紙子と学校

第一話

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 校長が長い木の枝で太鼓を叩く。
 だん、だん、だんと鳴るうちに、黄昏時の星がシグナルのリズムを帯びてきた。
 先程まで、てんでんに光の波長を発していた星々が、校長の太鼓のリズムによって波長をそろえ、色を変える。
 赤。
 青。
 黄。
「星が赤くなると人は戸を閉め、青く光ると一斉に歩き出す」
 校長が朗詠する。
 蝙蝠(こうもり)に似たものは、黄昏の空に近い布を纏った小さな人形が、長い髪を昆布のように振り回しながら飛び交っているのだ。地平線が鬱血したように赤みを帯びる。黒い人形が飛び交う空を見て、これは空というより海に似ていると思った。
 校長の歌にあわせて、初めは散り散りになって飛んでいた人形たちが、夕暮れ時の住宅街を旋回する烏の群れのように、大麦畑を襲撃する蝗(いなご)の大群のようにまとまりを得てくる。
 そうして太鼓が鳴る。
 星が足並みを揃える。
 赤。
 青。
 黄。
 段々と、自分の手足も糸で釣られたように動いてしまう。校庭に整列する学生たちの黒い頭が、ふらふらと揺れている。眠りに落ちるような感覚がある。
「詩(うた)の終わりは寂しい。謳(うた)い終わることは寂しい」
 昼も夜もない、丸く暗い世界、と校長は歌ったと思う。その瞬間に、校庭の隅にある楓の木に設置された小さな鳥籠の穴に向かって、人形たちがばたばたばたと濡れた羽音を立てながら飛び込んでいった。
 紙子はその様子を見ながら、背中に震えがきた。
 人形たちが一匹残らずいなくなってしまうと、校長は顔を生徒たちに向けた。
「これで本日の授業はお終いです。寮に戻って、復習をしてから休んで下さい」
 高校三年生の列から、玉櫛寮に向かい歩いて行く。紙子は中学一年生なので、最後の列になる。そうは言っても、高三から中一まで全校生徒合わせて三百名ほどしかいないので、やがて紙子の列が動き始めた。
 空の星がもとの輝きを取り戻した。瞬く星もあれば、瞬かない星もある。赤い星もあれば、青い星もある。
(操られた星は怖かった。人によって操られる自然を見るのは怖い)
 先頭を歩く、高校三年生の大きな身体を見ながら、自分もあのくらいの大きさになる頃には、父と同じように紙人形を操るようになるのだろうかと紙子は考えていた。
 高三の女生徒の身体は、馬のように大きく見える。

 *

 玉笛女子学園を受験した学生が、試験中にもかかわらず家に不合格通知が届いていたという話がある。
 受験界隈では「たまぶえ」と呼ばれ、瀟洒な佇まいの白い校舎と玉櫛寮、瑠璃(るり)色の制服に憧れる女学生も多い。しかしながら採点方法・募集人数は公開されておらず、一般的に進学先として選択しない学校である。
 特定の宗教が絡んでいるとか、財閥との関係、寄付金の存在などが噂されているが、それはどれも当たっておらず、単に入学者が世襲制なのだった。

 卒業生は宮内庁に入るか、帝(ミカド)の下で働くことになる。
 仕事の内容によっては、宮廷から一生出られないこともある。
 大体の学生は、家族がする仕事をそのまま引き継ぐのだ。それなら玉笛に入らずとも、家の中で家族に教えてもらえばいいと思う。一人一人に顧問がつくが、それは非効率的だし、一子相伝こそ技能が最も正しく伝わるのではないかと紙子は感じていた。
「そう思わない」
 玉櫛寮の部屋で、小さな電灯に照らされた陽子の顔が硝子窓に映っている。陽子は高校生と同じくらい背が高く、色素の薄い茶色の髪を顎の位置で切り揃えている。紙子は姉に話すような気持ちで、同室の陽子に相談したのだった。
「馬鹿らしい」
 吐き捨てるように言ったので、紙子はがっかりした。
「なんでよ。親に人生決められて、悔しくないの」
「紙子はなりたいものがあったの」
 紙子はその場で考えた。
「うちは白衣(しろきぬ)を着て祭祀する家なんだけど、どっちかっていうと白衣(はくい)を着た科学者になってみたかった、かも」
「ウケるんだけど」
 陽子が笑った。紙子は別にウケを狙った訳ではなかったが、一緒になって笑ってしまった。
「陽子は家の仕事以外にやりたいことないの」
「ないよ。もう小さい頃から、ずっとうるさく言われてきたから」
「そっか。私たちってさ、ひょっとして人生すごく損してるんじゃない」
「もう寝るよ」
 部屋を共にする学生の組み合わせは、「職能」の授業が昼の部なのか、夜の部なのかによっている。紙子と陽子の職能の授業は昼の部。別室の、例えば太花子(たかこ)と遊子の部屋などは職能の時間が深夜である。ある程度整った生活リズムを保持できるよう、そこは学園が配慮している。紙子と陽子は、入寮した最初の日に就寝時間だけは毎晩二十二時と整合を取っていた。陽子の技能は、睡眠時間を確保することが必須要件らしい。

