
▼PCRの反省は、2009年にできたのに
海堂 じつは僕は2月に、南米のチリに取材で出かけていました。だから、日本でダイヤモンド・プリンセス号が大変なことになっているという話も、ネット記事を断片的に見るくらいでした。あの時何が起こったのかは、帰国して後から探ったんです。
山岡 チリにいらしたのは、なぜ?
海堂 今「ポーラースター・シリーズ」というキューバ革命を題材にした連作に取り組んでいて、4作目が出たところなんですが(『フィデル出陣 ポーラースター』文藝春秋)、その続きを書いていて、その取材でね。
山岡 それはまた面白いですね。
海堂 ええ、面白くて、本当に2月のチリは極楽でしたが、今思うともう二度と戻れない場所になりました。
山岡 その時期のチリは、まだコロナは出ていなかったですか。
海堂 ちらほら出ていました。だから入国のとき「日本から来たのか」って聞かれて、いつもより時間がかかったけれども、それだけでした。南米はまだあの頃は、ほとんど出ていませんでした。
山岡 世界でのウイルスの拡がり方を見ると、最初武漢で発生して、ヨーロッパ、北イタリアからヨーロッパへ拡がり、あとアメリカ、ニューヨークの辺りから入っていく、それにブラジル経由で拡がっていくものもあった。非常に多様な拡がり方をしていて、その時期のチリから考えると、今の南米があんなにひどい感染状況になるっていうのは想像もできなかったでしょう。
海堂 向こうから日本を見て、本当に対岸の火事みたいでしたからね。
山岡 だとすると、日本のクルーズ船の情報なんていうのは、向こうの人には届いていなかった?
海堂 今、日本にチリの情報がぽつんぽつんと入るみたいにしか情報は入ってきません。だから日本のネットメディアを見て、刻々と変わる状況を知りたかったんですが、そもそも向こうのネット環境があんまりよくないからすぐ通信制限みたいになってしまって、Yahoo!ニュースの見出し見るくらいしかできませんでした。
で、日本に戻ってきて、3月に徐々にひどくなって、PCRの問題とかも、ああ、またやっとるなと思って見てました。2009年の鳥インフルエンザのときと全く同じ轍踏んどるな、と。僕が『ナニワ・モンスター』(新潮文庫)に書いたことです。そしたら今年、評論家の津田大介さんがこれは予言の書かというふうに取り上げてくれたんですが、彼はじつはこの文庫版の解説を書いてくれた人でして。僕も忘れているような、当時の政治のこととか調べてくれてね。
山岡 やっぱり2009年の状況というのも、一つの知識的な基盤にしておかないと、今の状況ってわからないんですよね。
海堂 みんなきれいに忘れちゃってるんです。僕は当時『とくダネ!』という番組にコメンテーターで毎週出ていて、この問題ももちろん取り上げられていて、キャスターから「これ大変な病気でしょう」って振られて、「いや、あんま大したことないと思います」とか答えたら、何か急にそっぽ向かれたみたいになってあまり振られなくなったこともありました(笑)。
山岡 テレビも自分たちの考える意見の方向に持って行きたい、みたいな。
海堂 しかもその後ろには多分政府のあれがある、という感じですね。
山岡 今回、露骨にその辺が出てきています。
海堂 安倍長期政権でずっと続いてきた中でしたから、誰がどう見てもオリンピックをやりたいからコロナ対策もごまかしたのが丸見え、ということですね(笑)。
山岡 もう金魚鉢のキンギョみたいに、ね。
話は戻りますが、海堂さんは2009年にこの『ナニワ・モンスター』を書かれた段階でPCRの問題なんか全部把握されていたわけですね。
海堂 あのときだって、感染が最初に確認された神戸の高校生をメディアが異常にヒートアップして取り上げていましたが、東京にも感染者が出たらうやむやにして、おかしなことをしていました。行政のほうも、空港での水際対策と言って成田だけ監視して、他はやってないとか(笑)、おかしいでしょ。まるで子どもだけが王様は裸だ、って指摘するような喩え話と同じで、何で皆それが見えないのかなって思っていたんです。
山岡 2009年の新型インフルのあとに、感染症の専門家たちが政府の対応について総括した報告書を見ましたが、今回と似たようなものでした。今回は10月に新型コロナ対応・民間臨時調査会のレポートが出て、いみじくも、「泥縄でやったけど結果オーライ」と記されていましたが、同様の結論が読み取れるものでした。
(対談収録日 2020年11月14日)
海堂尊【書評】
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