はじめに
世の中には、つまらないと思える生き物がたくさんいる。
「つまらない」とは「取るに足らない」とか「心ひかれない」とかを意味する。
たとえばカタツムリがそうだ。
カタツムリは、動きがのろい。
見た目もカッコいいとは言い難い。
本当につまらない生き物である。
ところが、である。
あろうことか、私の勤める大学のシンボルはカタツムリである。
他にもっと強そうな生き物や、かっこいい生き物はいくらでもいるのに、よりによって、どうしてカタツムリだったのだろう。
何でも、学問というものは、一足飛びに行くものではなく、ゆっくりと確実に歩むべきものだということを表わしているらしい。そして、カタツムリが通った後は、キラキラと輝く道ができる。それが、後進のために道を作るという意味もあるという。
カタツムリのようにつまらない生き物であっても、見方によっては、立派な物言いができるものだ。
確かに、古今東西には、カタツムリに優れた点を見出した言葉もある。
たとえば、民俗学の祖と呼ばれる柳田国男は、カタツムリの全国の方言名を調べたことで知られている。その彼もまた、学問をカタツムリにたとえている。
「角を出さなければ前途を見ることもできず、したがってまた進み栄えることができない。
角は出すべきものである。そうして学問がまたこれとよく似ている」
こうして前途を見据えながら、確実に歩んでいくカタツムリを称えているのである。
また、非暴力を信念としてインドを独立に導いたマハトマ・ガンジーは、「善いことはカタツムリの速度で動く」という言葉を残している。
速ければ良いというものではないのだ。
カタツムリが「つまらない」など、とんでもない話だ。
考えてみれば、カタツムリはすごい生き物である。
何しろカタツムリは、海に棲む貝の仲間である。その貝が海から陸へと進出しているのである。
私たち脊椎動物の進化を語るとき、海の中にいた魚類が両生類へと進化を遂げ、陸上に進出をしたことは、大きなドラマとして語られる。水中にいた脊椎動物が、陸上へ進出するのは、簡単なことではなかった。
何しろ、水中生活から陸上の生活にシフトするためには、いくつかの課題をクリアしなければならないのだ。
まずは、水中では浮力があるが、陸上では自らの体重を支えなければならない。脊椎動物で言えば、強靱な骨格を進化させる必要があったのだ。
次には、陸上での移動手段である。水に浮けば、わずかな力で移動することができる。が、陸上では自分の力だけで移動しなければならない。脊椎動物についていえば、ヒレから足という進化が必要になったのである。
そして、呼吸方法の問題もある。陸上に進出するためには、エラ呼吸に代わる新しい仕組みを身につける必要があるのだ。
脊椎動物の場合は、水中での浮遊に使っていた浮き袋を肺に進化させることによって、この問題を克服した。こうして脊椎動物は、ついに陸上への進出を果たすのである。
脊椎動物にとって、陸上への進出は簡単なことではなかったのだ。
ところが、である。
カタツムリは貝の仲間なのに、当たり前のように陸上に進出している。
私たち脊椎動物は、陸上へ進出するために、「エラ呼吸」から「肺呼吸」という大きな転換を必要とした。
それなのに、カタツムリは当たり前のように肺呼吸を獲得している。
いったいカタツムリがどのように進化を遂げたかは謎に包まれているのだ。
人間の知識の及ばない進化を実現しているのである。
カタツムリは、すごい進化を遂げているのだ。
カタツムリがすごいことはわかったが、それでも世の中には、一見つまらないと思える生き物がたくさんいる。
そんなつまらない生き物にも、すごいことなどあるのだろうか。
つまらない生き物は、やっぱりつまらない存在なのではないだろうか。
本書では、そんな「つまらない」生き物を、トコトン紹介したいと思う。
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