迷惑をかけあう社会に向けて

ケアってなんだろう?(後編) 

『ケアしケアされ、生きていく』の著者・竹端寛さんと、哲学者・永井玲衣さんに、ケアについて、また対話の大切さについて対談していただきました。ケアって福祉のことでしょ、自分には関係ないと(特に若い人は)思うだろうけれども、もっともっと身近で大事な概念なのだ。いつだって私たちはケアをする立場でもあり、される立場でもあるのだ。

 「開かれる」とは?

永井 竹端さんは、この本で「開かれる」ということについて、書いていますが、子どもは変に社会化されていないからこそ、開かれているというのはどういう意味ですか?

竹端 ちょっと感覚的な話をしますけど、小さい子どもといると、子どもは魂が開かれてるような気がするんです。まっすぐ向かってくるし、ちょっと父親が怒って「あかんのちゃうか!」って強めに言ったら、うわーって泣き出す。こちらの表情とか、思いを100パーセント受け止めるんです。そうすると僕は、なんてひどいことしてるんだろうと思う。それは、僕が親になってこの6年間、自分がいかに世間的な親の役割に縛られてるのかということを痛いほど感じてしまって、苦しいからなんです。

永井 苦しい……。

竹端 2022年に出版した『家族は他人、じゃあどうする?--子育ては親の育ち直し』(現代書館)という本に書いたんですが、「ちゃんとしなさい」って言葉、みなさん、「ちゃんと」ってどういう意味かわかります? 「ちゃんとしなさい」って子どもに言ってもさっぱりわからないんですよ。大人たちが知っている社会的合意、社会の規範が求める「ちゃんと」に自分を合わせなさいっていうことなんだけれども、子どもが4、5歳ぐらいの時には、そんなこと全く知りもしないわけで。「ちゃんとしなさい」って言っても、ポカンとしてる。それに対して、さらに「ちゃんとしなさいって言ったのに、なんでちゃんとしないの!」って追い詰めたら、ますますポカンとするわけ。

永井 かわいい。

竹端 そうかわいい(笑)。外から見るとかわいいって思うんだけど、やってほしくないこと、例えば、ポロポロ食べ物こぼすとか、机の上に足乗せてご飯食べるとか……そういう時に「ちゃんとしなさいって言ってるのに、なんでちゃんとできないの!」って怒っちゃう。その時に「ちゃんとしなさい」って言っている自分は子どもが受け取れる言葉を喋(しゃべ)っているのだろうか? と、はっと気づくんです。「ちゃんとしなさい」って、全く子どもは受け取れない言葉なわけです。つまり、「お父さんは、机に足を乗せてるのが嫌だから、おろしてくれない?」と具体的に言ったら、足をおろすかどうかは別にして、4、5歳の子どもでも伝わるんです。でも、「ちゃんとしなさい」は全く伝わらない。

ちゃんとしなさい、のちゃんと」って何でしょう?

竹端 実は、そこで僕自身が すごく飼い慣らされて生きていて、ちゃんとした規範の中で縮こまるようになってたんだっていうことに、初めて気づいてしまって、それが、43か44歳ぐらいだったんです。僕は、それまで好き勝手に生きてると思ってた。でも、実はちゃんとしなさいの世界に閉じ込められていたんだと、初めて気づかされた。話がだいぶ回り道しましたが、子どもが「開かれ」てるというのは、そういう「ちゃんと」というような規範の世界ではなく、純粋な心持ちを持っているということです。それに対して、僕は「ちゃんと」という規範の中に自分の心を閉ざしていて、それ以外の領域をなかったことにしていたということに気づいたんです。それを言葉にするのにすごく時間がかかって、編集者とやり取りしながら3年かけて前作の『家族は他人、じゃあどうする?』を書きました。

もう令和なのにまだ昭和98年の世界!?

永井  1作目はご苦労されて、そして、2作目は、するっと書けたんですね(笑)。この本は、とても読みやすくていいです。書きながら、竹端さんが一番わからん!と思ったことはどこですか?

竹端 この本は三つの世界で構成されていて、ひとつは僕が20年ぐらい接している20歳の大学生の世界、もうひとつはうちの娘、6歳の世界です。どちらも分からない部分もあるけれど、なんとなく分かる感じがある。そして、もうひとつが、48歳の僕の世界で、今年は令和5年ですが、昭和で言うと98年なんですよね。その昭和98年的世界を僕は本に書いたんですけど、一番わからないのは、昭和98年の世界です。

永井 一番わからない?

竹端 よく分かっているようでいて、よく分からないんです。令和の世の中になっているにもかかわらず、いまだに社会のOSは昭和なわけです。夫婦別姓にならないとか、男性中心主義型の働き方は変わらないとか、国会議員のクォーター制も導入されないとか。いまだに昭和が続いてるじゃないですか。この本でそれはなぜなのか考えたけど、やっぱりまだ全然答えがでてきません。

永井 社会がなぜまだまだこんなにも強固に変わらないのかっていうことが、わからないっていうことですか。
竹端 そうです。だって変わって欲しいじゃないですか。

永井 変わって欲しいですね。

2024年3月18日更新

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竹端 寛(たけばた ひろし)

竹端 寛

1975年京都市生まれ。兵庫県立大学環境人間学部准教授。専門は福祉社会学、社会福祉学。主著は『「当たり前」をひっくり返す――バザーリア・ニィリエ・フレイレが奏でた「革命」』、『権利擁護が支援を変える――セルフアドボカシーから虐待防止まで』(共に現代書館)、『枠組み外しの旅――「個性化」が変える福祉社会』(青灯社)、『家族は他人、じゃあどうする?』(現代書館)など。

永井 玲衣(ながい・れい)

永井 玲衣

哲学研究と並行して、さまざまな場所で哲学対話を幅広く行っている。エッセイの連載、坂本龍一・Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と将棋と念入りな散歩が好き。

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