紙子と学校

第三話

都心の一等地にあり、帝に仕えるための特殊技芸者を養成する中高一貫の女子校・玉笛女子学園。中等部に入学し寮で同室となった紙子と陽子は、不思議な先輩や先生たちとの交流を通じて成長していく。気鋭の詩人による和風学園ファンタジー、ここに開幕!(カット:鯨庭)

 朝から降り続く雨で、芝の上に落ちた桜の花はより一層土になじみ、葉桜は雨滴に合わせて緑の袖を小さく震わせている。
 同室の陽子は雨の日は調子が悪いらしく、せっかくの週末なのにずっと布団にくるまっている。布団の膨らみから、時々陽子が石に変化していることが分かる。
「コーヒーでも淹れようか」
 紙子が声をかけると、陽子は布団から顔を出した。
 談話室に置いてあるコーヒーメーカーから、一人分のコーヒーを落とした。紙子は苦くてコーヒーは飲めないので、ダージリン紅茶を淹れた。はい、とマグカップを差し出すと、陽子は布団から這い出してきて、紙子の対にある椅子に腰掛けた。
「うまいわー」
 コーヒーを飲んでいる時、陽子は本当に幸せそうな顔をする。窓を小さく開くと、雨が鎮守の森の葉をたたく鈴のような音が流れ込んできた。しばらく二人は外を見たまま黙っていた。
「昔から、雨の日は体調が悪くなるの?」
「いや、こんなひどくはなかった。母さんは、『思春期』だからだって言ってたけど」
「じゃあいつまで続くの」
「分かんないけど、大人になったら良くなるんじゃない」
 紙子はマグカップに口をつけた。
「それさ」
 陽子が机の上を指さす。
 紙子は、机の上に転がる白い球体を指先で弾いた。
「これ?」
 それは触れると、羽毛の生えたダンゴムシのようにコロコロと転がった。
「それなに、繭玉? かわいい」
 陽子の問いかけに紙子は首を振った。
「ううん、紙細工だよ。紙細工の魂みたいなものよ」
「どういうこと?」
「紙師が生き物を作るとき、必ずこの玉型から作るの。五月に入ったら職能の授業が始まるから、一応練習しておこうと思って」

 

 紙細工の命は、全て球体から生まれる。
 幼い頃から紙細工が動き出す瞬間を見てきた紙子にとって、全て命の始まりは「玉の形」である。
 家の仕事を間近で見たのは、小学校に上がって間もない頃だった。

 *

 紙子の父は、編み棒を平たくしたような短い串を操り、まるで機織りでもしているかのような単調な動きで紙に筋をつけていく。人肌を切り裂くほどに硬く冷たい白い紙が、徐々に手の内で肉のような丸みを帯びてくる。空気をとらえるかのように毛羽立つ。そうしているうちに、紙は白玉に似た球体となる。

 紙師である父は、宮廷行事である「ひな祓」に使役させる小さな白馬を折っている。
 人形師が作ったひな壇飾りを白洲から綱を曳かせ、夜のうちに馬ごと海へ流す。大きな馬に曳かせるとひな壇が崩れてしまうので、小さな馬を九十九頭作って曳かせる。
生きている馬は、どんなに大人しい性格でも海の水からは離れてしまう。その点、父の作る馬は元々「死んで」いるので、海にも静かに入るのだ。

