移動する人びと、刻まれた記憶

第4話 赤い牌楼はいつできたのか?①
チャイナタウン復活を夢見た、二人の老華僑の思い出(前半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第4話です。今回は、釜山の「上海街」から華僑の人びとの話を語ります。

 前回の「釜山のロシア人街」について、読まれた方々から感想をいただいた。
 「韓国で映画の仕事をしていた90年代初頭、当時新進気鋭だった助監督さんがキノーと崔健のカセットテープを餞別にくれたのを思い出します」
 同時代を過ごした人々の言葉は、記憶の解像度をぐっと高めてくれる。ただし、韓国社会の変化は激しく、風景はどんどん更新されてしまう。
 「次回、釜山に行った時には、ぜひロシア人街にも行ってみたいと思います」
 それはおそらく無理だと思う。今もキリル文字の看板は残っているものの、ロシア料理の店などは数軒が残るのみ、新型コロナパンデミックを経て、街の様子はすっかり変わってしまった。はっきり言えば、もう以前のような「ロシア人街」の雰囲気はない。めっきり人通りの少なくなった街で、なんとか繁盛しているのは饅頭を売る店とワンタンが有名な老舗だけだ。そもそもこの街は「上海街」という名のチャイナタウンだったのである。

なぜ「上海街」なのか?
 釜山駅を出て、目の前の大通りの向こう側を見ると、中国式の赤い牌楼がそびえている。牌楼には「上海門」という金色の文字が刻まれており、門をくぐると赤い提灯が飾られた路地がある。いかにもそれっぽい街づくりになっているのだが、横浜中華街などを想像する人はがっかりするかもしれない。
 「チャイナタウンとは名ばかりで、中華料理店が数軒あるのみ」
 「テキサスタウンなのか、ロシア人街なのか、中国人街なのか……」
 旅行情報サイトの「釜山チャイナタウン」というページにも、韓国人による困惑気味のレビューが並んでいる。
 ただし中国人居住区→米軍相手の歓楽街→多文化の街というタイプの変遷は、釜山だけに限らず、チャイナタウンにはよくあることかもしれない。横浜中華街なども戦後すぐはヤミ市が広がり、その後に「外人バーの街」へと変化した。港町にはチャイナタウンとマドロス酒場がお似合いなのである。ちなみに横浜中華街が今のようなきらびやかな巨大観光スポットに発展したのは1980年代のグルメブーム以降だという。
 それよりも私が違和感をもったのは街の名称だった。なぜ「上海街」なのか? 韓国の華僑はほとんどが山東省出身であり、上海と地縁があるとは思えない。
 釜山市のホームページには「釜山の中の小さな中国、上海街」としてこのエリアが紹介されており、「上海街の入り口には釜山市と上海市の友好のシンボルである上海門がある」と書かれている。
 韓国と中国の国交正常化が1992年、翌93年に釜山市は上海市と姉妹都市協定を結んだ。それから6年後の1999年に上海市から寄贈された牌楼が上海門だった。

中国の牌楼外交?
 つまり上海門は街の歴史を物語る建造物というよりは、未来の中韓関係に向けたシンボル的な存在だった。ちなみに韓国にあるもう一つの牌楼、仁川チャイナタウンの赤い門も、2000年に中国の威海市から寄贈されたものである。なるほど、パンダ外交ならぬ牌楼外交である。
 実は中国はその頃、世界各地のチャイナタウンに牌楼を贈呈していたらしい。山下清海著『横浜中華街』(筑摩選書、2021年)には、「なかにはチャイナタウンの規模以上に立派な牌楼が建てられているところもある」として、2000年に上海からリバプールに贈られた高さ15メートルもの牌楼が紹介されている。
 「中国以外では最大規模の牌楼である。非常に立派な牌楼であるために、リバプールのチャイナタウンの衰退ぶりが、かえって強く感じられてしまう」(同書)
 釜山の「上海門」はそこまで巨大ではないが、それでも街の規模とはかなり不釣り合いだ。釜山市としては牌楼を中心にチャイナタウンを復活させ、観光地化する目的だったのだが、思い通りにはいっていない。「上海街」という名称がネックだという人もいるが、たしかに土地に刻まれた記憶を無視してはいけないと思う。
 韓国のチャイナタウンには、在韓華僑たちの特別な物語がある。

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