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キリスト教はコロナといかに対峙したか?

未曽有の規模となったコロナウイルスの蔓延と、世界最大の宗教キリスト教はいかに対峙したのか。ペスト、赤痢、コレラ、スペイン風邪、新型コロナ…。人類が疫病といかに出会い、どのように考えてきたのかを独自の視点で考察する、竹下節子『疫病の精神史』。その「はじめに」を公開いたします。

いま、宗教の役割とはなにか

 人はいつも神との関係を誤ってきた。
 そうでなければ、「不信心者」や「異教徒」、「野蛮人」「危険な人々」や「不都合な
人々」を神の名のもとに殺し続けてはこなかったはずだ。
     
 2020年、中国に発生したとされる未知のウイルスによる感染症(COVID-19)が、またたく間に世界に広がった。中国による感染都市の徹底的な封鎖を対岸の火事のように見ていた欧米が突然、爆発的感染の中心地になったのはそれからわずか2カ月後のことだった。

 アメリカでは3月15日に、トランプ大統領が「国民の祈りの日」を呼びかけ、「アメリカは長い歴史の中で、このような苦難の時にはいつも神にご加護と力をもらえるように祈ってきた」とツイートした。

 一方、伝統的なカトリック国でありながら、教会や神を封印することを革命以来の「共和国アイデンティティ」にしたフランスは、意地でも「神」という言葉を口にしない。マクロン大統領は金持ち優遇政策によって分断されていたフランスで、黄色いベスト運動や年金改革反対の大規模ストによって批判されていたが、彼の異名であるローマ神話の神ジュピターの本領を発揮して、「我々は戦争状態にある」と国民の協力を呼びかけた。

 戦争と神とは、実は相性がいい。神の名のもとに聖戦を仕掛けたり、敵対する国がそれぞれに戦勝を祈願して、「神風」が吹くよう願うこともある。毎日告げられる疫病による犠牲者の数が増えていくにつれて、人々が心のなかで神を求めたとしても不思議ではない。人間の世界に存在する「経済」「制度」「社会」という3つのシステムの基底にあるのが「信仰」なのだ。

 信仰の根底には、先人に思いを馳せ、自分の死後の未来をも憂えるという人間の視野の広さがある。葬儀や誕生の儀礼が生まれ、そこに宗教が生まれた。神とは人智や個人の生死を超えた、見えない世界と人とを結ぶものだった。2000年前、パレスチナの片隅に生まれたキリスト教は、ローマ帝国の国教となってから西洋文明を養い、進歩思想や経済倫理を育み、さらには近代西洋の覇権を確立した。

 ところが、とうとう、「神は死んだ」と言われる時代がやって来た。富と利潤の論理が増大し、グローバル化した世界では、人と神との関係が至るところで機能不全に陥っている。科学技術が飛躍的に発展し、自然を搾取する人間の万能感は肥大化した。一方で、核兵器、地球温暖化、AIによる支配という臨界が視野に入り、戦争やパンデミックや天変地異という危機も去っていない。そんななかで、2020年に地球規模の危機感を煽った新型コロナウイルスは、国家や宗教や苦しむ個人に、神や祈りの役割が何なのかという問いを投げかけた。

 キリスト教文化圏からは遠い中国から始まったとされる感染症は突然、ローマ・カトリックの本山を抱えるイタリアを直撃した。しかも折から、キリスト教最大の典礼である四旬節と復活祭の期間に当たっていた。世界最大の宗派であるローマ・カトリックがこの危機をどのように生き、どのようなメッセージを発したのかを振り返ることは、人と神の関係の可能性を改めて考えることでもある。

 キリスト教神学は、人と神の関係をイエス・キリストという「人格神」を介して掘り下げる。人格神とは神が受肉して生身の人間に介入してきたものだから、それは人間的な関係でもある。八百万の神が自然を守っているという感覚とはもちろん違うし、暗躍する疫病神を成敗してくれる神でもない。

 特に、ヨーロッパの基礎を造ったカトリック教会は、多神教の神々や呪術を一掃する代わりに、様々な装置を作って「奇跡」や「術」を温存した。そこで培われた智慧は、どんなに科学技術が発達しても決して逃れることのできない生老病死との向き合い方を洗練させてきた。世界の数多くの民族宗教や民間信仰の神頼みに見られる、特権を求め「神との取引」を原則とする形からも進化を続けてきた。

 突然のパンデミックを前に、「予備マスク」や「予備病床」のストックが重要だとわかったように、神仏も必要とされる時に必要な役割を果たすことができるのだろうか。

 疫病を前にした人々は、感染しないこと、感染しても全快することをひたすら祈り、そのために神を恃んできた。永遠に「復活」を語り続けるキリスト教の神は、感染症の歴史の中でどのように救いと希望を人々に与えてきたのだろうか。神と人との関係に「愛」を導入した画期的な宗教であるキリスト教は、人と人との共生を愛の介在によって最適化するための装置として機能する。この本は神を蒙昧から救い、実存の糧とする可能性が今日の危機にあっても有効であるのかどうかを探るものだ。
     
 本書の序章では、2020年に起きた新型コロナウイルスの蔓延がキリスト教及び現代社会に与えた影響について言及し、第1章では、新旧約聖書の中で疫病と神との関係がどのように語られてきたかを紹介する。第2章では、キリスト教文化圏としての西洋における疫病対策の変遷を紹介し、第3章では一神教と疫病の特異な関係について語り、第4章では、キリスト教と衛生観念のパラドクスを分析する。第5章で、ヨーロッパの歴史における疫病と政治経済の関係の実例を紹介し、終章で疫病をめぐる西洋近代医学と神の関係を考察する。21世紀に起こったパンデミックを、恐れや罪悪感に彩られた言説とは別の角度から捉えることによって、ポジティヴな新しい道が見えてくることを期待するものである。


 

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