 ただの紙片が、父の手にかかることでどうして命が宿るのか分からない。生き物の魂を紙に移す能力を持つ、陰陽師が操る形代とは異なり、紙師の作る「紙細工」は主人の刻む紋様のプログラム通りに動き、身を滅ぼすことさえ厭わない。それを「命」と呼んでいいのかは、分からないけれど。
 触れれば転がる球体となった紙細工に、書道で使うような画仙紙をふやかしたものを時折付け足しながら、手足・馬の首を伸ばしていく。父の手の隙間から「白馬」を真正面から見ると、丸いおにぎりに長さの等しい棒を素朴に突き刺しただけにしか見えない。
(茄子に割り箸を刺したやつみたい)
 古い家でお盆の時期に時々見かける、精霊馬に似ていると思う。もっとも、紙子の思う「茄子に割り箸を刺した」精霊馬は、馬ではなく牛を表したものらしいが。
 馬の顔、尻、横腹、蹄が手の中でぐるぐると回りながら、ある瞬間に、馬の顔が中央軸からややずれて、首をぐんなりと傾けながら紙子を眺めている。
 紙と「紙細工」の境にいる生き物を見て、父の仕事の成功を確信した紙子は叫び出したい気持ちでいっぱいだが、なんとか口に手を当てて堪えている。
「騒がない」
「話しかけない」
「存在を消す」
という条件付きで、父の仕事を見せてもらっているためだ。(親にとって子の存在感というものは、時に創造力を削ぐものだと父は言った)
 
 やがて父の掌に四肢を立てた白馬は、ブル、と口を鳴らした。鳩くらいの大きさだろうか。体内に空気を取り入れ始めた馬は、生まれたばかりの赤ん坊が泣き出すように、すんすんと盛んに鼻を鳴らしている。鼻水のような体液が滴り落ちる。口元の髭が唾液で湿っている。顔を近づければ今にも外を走り回る馬のにおいが鼻をつきそうであるが、紙細工の馬の不思議なところは、においがないところである。ものを食わせれば排泄はするが、糞尿のにおいすらしない。
 父は馬の仕上がりを確認し、紐を口に噛ませ棒に繋いだ。

 注文品は「白馬」のため、あとは瞳の色を墨で塗れば完成だろう。
 父が大ぶりの刷毛で馬の肌に塗ったのは、野草のように鮮やかな緑色だった。
「お父さん」
 約束も忘れて、声をかけた。
 父は陶器に似た白馬の肌を夢中で緑色に塗っている。思わず、紙子は父の手を押さえた。父の小さな目が、紙子をぎろりと睨んだ。
「それ、緑……」
 紙子は、父が注文を間違って記憶してしまっていると思ったのだ。
「今は黙って見ていなさい」
 全身を隈なく緑に塗られた馬を見て、紙子は「白馬が台無し」になったと思った。馬は時折首をふりながらも、背後に近づく大きな父の顔を蹴り上げることはない。紙細工らしい、大人しい馬だ。
 緑色の彩色をからりと乾かした後、今度は血のように赤い顔料を塗る。父の前には自然光を採り入れる窓があるが、馬は光を吸収するように鬱血し黒ずんで見えた。
そして、父は白い顔料を刷毛でのせた。
 するとどうだろう、元は新品の食器のように輝いていた馬の肌が、生々しい白馬の肌色となった。白毛の下に、脈打つ青い静脈・動脈の流れを感じる。切れば赤い血が噴き出しそうだ。
 目と鼻先のあたりには紅色を滲ませる。馬が動かないように、父は馬が噛む紐を指でつまんでいる。仕上げに瞳が浮き立つような黒色を塗り込んで、白馬の紙細工は完成した。
青ざめたような、生きた白馬の顔つき。馬が足の位置を変えたとき、「パカリ」という蹄の音が聞こえた。それを見て、幼い紙子は七歳なりに感心した。
「……生きてるみたい」
「仕事には魂が宿る。唐の国では、絵師が龍を描いていたとき、仕上げに目を描き入れた瞬間に龍に魂が宿って、そのまま空に飛んでいったらしいから」
 父の仕事を見た後では、そういうことも確かに起こり得るだろうと思った。
「お父さんは、おじいちゃんに紙細工の作り方を教えてもらったの?」
「おじいちゃんにも教わったけど、基本は学校で教わった。須城学園で」
「酢女学園? 私もそこに通うの?」
「須城学園は男子校だから、紙子は玉笛女子だな」
「酢女学園は女子校じゃないの?」
「須城は男子校だよ」
「女子校みたいな名前なのに」
 父はぼんやりと宙を眺めて、そうか?と言った。
 それから平串を革布で拭った。
「紙子の兄さんも、今頃は須城中学に入学した頃だろう」
 父が兄の話をするとき、母のことを思って胸が苦しくなる。記憶のない頃の話ではあるが、紙子が三歳にも満たないうちに、母は兄だけを連れて家を出て行ってしまった。
「兄さんも、紙の仕事を受け継いでるの?」
「いや。朱彦(あけひこ)は母さんの陰陽師の仕事を継いでいると思う」
「ふーん」
「いつか、宮中で会えるといいな」
「別に。顔も覚えてないし、今更会いたいとも思わないし」

