選ばない仕事選び

第3回 仕事って何なのさ?

作家でありながら、自社での出版・同人誌制作、広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手がける、浅生鴨さんの新連載第3回。仕事って自分で選んで決めるもんじゃなさそう。出会いが大事!?

さて、この連載も三回目だ。僕はまったく働きたくないし、働くことをテーマにした原稿なんて僕には無理だとあれほど書いたから、さあこれで終了、このまま逃げ切れるだろうと思っていたのに、筑摩の編集者・鶴見さんは無情にも、そろそろ三回目の締切ですよとメールを送ってきたのである。残念。そう簡単には逃げ切れないものである。

しかたがない。それじゃ、まずは仕事って何なのか、働くってどういうことなのかを僕がどんなふうに考えているのかを書くことにしよう。

仕事とは偶然に出会うもの

僕にとって仕事とは向こうから勝手にやってくるものである。こう書くと、なんだか次々に仕事の依頼が舞い込む人気者みたいでエラそうだけれどもそうじゃない。自分から「これをぜひやりたいんです、やらせてください、お願いします」と頼み込んで始める仕事であっても、やっぱり向こうから勝手にやってくるものなのだ。

これはみんなにもよく知っておいて欲しいのだけれども、どんな仕事であっても、それはたまたま出会うものに過ぎないのだ。

ふと手にしたチラシに書かれていたアルバイトの募集であれ、学校の先輩に無理やり連れて行かれた現場であれ、一所懸命にがんばって採用試験に合格した会社であれ、それは自分で選んでいるわけじゃない。自分でその仕事を選んだつもりになっているけれども、本当はぜんぶ偶然でしかないのである。

本で読んだ、テレビや映画で観た、周りにその仕事をしている人がいる、先生や先輩から教わった、ネットで見た、親に勧められた、街の中で見かけた、その仕事をしている人にお世話になった、その商品を買った――

そうしたいろいろな出会いから僕たちは「なるほど、こんな仕事があるのか」と知り、その内のいくつかに興味を持ち、やがてその仕事をしてみたいと思うようになる。僕は働きたくないからあまり思わないけれど、たいていは思うようになる。きっとなる。積極的に思わなくても、まあ、これならやってもいいかなあと考える程度にはなる。だって、働かないと生きていけないのだからしかたがない。

もしも本で読まなかったら、先輩がいなかったら、街の中で見かけなかったら、その仕事があることは知らないままだし、やってみたいとも思わないだろう。そんな仕事があるのだと知ることがすでに偶然なのである。

僕たちは、カニの甲羅を削って呪い師が手術に使うメスをつくる仕事なんて知らないし、レモン農家の木梯子にできた小さな隙間を虫の粉で埋める仕事だって知らない。知らないから最初から仕事選びの選択肢に入らない。ところがスペインを旅行して、たまたま泊まった宿の裏にレモン農家があったとしたら。そのベンチに腰を下ろしているお爺さんに「ちょっと手伝って」と言われたとしたら。仕事が向こうからやってくる瞬間である。こうして僕は、木梯子の隙間を虫の粉で埋める仕事を始めるのだ。

偶然に乗っかる

僕にとって「働く」とは人生の偶然に乗っかることだ。自分からやりたいことなんて特にないから、いつだって偶然に任せるしかない。そうやって人に言われるまま、誘われるまま、頼まれるまま、内容も業種も関係なく適当にいろいろなことをやってきたのだ。

働きたくないのだといくらダダをこねても、なんとかゴロゴロ暮らしを続けようと企んでも、必ず仕事は僕を見つけて追いかけてくる。今の日本で暮らしている以上は、どうやっても仕事からは逃げ切れない。だったら偶然の出会いを受け入れるだけだ。もちろんやってくる仕事の内容なんてわからない。たいへんな苦労をする辛いものかもしれないし、気軽にできる楽しいものかもしれない。それはその仕事に捕まってみるまでわからない。そして僕はそれでいいと思っている。

みんなは学校で「将来はどんな仕事をしたいか」と聞かれるのだろうけれども、ほとんど知らないのだから本当は答えられるはずがないのだし、答える必要もない。とりあえずは知っている範囲の職業の中から適当に選んで答えるしかない。でも、そんなものはみんなの将来とは何の関係もない。今ある職業が将来もあるとは限らないし、今はまだ誰も想像していない職業がやがて出てくるのだ。だから考えすぎなくていい。

いずれ仕事のほうから勝手にやってくる。どれだけ逃げようとしてもね。

そうそう、あと一つだけ。カニの甲羅でメスをつくる仕事も梯子の間を虫の粉で埋める仕事も、僕が適当に考えたものだから今はあるかどうかわからない。でも、この原稿を読んだうちの誰かが「へえ、そんな仕事があるのか」と思ったら、それが将来、新しい偶然をつくりだすかもしれないぞ。