みんな”普通

第7回 「ずるい」と思ったとき、言われたときの対処法

「うらやましい」と思ったとき、「ずるい」とは言わずに、ある言葉に置き換えると人生はたのしくなるかも?

前回につづいて、「ずるい論」です。

自分が満たされていないときにいい思いをしている人がいたら、「うらやましい」とおもうことはある。ぼくだって、限界まで空腹なときに新鮮ないくらをたっぷりのせた炊きたての白米をうまそうに食べてる人を見たら、反射的にイラッとするかもしれない。

でも、「ずるい」なんて口にしていいことはいっこもない。一瞬だけ溜飲が下がったり言い訳ができたりするかもしれないけど、その向こうには引かれる、ハブられる、嫌われるというリターンに見合わない大損が待っている。

思ったことをぜんぶ言わないのが大人だし、社会性だ。子どもが「ずるい」と言うのは社会性がないからで、みんなはそろそろ大人になるわけだから永遠に封印したほうがいい。

だからぼくは、「ずるい」と思ったら「いいね」に言い換えてみるのをおすすめしている。「親に恵まれていいね」「就活うまくいってていいね」「帰国子女でいいね」。言えないときは、黙る。黙るが花だ。

 

そしてこれは社会に出てからかなり役に立つ処世術なんだけど、「ずるい」と卑屈になるんじゃなくて自分が「そっち側」に行こうと考えるといい。どうすれば自分もいくら飯を食べられるかを考えるわけだ。

20代の前半、ぼくがカメラマンのアシスタントとして勤めていた会社は、けっこうなブラック企業だった。超長時間労働だし、そもそもアシスタントだからこき使われるし。でもタバコを吸う人は謎の「タバコ休憩」が1日に何度もあって、ふらっといなくなっては喫煙所で10分くらいタバコを吸って戻ってくる。

ぼくは非喫煙者だったから、1日あたり優に1時間、ひどいときは2時間くらい喫煙者よりも長く働いていた。まったくおなじ賃金なのに。完全に「ずるい」案件だ。

そこでぼくはストローを短く切って指にはさんで、ときどきポンポンと灰をおとす仕草をしながら喫煙所でサボることにした。遠くから見たら立派な喫煙者だ。だんだん本物の喫煙者から本物のタバコをもらえるようになったから(火は点けないけど)、ストローは捨てた。

喫煙所にいりびたる前は知らなかったけど、大事な仕事は喫煙所で動くこともおおくて「仕事って会議室で決まるんじゃないんだな」とびっくりした。喫煙所コミュニティに身を置くことで、ほどよく休めるし、仕事はもらえるし、うまく進むし、ポジションも上がっていく。まさに「チート」だ。

後輩たちにもタバコをあげてサボり方を教えた、過労死になったら可哀想だもん。もちろん法律や就業規則に違反するのはぜったいだめなんだけど、抜け道の範囲であればどうすれば「うらやましい側」に行けるか考えるといいよ、とは息子にも話している。

これを「ずるい」と感じる人もいるかもしれない。でも「ずるい」と人を恨んで終わるより、自分が「いいな」とおもった側に行ったほうが人生はたのしい。真面目でいることはすばらしいし正しいんだけど、割を食うこともある。仕組みを変えるのは時間がかかるから、とりあえずは真面目でいるか得するか、どっちを取るかというのが社会のリアルだったりする。

ちなみにいまは、大企業を中心に喫煙禁止の会社も増えている(何万人も社員がいると1人1時間のロスがチリツモでものすごい損失になる)。でも、当時はまだそういう時代じゃなかったから、自分で自分のメリットを最大化させるしかなかったんだよね。

 

 

そしてこれはほんとうに大事なアドバイスなんだけど、「ずるい」という言葉をひんぱんに口にする人、本人にぶつけてくる人とはぜったいに付き合っちゃいけない。笑顔のまま、大きく距離を取ろう。兎よりも光よりも速く逃げよう。

なぜか。被害者意識が強くて社会性もないって、相当ヤバイやつだからだ。ある「いいこと」について「ずるい」と言う人は、ほかのことにも延々「ずるい」を繰り出してくる。こういう自分と他人の境界線がわからない人は、なにをしでかすかわからない。なにも指摘せず、注意せず、恨みを買わないように速やかにその人の人生から去るのがベストだ。

たとえその人が孤立していても情を持つのはあぶない。「理解のある彼くん」ポジションになったら、なかなか別れられないしえらい目に遭っちゃうよ。病気にならないためになにをすべきか学ぶ「予防医学」という学問があるんだけど、人間関係も同じ。ヘルシーに維持することが大切だ。癌みたいに、一度罹るといろいろ大変だから。

 

それと、若い人たちに知っておいてほしいことがもうひとつだけある。

幸せアピールをすると被害者意識が強くて社会性のない人から「ずるい」って石を投げられることを知っている賢者たちは、基本的に「幸せです!」と大きな声で言わない。だからネットを見ると世の中不幸な人ばっかりに見えるかもしれないけれど、ほんとうは幸せな人はいっぱいいる。

ぼくも高校生のころは暗い顔で電車に乗ってる大人を見て「大人はみんな不幸なんだ」と思い込んでたけど、実際は人生を楽しんでる人ってものすごくおおい。ふつうに考えて、電車の中でにこにこしないよね。

だから、社会が不幸な人ばっかりに見えて不安になることもあるかもしれないけれど、必要以上に怯えなくてもだいじょうぶ。安心して、幸せな人たちと幸せな人間関係を築いてほしい。