十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第15回 みんなお金がほしい世の中で

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第15回はお金の話です。お金ってたくさんあった方がいいのかな?

お金の不思議

この前、社会科の授業ときに「お金ほしーいー!大人になったらオレ絶対に金持ちになるわー!」と中1のTくんが威勢(いせい)よく言ったので、すかさず「金持ちになって何を買いたいの?」と尋ねてみたのですが、「うーん、えー? 車かなー? いやー、売ったり貸したりできるから、マンションかなー? うーん」と最初の勢いのわりに口ごもってしまいました。

彼みたいにわざわざ大勢の前で言うようなことはしないかもしれませんが、きっとあなたもお金がほしいですよね。これを書いている私も、やっぱりお金はほしいです。

もし、あなたがTくんと同じことを尋ねられたら、どのように答えますか? あなたはTくんみたいに口ごもることなく「△△を買いたい!」とはっきり答えられるかもしれません。でも、そう答えたあなたが、続けてこう尋ねられたらどうでしょうか。「じゃあ、△△を買えるだけのお金をあげるよ。そうしたら、もうお金はいらないよね?」

このとき、あなたは素直に「うん」と言えるでしょうか。「いや、もっとお金がほしい」と思うのではないでしょうか。こう考えてみると、あなたは具体的な何かがほしいからお金がいるというより、お金自体をほしがっている自分に気づくのではないでしょうか。

Tくんはさっき注目すべき返答をしています。「売ったり貸したりできるからマンションかな?」と言ってるんですね。金持ちになって何を買いたいか尋ねたのに、さらに金持ちになるためのモノがほしいと言っている。つまり彼は、さらに金持ちになるために金持ちになりたいんです。

このように、お金は具体的なモノを手に入れるための手段だったはずなのに、いつの間にかそれ自体が目的になってしまう。ここにお金の不思議があります。

「可能性」がほしいから過剰になる

あなたの周りにいる大人たちの多くは、生活に必要な最低限のお金だけでなく、少しゆとりがないと困ると思っています。それは、何事も備えがないと不安だからというのが大きいのでしょう。では、なぜ不安なのかをさらに考えてみると、それはお金が私たちにあらゆるモノを手に入れる「可能性」を与えてくれる存在だからです。私たちはモノがほしいというよりも、その可能性こそがほしいんです。そして、可能性が足りないと感じられるときに、不安になってしまうのです。

モノには所有できる分量に物理的限界があるし、一度所有してしまえばある程度満足するものです。しかし、「可能性」には限界がありません。だから、それを求める人たちは、まだ足りない、僅(わず)かの差でも多いに越したことはないと、より大きな可能性を手に入れるために、より多くのお金を欲してしまうゾーンに入ってしまうのです。

こうした「可能性」は、本来的にお金が有している次のような3つの機能に基礎づけられています。それは、1つめに「価値の保存機能」、2つめに「交換機能」、そして3つめに「価値の尺度(しゃくど)機能」です。すぐに壊れたり腐(くさ)ったりしてしまうモノに対して、お金は金庫にしまったり銀行に預けたりすることで蓄(たくわ)えることができるし(=価値の保存機能)、物々交換とは違って、お金さえあれば交換する両者の欲求を一致させることなく交換を成立させることができるし(=交換機能)、その数量(=値段)を見るだけでモノの価値の高低がわかる(=価値の尺度機能)というわけです。これは便利すぎる!

こうやって機能を書き出してみると、お金にはのび太をいつも助けてくれるドラえもんみたいな万能感があります。保存できて交換できるからこそ、お金は時間や空間を超えて僕を助けてくれる。この意味ではタイムマシーンやどこでもドアみたいな機能を持っています。そして、普段はただの飾りみたいな四次元ポケットの奥には、いざというときに僕を助けてくれる道具がたくさん秘められている。ポケットの中身はわからないけれど、それはきっと僕に利益をもたらしてくれるに違いない。その可能性に、どうしようもなく魅了されるのです。こうして、私たちがモノよりもお金自体を求める不思議がなんとなく見えてきた気がします。(注1)