「いつか宮中で会えるといいね」
 陽子が父と同じことを言ったので、紙子は動揺を悟られないようにマグカップに口をつけた。マグカップはすっかり空になっていた。
「私は別に。今は、『職能』のことで頭がいっぱい」

 *

 遊子は、母と布団で一緒に寝た記憶がない。
 夕飯を食べ風呂に入り、冷たい布団の中に身体をすべり込ませたとき、母は遊子も見つけられない場所へ身を屈め、毎晩庭を訪れる「何か」から身体を隠している。
 母恋しさに戸の外へ母を探しに出た時、遊子が見たのは、空を泳ぐエイのような格好でゆったりと落ち、庭全体にかぶさろうとする巨大な膜のようなものだった。

「『天網(てんもう)』っていうの」
 天の網って書いてテンモウ、と母は付け加えた。
「ママは、夜になると空から落ちてくる天網から隠れなくちゃならないの」
 母が家の仕事について話をしたのは、遊子の小学校入学の前日だった。
「その『天網』に見つかるとどうなるの」
「この国に、災害が起きる」
「サイガイってなに」
「たくさん人が死ぬこと」
「そんなこと、あるわけない」
 遊子は、布団で一緒に眠ろうとしない母を幼いながらに憎らしく思っていた。
「かわいそうだけど、遊子もいずれそれが分かる日が来る」
 この話をするのはまだ早かったかな、と頭を撫でようとした母の手を遊子は振り払った。
「それならあたしは、あの膜に捕まっても何も起きないことをママに見せるよ」
「そんなことを言っている限り、この仕事は譲れないから」
 母の眉に力が入り、遊子は口をつぐんだ。
(ママは、やっぱり分からず屋。あたしよりも、変な思い込みの方を優先するなんて)
 いっそ天網に捕まってしまえばいいと思った。
「今はママがいるから全部は分からなくていい。ただ、これだけ覚えておいて。『神は遊びの中に子を隠す。身体を小さく屈めた子は。天災から免れる』」
「何それ」
「家(うち)に伝わる歌。ママがいなくなっても、この歌だけは忘れないで」

 五月の夜風が鎮守の森の葉を揺らし、遊子は身震いした。
 ふと、心に石が触れたような冷たさを覚える。
 無意識に胸のあたりを探るが、ただ温かな鼓動がかすかに手のひらを打つだけである。
 木が朽ちて重なるように倒れている場所で、狸の寝床のように小さな隙間を見つけた。
遊子は小さく蹲るような格好で、その場所に身体を押し込んだ。
 まるで遊子を待っていたかのように、身体にぴったりと添う。足の先まで隠れたことを感じてから、瞼を閉じて、母から教わった言を念じた。

 神は遊びの中に子を隠す
 身体を小さく屈めた子は
 天災から免れる

 その瞬間、働鬼(どうき)先生が網の形になって、空から降りてきた。その網は、鎮守の森を覆うほどの大きさである。しかしどんなに広い網でも、遊子の足先に網目は触れない。
 遊子は眠るように、柔らかく浅い呼吸を繰り返した。
「職能」の授業が始まっていた。

(つづく)
 

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