遠めの行路に印をつけて

ヒジャブをまとってイスファハン(1)
空港にて

イスラム世界を旅するときに装いをどうするか。女性特有の悩みだ。ここまでは安全性を最優先にヒジャブでがっちりガードをしてきたものの、イスファハン(イラン)に降り立ったとたん旅人の本能が顔を出す。

 テヘラン、マシュハドを経て空路でイスファハンに入ってみると、どっとヨーロッパ系の観光客が増えた。荷物が出て来るのを待つ間、一組のカップルに惹き付けられた。長く旅をしていると思われる出で立ちで、女性は申し訳程度にスカーフを頭に巻き付け、男性は素足にサンダル履き……イランではかなりお行儀の悪い恰好になる。彼らの“仕方なくイランのルールに最低限合わせてますけど”といわんばかりの気の抜けた装いが、妙に心に刺さった。

 イスファハンに来るまで、文様や製本のリサーチのために日本人研究者から紹介されたイラン人、そのまた知人を訪ね歩いていて、観光地や観光客とは全く縁がなかった。ごく普通の真面目なイラン人社会の中でひとりぽつりと日本人が混ざって丁寧にもてなしてもらい、こちらも彼らになるべく失礼がないようにと極力気をつかってきた。服装もそのひとつである。

 当時の私の恰好はというと、ひざ下まですっぽり隠れる灰色のコートに十分丈のパンツと靴下、髪を前髪まで完全に隠す黒いヒジャブをピシッとつけていた。暑くたって絶対に素足や首を出したりしない。ホテルの部屋に帰るまで我慢だった。女性がモスクの中に入るため着用する黒いチャドルも、しっかりカバンに常備していた。なるべくイラン人ムスリム女性のスタイルを尊重して真似る。“郷に入っては郷に従いまくる”装備だった。

 イスラム世界の装飾文化に惹かれて最初に飛び込んだのはトルコ。それからモロッコ、エジプトと比較的観光客が多いところを旅してから、あまり観光地化されていないイエメンに行った。いずれも基本はバックパックを背負ったひとり旅。90年代前半のことだ。

 とにかくどの国でも現地男性から声がかかる。無視しようとしても、英語ができる人に助けてもらわねばどうしようもない局面も少なくなく、そこで助けてくれたはずの人に恋愛感情を持たれて面倒なことに発展することもあった。もちろん中には本当に親切なだけの人もいるのだが。

 特にイエメンでは、女性は外出時に全身を隠すアバヤ(ペルシャ語のチャドル)を身に着けていたため、アバヤを着ていない外国人女性の目立ち方は強烈だった。イエメンはモロッコやエジプトに比べると観光地慣れしていなくて素朴な人が多く、質の悪いナンパなどは注目を浴びている割には少な目だったのだが、それでも市場を歩けば市場中の人から注目され、ニヤニヤ笑いながら後をつけて来る男などもいた。ためしに真っ黒なアバヤを購入して頭から被ってみると、おもしろいほど目立たなくなりイエメン人からの視線が集まらなくなった。残念ながらアラビア語ができないので会話をすればすぐに旅行者とバレたのだが、それでも髪と身体を隠しているだけで安心感があった。

 

 イエメンの次に訪れることになった中東圏がイランだった。97年に雑誌取材で訪れて気に入り、2000年に再訪した。イランの場合は全女性が公共の場では髪を隠すスカーフと身体の線を隠すコート着用が義務付けられている。外国人女性であっても例外にはならず入国すらできない。これを不便ととらえる人も少なくないけれど、イエメンでのことが忘れられなかったので、むしろありがたく受け入れた。

 実はイラン女性の装いには目まぐるしく変化する流行があって、私が2000年に日本から準備して持ち込んだ服装はかなり古臭いおばあさんのようだったのだが、男性からの目を集めないのならばそれも良いと思えた。服装だけではない。最初の訪問で英語を話す人が少ないことがわかっていたので時間をかけてアラビア文字や数字も覚えたし、ペルシャ語の文法も習って片言の会話はできるようにした。知り合いのつてを頼って現地で会って話を伺う研究者も数人作った。もちろんイラン関連の書籍も読んだ。

 なるべくそれまでのトラブル多きバックパッカーひとり旅から脱して、知りたいことを知る見たいものを見る旅にしたかったのだ。そうしてテヘラン、マシュハドと頑張って来た。実際に皆さんによくしていただき見学もできたし、成果は上がったと言ってよい。それなのに。

 イスファハン空港に降り立ち、久しぶりにいかにもバックパッカー然とした服装の旅人カップルを見たとたん、それまでの頑張る気持ちや警戒心がぐらんと揺れた。彼らはイランにいながらイランに遠慮することなく、自由に自分らしさを出せるだけ出している。それで危険な目に遭ったとしても、しかたないという居直りすら感じられると言ったら考え過ぎだろうか。

 私、もしかして過剰にイランに合わせすぎてるのかも。

 もちろんこれまでの準備も努力も大事だ。わかっている。実際テヘランでもマシュハドでもトラブルもナンパも詐欺もなかったのだ。イラン人の知り合いと行動を共にする時間が多かったこともあるし、イランの治安が比較的良いせいもあるかもしれない。それでもとりあえず準備は無駄ではなかったはず。どう考えても正しい。

 けれどもなにかつまらない、物足りないと感じている自分がいるってことに、気づいてしまった。困ったことだ。

 そうなのだ。私はやっぱりなんにも知らないツテもコネもない、それこそ言語も通じないかもしれない未知の場所に飛び込む時の、不安だけれどもワクワクドキドキする感じが、好きなのだ。これまでのイラン滞在で決定的に欠けていたものだ。旅人たちの姿を見て改めて思い出してしまった。

 イスファハンには知り合いのイラン人はいない。これからのイスファハン滞在、警戒心は持ちつつも、少しだけ解いて知らない人とも話して未知の出会いを楽しんでみよう。ああこの加減が本当に本当に難しくて、いつも振り子のように揺れるのだけど。