最近の子どもとお金の事情

最近はネット環境が整ったことで誰でもビジネスに参入できるようになり、小学生で起業したり、お金を稼(かせ)ぐチャレンジをやったりする子も増えています。家のパソコン1台でお金の稼ぎ方を覚える子どもたちを面白いなあと思う反面、別に深くやりたいことがあるわけでもないのに、ゲーム的感覚でワンチャンお金を稼げればラッキーというノリでやってるのを見ると、お金を稼ぐことが目的になっちゃってるゲームなんてすぐに飽きがくるよ、もっと魂が揺さぶられるような面白いことやって、お金は結果として付いてくるくらいでいいじゃない、と余計な口をはさみたくなります。(彼らはそういう「面白さの実感」を発見することも含めて、いま学んでいる最中だとは思うのですが。)

一方、学校でも子どもたちの将来の稼業(かぎょう)を早いうちから指南しておこうという動きがさかんです。「職業的レリバンス」といって、学校教育をその後の職業生活において意義のあるものにすることが求められる風潮にあり、そんな中で「キャリア・パスポート」(注2)などの試みが導入されました。小学校から段階的に働くことについて考えるとともに、コミュニケーション能力や自己管理能力を磨き、より具体的なキャリアプランニングをしていきましょうというわけです。しかし、残念ながらはっきり言ってこれは愚策(ぐさく)です。

なぜこんなしょうもないことがまかり通ってしまうかといえば、いま、日本の経済がほんとうに行き詰まっているからでしょう。どうしたらいいかわからない大人たちは、いまの日本に世界を席巻(せっけん)するようなイノベーションが生じないのは教育のせいだということにして、子どものころからちゃんと人生計画を立てさせれば、立派な大人が育って、革新的なアイデアが生まれ、再びかつての経済的栄光を取り戻すだろうなんて甘い夢を見ているのかもしれません。

いや、実際のところは、もはや国の役人たちはいまの状況に絶望していて、それでもなんとか「やった感」を出すために、とりあえず逆算して子どもたちに何かやらせてみようということになっているだけかもしれません。(注3)そして、現場の学校の先生たちも、こんなの意味ないとわかっていながらやっている人が大半なので、やればやるほど、夢ってなんてつまらないんだということを、子どもたちに徹底的に味わわせる結果になっているのでしょう。(注4)

当てずっぽうな大人たち

あなたはマジメだから、大人が用意してくれていることは、ちゃんと取り組みさえすれば効果的なんだろうな。私ががんばってないから悪いんだろうな。そう思っているかもしれません。しかし、大人がやっていることなんて、その多くが適当で当てずっぽうなんです。大人があなたに要求することなんて、要求する本人が「私もそうやって生きてきた」と胸をはって言えることなんてほとんどありません。そういう大人に、じゃあ、あなたもそれをちゃんとやってきたの? と尋ねれば、ほとんどの人が口を噤(つぐ)むしかないのです。

こんな顛末(てんまつ)ですから、キャリア・パスポートに限らず、大人たちがあなたの将来について画策(かくさく)し要求するあらゆることに、あなたは真剣に付き合う必要はありません。場合によっては、あなたが精神的に大人になることで、目の前の大人のごっこ遊びに付き合うふりをする必要は生じるかもしれませんが(すでにあなたはそういうことをしながら生きてきたのではありませんか?)、少なくともマジメに取り組む必要はなく、ただ気の赴(おもむ)くままに自分がやりたいなと思ったことだけやれば十分です。そして、あなたはそんな無策な大人から離れて、別のしかたで自分なりに身を立てる方法を考えましょう。

あなたにとって大切なのは、お金について、そして、あなたがすでに巻き込まれている資本主義社会についての解像度をもっと高めることです。目に見えるものだけでなく、どんなものでも商品にしようとする資本主義の深い欲望に気づいて、それに抵抗する術を身につけることです。なぜなら、抵抗しなければ、あなたの魂も資本主義の欲望に乗っ取られてしまいますから。

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