吉田篤弘『物語のあるところ――月舟町ダイアローグ』(ちくまプリマー新書)
ぼくはいつでも、誰かが夜の町に佇むところから物語を始めたい。
その人は、そこにそうして一人で立ち、ただ立っているのではなく、その人を取り巻くあらゆる事象と対峙している。
この事象には、その夜のたったいま起きていることにとどまらず、その人がそこへ至るまでの「これまでのこと」が含まれている。その人には、自ら語るべきことや、誰かに語られてしかるべき来歴がある。言い換えれば、誰かがそうして路地に立てば、余計な小道具など用意しなくても、自ずと物語は語り起こされる。
そういうわけで、この本もそのようにして始まっていく。
けれども、ぼくはいまから物語を始めたいのではない。
いつものように、物語が始まる舞台を用意してはいるが、爆弾処理班がひそかに仕掛けられた爆弾の起爆装置を慎重に取りはずすように、この舞台から、「物語」をそっと取り除きたい。そして、そのまわりにあるもの―物語を取り囲んでいるモノや、モノですらない考えやつぶやきといったものを並べていきたい。大きな白い紙をひろげ、そこへ見つけ出したものをひとつひとつ置いていく要領で。
具体的に言うと、ぼくはこれから「月舟町」と呼ばれる小さな町へ出かけていく。
それは、自分が書いた小説の中にある町だ。
小説の中、あるいは、本の中にある町なのだから、実際にそこへ出かけていくわけではない。でも、「出かけていく」という言い方を「おもむく」と言い換えるなら、これまでにぼくは何度もその町へおもむいてきた。物語を書き始める前からおもむき、書いているあいだはもちろん、書き終えたあとも、たびたびおもむいている。
それでどうするのかというと、ただひたすら考えている。
考えるために、ぼくは月舟町へ行く。