▼感染症を歴史的に俯瞰すると「国のかたち」が見える
山岡 本の話に戻りますが、『ドキュメント感染症利権』でやりたかったのは、今回のコロナに限らず感染症という大きな社会不安が起きたときに、この国はどう動くのかということが知りたくて、歴史的に遡ってその構造の見取り図みたいなものを提示することでした。
この本を出した後、今追っているのは、コロナの現場です。たとえばクラスター感染が起きた医療現場の永寿総合病院、8月に感染者が特に多かった沖縄の医療現場や行政当事者とかを取材しています。そういう現場の人たちに話を聞こうと思って、中央省庁だとか、都道府県にも入っていくわけですが、「取材者です」と真正面から聞きに行っても、なかなか手ごたえが得られないこともある。すでに公表されている情報や、広報的な意味合いでしか応じてくれない。
海堂 わかります。裃付けて出向くと、向こうにも通り一遍の裃付けた対応をされて終わりですね。現場の有力な人をつかまえて、そこから入り込むしかないですね。
山岡 そういう風に現場の取材をいろいろ進めているところです。やってみて感じたのは、たとえば厚労省の中にもいろんな考えの人がいるんだなっていうことです。厚労省を、敵役にして分かりやすい一つのアイコン(イメージ)を立てて書こうとしても、そう簡単に決めつけられない部分もある。
PCR検査の例でいうと、厚労省の中にも主流派は検査数が少なくていいと言ってるけど、自分は増やしたほうがいいと思っている異端派だ、と言う人もいたりする。忖度系の人たちと、そうでない異端派で、現場で奔走している人たちもいるわけです。だから、ダメダメだと思っていた現場にも、若干の自浄作用がひょっとしたらあるのかもしれないな、と。
海堂 僕はAi(Autopsy imaging=死亡時画像病理診断)の運動をやっていた時に、要するに死体を画像診断して調べれば死因を究明できる事例が増えるから制度的に導入できないか、と働きかけていたわけですが、厚労省の医療事故調査制度とバッティングしまして、それで結構バトルになったんです。
そのときに得た結論は、確かに現場では理解ある人もいて、非常に多様性がある。ところが、厚労省は上にいけばいくほどバカになる。で、決定権は上にあるから、結局この組織はダメダメだという……。
山岡 なるほどね。私も、例えばクルーズ船の現場へ飛び込んでいった人、患者の搬送の調整に当たった人だとか、必死でやった役人たちを取材しました。一方で、その上司がどうしようもないな、という印象でしたね。
海堂 官僚制度というのはそういう人が偉くなるシステムで、今後も変わりようがないと思うんです。でも一番の問題は、前例主義です。つまり前例をひっくり返すことは許さないってのが彼らの金科玉条なんです。間違えたことを変えられない、これがだめなんですよ。
山岡 無謬(むびゅう)性ですね。
海堂 無謬のわけがないのです。今回のコロナへの対応だって、最初に間違えるのはしょうがないと思います。
▼すべてが戦前体制を引きずっている
山岡 同感です。PCRの検査体制にしても、全面的に調べないことには感染者の全体像が把握できないので数を増やします、と失敗を認めて、方針転換すればいい。そのために行政機関の縦割りに従って国立感染症研究所傘下の地方衛生研究所で分析を行うだけじゃなくて、水平に展開して、全国の大学とかでも検体を受け入れられるようにして、もう色んな所でやります、というふうに臨機応変に対応していけば、むしろわかりやすかったんじゃないか。
海堂 僕も、それをやればすぐに解決するのに、と考えていました。なぜかというと、90年代に博士号を取ったときの研究テーマはPCRでして。スキルとしては大学院生に1日レクチャーすればできるようになるものですし、大学の研究室には機器も揃っています。僕が研究室にいた30年前の当時でも、病理の研究室に2台、全体の共通研究室には10台ぐらいあったんです。今は台数としてはもっと普及しているでしょう。だからそれを活用してやれば、検査数は絶対増やせませんということはあり得ないと思いました。
山岡 ですよね。
海堂 その元凶に、この本で書かれていたように、文科省と厚労省の確執があって、お互いの見栄で事態が打開できなかったのではないかという所、そうかそういうことだったのかって、読んでものすごく腑に落ちました。
山岡 さっきの組織の問題を思い出しますが、厚労省の中でも、いわゆる現場に近いところは何とかしなきゃと考えて、文科省の大学教育の担当課とやり取りして、大学の検査能力を綿密に調べさせたんですよ。ところが、その数字がほぼ上がってきたところで、組織の上のほうから最終的に却下されてしまうという。
海堂 今も、上にいけばいくほどばかになるのは変わっていないみたいですね(笑)。上がばかだと、大東亜戦争の末期のような、インパール作戦やガダルカナル島の戦いみたいなことになってしまうわけで、昔と同じことを繰り返しているんです。山岡さんの本にも書かれていましたが、敗戦のときに全く自分たちで精算しなかったから、その悪しき体質がそのまま続いていると考えると、今回のお粗末なコロナ対応も全部腑に落ちるんですよね。
山岡 やっぱりそこなんでしょうね。戦後にリセットして新しい体制を作ったといわれますが、医療の問題も、軍事研究も、原発も、結局は不連続の連続みたいになっている。1945年8月15日で何かが途切れてるようにわれわれは刷り込まれているんだけれど、じつは戦前の1940年ぐらいに作られた体制っていうのが、終戦後もずーっと続いていて。
海堂 途切れてないんですね。GHQ、アメリカが日本を支配して立て直していくために、旧体制を維持したほうが便利だと思って、そのまま保存した。見落とされがちですが、メディアも全く同じなんです。国民を扇動したい大本営発表を垂れ流す、戦前の体質そのままです。ここでCIAとかの話を出すと、それは陰謀論だとか言われますが(笑)。
山岡 でも、入ってましたからね、実際。
海堂 CIAが入っての世論の操作は今だって絶対にやってるはずです。日本の世論はCIAに左右されています(笑)。
山岡 それこそ安倍元首相の祖父の岸信介なんて、巣鴨プリズンの獄中で、占領軍との一種の取引をしたといわれている。彼が獄中から出てきて政権運営をするときには、アメリカからお金入ってます。
海堂 CIAから随分流れてるっていうのは、『CIA秘録』(ティム・ワイナー著 、藤田博司ほか訳、文春文庫)に出ていますね。公文書ですからね(笑)。
山岡 事実なんです。今ごろCIAなんて陰謀論だという反応は、メディアが戦前の体質を精算しないで引きずっているという先ほどのご指摘とつながっているのかな。情報の質を問う感覚が鈍っている。
1945年で戦争が終わったときに、リセットされたようでいて、じつは水面下に入っただけでいろんなものが戦前から引きずられて続いている。50年代、60年代ぐらいまでは、一応それを隠すような動きも見られましたが。
海堂 隠すと同時に、当時は市民の反対運動が強かったから、それによってむき出しになった部分があったと思います。今はそれさえ見えない状態です。だから今の問題は市民の活力が落ちていることだと思いますね。
山岡 価値観がどんどん狭くなってきてるのかな。もう情報は一見あふれていて、メディアもたくさん多様化して存在するように見えるけれども、非常に均質化した方向にものの捉え方が傾いてきている。
海堂 そもそも、皆自分の頭で考えていないのでしょう。議論をふっかけても、紋切り型の答えしか返ってきませんから、ああ、見事に洗脳されてる、と思います。そうじゃないんだよって、議論のために力こぶ入れれば入れるほど、空回りする感じですね。
山岡 ありますね。