「成績が伸びない」は本当か?
「成績が伸びない」と相談に来る生徒は多いです。そのたびに私は、そんなはずはないと思いながら、「なぜそう思うの?」と尋ねます。そんなはずはないと思うのは、私は努力を続けているのに成績が伸びない子を、この20年間でたった一人も見たことがないからです。
確かに要領よく勉強できる子とそうでない子がいて、誰もが時間に比例して伸びるわけではありません。でも、やったらやったぶんだけの最低限の成果は誰だって出ますよ。でも、最低限の成果くらいではなかなか満足いかないのが人間の性(さが)なのでしょう。相談に来た子には、勉強のやり方の改善点などをさんざん話したあげく、最後にはいつも、もっと勉強量を増やすことで入出力のループを増やして身につくまでやるしかないよという当たり前の話になりがちです。
「成績が伸びない」というのは「現状の成績に満足できない」ことの言い換えであって、決して実際に成績が伸びていないわけではありません。だから、成績が伸びない不思議を考えたところで謎が解けるわけがないので、それよりも「成績が伸びない」と見立てたがる自分の欲望について考えてみた方がいいです。その見立てはどこかで歪(ゆが)んでしまっているんですよ。
もしあなたが他人と比較して「成績が伸びない」と言っているとしたら、あなたは「伸びるはずの成績が伸びない」と思うことで、自分が他人と肩を並べられる可能性を必死に担保(たんぽ)しようとしているんです。そうやって可能性を繋(つな)ぎとめることで、新しい現実を招き入れようとしているのでしょう。
ただし、こうした仮想はあなたを甘やかしてしまう装置なので、その点は注意してください。そんなふうに現実を歪めて自分の都合のいいように見ることに慣れてしまうと、それがいつの間にか身についてクセになり、あなたの人生がまるごとフェイクになってしまうかもしれません。実際にそういう人生を択(えら)び取っている人はたくさんいます。
親は子どもの現実を見誤る
先日、中2の妙子(たえこ)さんのお母さんから電話がかかってきました。
「妙子は、毎日最低2時間、机に向かって勉強しているのに、全然成績が伸びないんです。勉強のやり方がわかっていないと思うので、先生、妙子にアドバイスをしてもらえませんか。」
このように、親は子どもよりはるかに「(うちの子は)成績が伸びない」という言葉を口にします。本人は必ずしも成績が伸びていないとは感じていないのに、親から「あんたは成績が伸びない」と言われて初めて、子どもがそれを意識し始めることさえあります。
でも、親の「子どもの成績が伸びない」という認識は、彼らがどこかのタイミングで子どもの現実の受容を誤ったせいで生じる現象だと私は思っています。だから、親がこう言い始めたときに、私はすぐに同調するわけにはいかないし、いかに親と子が現状認識の歪みを改善できるかということを真っ先に考えます。
親は自分の不満を子どものせいにする
みんなに覚えておいてほしいのですが、親の子どもに対する悩みのほとんどが「子どもの現状が受け入れられない」という叫びの言い換えにすぎません。だから、親が「子どもの成績が伸びない」と言っているとき、実は、あなたの成績が悪いことではなく、あなたの成績が自分の理想に追いついていないことを嘆いているのです。この差は大きいですよ。そして、そういう私的な嘆きを正直に吐き出すのは体裁(ていさい)が悪いから、それを「子どもの成績が伸びない」という言葉に置き換えて、自分の不満をあなたに擦(なす)りつけようとしているんです。
あなたはもう、すっかり騙(だま)されていますよ。親の高望みに付き合う必要なんてなかったはずなのに、いつの間にかあなたは「私は学力不振だ」と思わされてしまっている。あなたの現状をそのまま見たら、別に良くも悪くもなくて、ただ、あなたはあなたのペースで勉強をして、その努力に相応(そうおう)した結果が出ているだけなのに、その結果が「悪い」と思わされている。でもそれは、もとはあなたの現状認識ではなかったはずです。あなたが外部から譲り受けた価値判断なんです。高望みしている自分を直視できない親、理想を押しつける大人のせいで、あなたはすっかり「成績が伸びない私」というストーリーを内面化してしまいました。
親は多かれ少なかれ子どもに暴力を行使する存在です。でも、それは単に義務や禁止を課す形で子どもに与えられるのではありません。親は子どもの心身を包囲し、子どもが別のしかたで思考ができないようにすることで子どもを手中に収めます。その上で、その権力を子ども自身の意思によって、子ども自身を通して貫こうとするのです。こうして、子どもはまるで自身の欲望を叶えようと行為するかのごとくに、親の願望を叶えてしまいます。もしかしてあなたは、「成績が伸びない私」を内面化することで、どうにかして親の願望を叶えようとはしていませんか。
親のストーリーに巻き込まれる子どもたち
先ほど私は「ストーリー」という言葉を使いましたが、人は誰もが自分の欲求に適(かな)ったストーリーを頭の中で練り上げることで生き延びようとするところがあります。そうやって、自分にとっての現実を少しでも違ったものにしようとしているんですね。こうして自分の穴ぼこを仮にも埋めようと四苦八苦することを通して、人間のどうしようもなさや人生のおもしろみがぎゅっと絞り出されることがあり、それは多くの芸術や文学作品の主題になってきました。
でも、問題なのは、親がたびたび自己本位なストーリーに子どもを巻き込むことです。そして、あなたたちがそれに巻き込まれているのに気づかなくなってしまい、そのせいで傷つけられていることもわからないままに、自分が悪いと思い込んでしまうことです。そうすると、困ったことがいろいろと起きるんですね。
しかも、子どもを高く見積もってばかりいる親に限って「うちの子は自信がない」「自己肯定感が足りない」なんて言い出したりする。そういう現場を見ると、自分が地獄の脚本を書いてることにまず気づけよと思うわけです。
子どもを殺しにかかる大人たち
現在の日本では、10歳から19歳の死因の1位が自殺で[厚生労働省 令和2年(2020年)「人口動態統計月報年計(概数)の概況」より]、しかも自殺した理由の上位を「学業不振」「その他進路に関する悩み」の2つが占めています[文部科学省 令和2年2月15日「コロナ禍における児童生徒の自殺等に関する現状」より]。
子どもが学業や進路で悩むのは周囲の大人の影響抜きでは考えられないことを踏まえると、「子どもが自殺するなんてかわいそう」なんて他人事みたいなことを言っているわけにはいかないと、子どもにかかわるひとりの大人として思います。今日も子どもを殺しにかかっている大人たちに、どうしてもそれに気づいてもらわないといけない、そう思うわけです。(だから、この話を子どものみんなだけでなく、大人たちにも読んでもらいたいです。)
あなたたちはどうにかして大人たちが描くストーリーから離れて、自分なりの価値基準で現状認識ができるようにならなくてはいけません。自分をメタで見る視点を手に入れなくてはいけません。この連載も、そのためのヒントを書いたものです。