読み終えたあと、すぐにでも母に会いに行って話をしたくてたまらなくなった。もちろん、父とも。親と子ではなく、あなたとわたしで。土くんが映画『沈没家族』をつくることで保育人たちと出会いなおしていったように、この本を通して、あなたと出会いなおしたいと思う。聞きたいことがたくさんある。
ずっと二人にとっての子どもでいるために、わたし自身の成長の変化を感じさせないようにしていたけれど、同時に二人のことも知ろうとしなくなっていった気がします。なんかそれってもったいないって、薄々気づいてました。すぐにでも、とは言ったもののやっぱりちょっと怖いから、これ読んだら連絡をください。
著者とも親交のある映画監督・山中瑶子さんに、書評を寄せていただきました。後半、思わぬ方向に展開していきます。