俳優の荒木知佳さんの手術から始まった
枡野 私は初長編『ひとつの歌』(2011)の出演者になったときに杉田協士監督と知り合って、そのあとの映画がつくられていった過程もなんとなく知ってはいるんですが。前作『ひかりの歌』は、四首の短歌を原作とした短編連作的な長編映画でした。そして今回、東直子さんの短歌が原作となった長編『春原さんのうた』は、どういうふうにしてつくるようになったと、初対面の人には説明しているんですか監督。
杉田 どの映画祭に行っても聞かれるので、毎回説明してみるんですが、簡単に伝えるのが難しくて。順を追って話しますね。前作『ひかりの歌』が渋谷の映画館で上映されたあと、声をかけてくれた人がいたんです。当時まだコロナ禍じゃないので、みんながマスクしてないような時期ですけど、顔が隠れるようにマスクをしていたので最初だれかわからなくて。それが俳優の荒木知佳さんでした。荒木さんとはFUKAIPRODUCE羽衣という劇団の、『愛死に』という舞台の仕事で一度だけご一緒していました。
枡野 私の大好きなFUKAIPRODUCE羽衣。俳優として二回、出演もさせていただきました。杉田監督は映像記録を担当されたんですよね。
杉田 はい。でも荒木さんとは挨拶する程度の関係でした。その後もTwitterで荒木さんのツイートは目に入っていて。どうやら顎まわりの大がかりな手術をしているらしい。ちょうどその手術を終えて、顔が腫れてて大変らしいとは知ってたんです。でも、目に前にいる荒木さんは目が笑ってて、にこにこしてて(笑)。会ったことのある人なら、その感じがわかると思いますけど。東さんも、会ったことがあるから⋯⋯。
東 わかります。
杉田 病院の先生に安静にしてるように言われてたみたいで。でもわざわざ観に来てくれて。まだ顔も腫れて痛いだろうに、この人は映画を観にきてくれたんだと思ったら、なんだかお返しがしたいような、励ましたいような気持ちになって。その治療が全部終わったら、お祝いに一本映画を撮りましょうってその場で約束したんです。⋯⋯ここまでで既に長い、まだ短歌の話にも入ってないですけれども。
一同 (笑)
杉田 それから半年後ぐらいに、荒木さんの治療がどうやら終わりそうというのをやっぱりTwitterで知って、約束のことを思い出したんです。それで荒木さんにまずは連絡しました。どんな映画を一緒につくるかとかより前に、まだ荒木さんのことをよく知らなかったので、改めて会ってみようと。二時間ぐらい喫茶店で話して、荒木さんのこども時代のこととか、東京に移ってからの学生時代のこととか、他愛のないことも含めていろんな話を聞きました。帰りに、京王線に乗ってたんです。そのときの自分の位置とかも覚えてるんですけど、車両のドア側に立って窓の外を見てたんですよ。どんな映画にしようかなとか考えながら。それで、こんなに長く説明してても結局自分でもわからない、そこだけは説明しづらいんですけど、そのとき東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』の短歌が浮かんだんです。《転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー》。浮かんで、iPhoneで検索して短歌の表記を確認したりしていくうちに、荒木さん主演で映画を撮るなら、東さんのこの短歌がすごく似合うんじゃないかって。それはもう直感なんですよね。そう思ってしまって、私、思ってしまうともうだめなんですよね。
一同 (笑)
杉田 とらわれちゃうというか、もう、そうでしかなくなっちゃって、自分の中で。で、その日に家に帰って、すぐメールを東さんに送った⋯⋯という記憶があったような気がするんですけど、それは記憶ちがいだったということが最近判明したんです。そもそも私、その歌集を持ってなかったんですよ、まだ。
東 歌集『春原さんのリコーダー』(本阿弥書店)が、ちくま文庫になる前の話ですね。もうすぐ文庫本が出るのに、杉田監督が単行本の歌集を買ってるなーと思った記憶があります。
杉田 そうなんです(笑)。そうだそうだ、思いだしてきた。歌集全体を読んでいないのに、急に「この一首を映画化したい」と東さんにご相談するのも失礼な話なので。まず、自分の住んでる街の図書館で検索かけたりして探して回ったけど、なかったんですよ。ほかの歌集は見つかるんですけど、『春原さんのリコーダー』はなくって。で、滋賀県かどこかの古本屋さんにあるのをネットで見かけて。(ブックオフ嫌いを公言する)枡野さんのそばにいたから、私も中古の本を買うことに抵抗があるんですが⋯⋯。
枡野 まあ私も最近よく買いますよメルカリで。自分の昔出した本とか。
東 言ってくだされば、お取り寄せしていただけたのに。
一同 (笑)
杉田 それで歌集『春原さんのリコーダー』が手元に届いて。ちゃんと全部目をとおしたうえで、やっぱりこれは、この表題作の短歌でいくのがいいというのが確信できたので、東さんにメールをお送りしたら⋯⋯。
東 はい、メールをいただきまして。
杉田 たしか、すぐ、数十分ぐらいでお返事くださったんですよね。
東 そうですね、すぐ。あれでも待ったんです。ちょうど別のメールを書いていたときに、そのメールが入ってきて。読んで、すごい、うれしい! もちろんOK! と思ったけれど、三分で返事するのも何も考えていないと思われてしまうと思って⋯⋯。本当に、こんなうれしいことがあるのかと。
杉田 短歌の事情に詳しくないので、たとえば、版元の木阿弥書店さんが権利を持ってたりとか、ちくま文庫さんが持ってたりするのかな、とか。要は、原作として使用するときの原作料はどうなるのか、とか、いろいろ気がかりではありつつメールを考えてお送りしたら、すぐに「いいですよ」と。
枡野 拍子抜けするような、あっさりしたお返事が?
東 気持ちは熱かったですが、シンプルなお返事をしたのだと思います。そういえば本阿弥書店にも、筑摩書房にもお伺いを立てないまま、私が「いいですよ」って言ったんですけど。基本的には著作権は私にあるのかなと。
——著作権は著者にありますね。
杉田 そうなんですね。それって皆さんに認識されてるんでしょうか。小説とかでも、そうなんですか。
東 小説の場合は⋯⋯小説で映像化されたのはポプラ社なんですけど(『いとの森の家』)、それはポプラ社の人が窓口になってNHKとやりとりしてくれて、版元にも何パーセントか使用料がいく感じでした。でも筑摩書房さんは『とりつくしま』が舞台化したときも、(筑摩書房の代表取締役で当時の担当者だった)喜入さんが「全然いいですよ」って。
——小説の場合は、映画化とか舞台化するときに、小説そのままっていうふうにはならずに変わっていく細部があるので、そのあたりでの交渉がいろいろあるんだと思うんです。短歌の場合は、その短歌があって、そこからいろいろ派生していっても、元の短歌が改変されることにはきっとならないですよね。そういうところが大きくちがうかなと思いますね、小説とは。
東 原作と、できあがった作品とのかかわりが、小説のほうが濃密だっていうことなんですかね。ふくらます部分がかなり大きい⋯⋯。
枡野 いやいや、そもそも「短歌を映像化する」という試み自体が、まだとても少ないので(笑)。どう対応していいか、わからないというのが、正直なところじゃないですか?
東 そうかもしれないですね。
杉田 短歌一首をもとにした映画化、っていうのは、あんまりないですよね。
東 そうですよね。