「技能の習得もあるんだろうけど、世間からの隔離っていうのもあると思うよ。私は、玉笛での六年間は清めの期間だって親から言われたから……」
 暗い部屋の中で、一人言のように陽子が話した。
 眠りに落ちる直前、鳥籠の中に入った顔の白い人形がそっとこちらを見た気がして、紙子は一瞬薄く目を開いた。耳を澄ましてから、再び目を閉じた。

 *

 校舎の地下は、帝国陸軍第十一坑道と繋がっている。
 元から知っていたのではなく、突然「家に帰る」と言い出した陽子についてきた時に、初めてこの地下に降りてきて、この坑道の存在を知った。天井・壁は蒟蒻に似た大ぶりの立派な石材で固められ、全ての石に「帝国陸軍第十一坑道」と刻み込まれている。

 

 この坑道では、いつも生温かな風が吹いている。もともと埼玉県の郊外で暮らしていた紙子は、薬品に似た香りがするこの風を顔に感じるたびに、なぜか「都会」というものを感じている。
 家が古い生徒は、家の階段から直接この坑道に降りることができ、その気になれば毎日家から通学することもできるらしい。その中でも、特に古い十二の家については、十二支になぞらえ、子、丑、寅……と名付けられた道があると陽子は言った。陽子は、「寅」の道から帰る。
 坑道には、地下を走る電車の通り道のように、白色灯が等間隔で並んでいる。いくら明かりがあるとはいえ、こんな薄暗い道を一人で歩いて陽子は怖くないのだろうか。
「親、陽子が家に帰るって知ってるの」
「いや。物を取りに行くだけだから言ってない」
 まあ歩きで三十分くらいだから、と陽子は言うが、こんな古くて暗い道は一人になるだけで嫌だ。それに、道の真ん中で変な人やものにあったらどうするつもりなのだろう。
(変なものが歩いてきたら、陽子は石に変身して坑道を抜け出せるのか)
 そう思ってから、陽子は自分では自分の穴に潜れないことに気がついた。それから、
(変なものが歩いてきたら、石に変身して変なものを坑道の外に追いやれる)
 と思い直した。
 陽子は振り返らずに、道の奥へと進んで行った。

 紙子は、陰石に変身する陽子を見たことがある。
 校庭から這い出してきた青い這童子(はうどうじ)に噛まれそうになった時、陽子は紙子の手を引いて走ってくれた。
 壁に追い詰められると、陽子は長い手足を梯子車のように折り畳み、鮑(あわび)のような形をした巨大な石に変わって壁に張り付いた。見ると、石の下の方には小さな穴が空いている。
 穴を潜れば、壁を抜けられると言う。本能的に紙子が頭を穴に押し付けると、確かに陽子の石は、身体が通り抜けられるだけの隙間を通す。息を十秒止めて頭が出た先は、確かに壁の向こう側だった。

(つづく)
 

次回は3月25日更新です。

2022年2月25日更新

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マーサ・ナカムラ(まーさなかむら)

マーサ・ナカムラ

詩人。早稲田大学文化構想学部卒。2016年、第54回現代詩手帖賞を受賞。2017年、第一詩集『狸の匣』を刊行。翌年、同書で第23回中原中也賞を受賞。2020年、第二詩集『雨をよぶ灯台』を刊行。同書で第28回萩原朔太郎賞を受賞。2021年、坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。