移動する人びと、刻まれた記憶

第4話 赤い牌楼はいつできたのか?①
チャイナタウン復活を夢見た、二人の老華僑の思い出(前半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第4話です。今回は、釜山の「上海街」から華僑の人びとの話を語ります。

1927年生まれの在韓華僑、孫さんから聞いた話
 朝鮮戦争中の華僑について初めて話を聞いたのは25年ほど前、延禧洞で小さな町中華の店を営む孫さんからだった。
 韓国には仁川や釜山の他にも、各地に華僑が暮らす街がある。私が暮らしたソウル市西大門区延禧洞もその一つで、家から歩いていける距離に漢城華僑学校があった。
 孫さんは偶然私の父と同じ歳だったこともあり、私をまるで自分の娘のようだと言ってかわいがってくれた。自分の父親の昔話などほとんど聞かない私だったが、孫さんの話はよく聞いた。彼が語る在韓華僑の歴史は興味深かったし、韓国人の高齢者のような権威的なところがないのも好きだった。
 孫さんは1927年生まれ、4歳のときにお父さんと一緒に山東省から仁川にやってきた。彼は仁川のチャイナタウンを庭のようにして育ち、そこで華僑学校も卒業した。孫さんが成人した頃は、日本の敗戦を機に在韓華僑は以前にもまして精力的な経済活動を展開しており、仁川の街はまさに活況を極めていたという。
 1946年6月には中国で内戦が勃発し、瞬く間に共産党の解放区が広がっていた。そこから逃れようとする人々もまた仁川をめざした。ソ連占領下の北朝鮮地域から南に移動した人もいて、華僑人口はさらに増加、チャイナタウンの明かりも増え続けた。平和と繁栄を象徴するまばゆいばかりの光。しかし、それは一瞬にして消えてしまった。1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発したのだ。

中国軍の参戦
 孫さんも家族とともに戦火のなかを避難の途に着いた。周りの韓国人と同様、ひたすら南へと進み、大邱の親戚宅に身を寄せていたところでマッカーサーによる仁川上陸作戦の「吉報」を聞いた。
 1950年9月15日に仁川に上陸した国連軍は28日にはソウルを奪還、元気を取り戻した韓国軍とともに「ここで一気に統一を」とばかり、38度線を越えて北に進撃した。韓国は戦勝ムードに包まれており、孫さんも明るい気持ちで仁川に帰ったという。ところが翌10月25日、突如として中国軍が鴨緑江を越えて参戦、韓国全土は未曾有の混乱に陥った。
 華僑たちは中国軍の参戦をどう受け止めたのだろう? 
 孫さんの話によれば、韓国に入ってきた中国軍は華僑に対して、申し出れば故郷に送り返してやるというおふれを出していたという。それによって中国共産党を支持する一部の者は帰り、残りは再び釜山や大邱に南下して避難生活を続けたそうだ。
 華僑も東西イデオロギーの対立から決して自由ではなかった。国共内戦とそれに続く「二つの中国」への分裂は、世界中の華僑社会にも分裂をもたらした。たとえば日本の華僑総会は共産党支持と蔣介石支持で真っ二つに割れたし、東南アジアの華僑のなかには毛沢東路線にもとづいて武装革命をめざす集団もあらわれた。 
 韓国の場合は自身が分断国家であり、そこに共産主義勢力の存在は許されなかった。在韓華僑は韓国人とはイデオロギー的な同志関係とされ、朝鮮戦争にも在韓華僑が約200名、韓国側兵士として参戦している。華僑部隊の所属が国連軍ではなく、韓国陸軍内にあったことは意味深い。韓国は血統主義の国であり、華僑はそこで生まれた2世でも韓国籍をもたない、にもかかわらずだ。

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