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社会は勝手だ。僕はそこに背を向けて生きてきた。
社会がロボット万歳に傾くのなら、あえてすべてを捨ててみるのはどうか。テクノロジーから遠ざかる生活。
だがそんなことは不可能だ。だいたい、こうして、ものを書く行為自体が、技術の産物に支えられている。キーボードやフリック、音声で入力するデバイスも、紙とペンも、自然にあるものではない。ログハウスなどをつくって生きる、などといったかたちで、世間で「自然とともに生きる」とイメージされている生活様式は、すでに十分に文明的なのだ。田舎暮らしをしたとしても、電気やガス、水道を使わないで生きるのは難しい。仮に使わないにしても、住処を作るために使うであろう斧やナタからして、自然物ではない。人工的な、技術の結晶である。もっとも、動物も巣作りするのだから、環境に対して何もしないことが「自然」なのだと言い切ることもできない。その線引きは難しい。
ではロボットだけを避けて生きることは? すでに社会のすみずみにまでロボットは進出している。せいぜいが家庭のなかに持ち込まないことくらいだろう。しかしそれすら「偏屈者」として扱われることは間違いない。かつて携帯電話やスマートフォンと呼ばれたモバイル通信端末が、いまではみな小型ロボットなのだから。ロボットなしで生きていくことは、第一次大戦のときに戦車を用いず戦争に臨もうとする国家に等しく、二一世紀にインターネットなしで生きるのに等しい行為である。
筋肉が衰えた老人用の機械を避け、「ロボットスーツ(アシストスーツ)を使わず、元気に生きよう」などと提唱している人間もいる。しかしそういう人間はアシストスーツ、強化外骨格を使わないかわりに「自分の遺伝子情報に合った科学的なトレーニングとサプリ」を推奨していたりする。結局それは、生身の身体に対するフェティシズムでしかない。特定の科学技術を避け、別種の(「自然っぽく見える」といった)科学技術を好んでいるだけだ。紀元前一五世紀、古代エジプト人は木と皮、あるいは石膏とにかわとリネンでつくった最古の義肢、人工のつま先を使っていた。ケガや糖尿病などでつま先を失った人々が、サンダルを履いて歩くために必要だったと推測されている。それくらいむかしから、文字どおり「テクノロジーは人間の一部」だった。テクノロジーを捨てたら、人間は人間でなくなる。
なぜ、ロボットや人工知能ばかりが恐れられ、特別なものだと思われたのだろう。だいたい「ロボットとは何か」についての明確な定義はない。同様に、人工知能と呼ばれているものも多様である。
つまり、イメージが一義に定まっていない。定まらないはずなのだ。
すると、普及の度合いの進展がどれだけになろうとも、絶えることなく世の一部に蔓延しているアンチ・ロボット、アンドロイド・フォビアの運動とは、一体なんだ。
理屈ではなく、イメージの問題だ。どんな時代にも、悲観的な人間、新しい技術に対して嫌悪を示す人間、何に対しても否定的で批判的な人間はいる。そういう人が標的として発見したのがロボットや人工知能だった。あるいは、かつてはネガティヴなイメージがマスメディアにとって都合よく、いまはポジティブなイメージのほうが何かと都合がよい。その程度のくだらないゲームに巻きこまれ、僕は汚名を浴びせられ、そして忘れ去られていった。これが悲劇でなくてなんだろう?
過大な期待とおそれを抱かせたものが徐々に普通のものに、必要不可欠のものになるというプロセスは、普遍的なものらしい。自動車の歴史もそうだった。むかし父に聞いた話によると、インターネットもそうだった。父が「アンダーグラウンドで、新しいものだった」と語った時代のネットを、僕は知らない。サービスロボットが奇異で新味のあるものであった時代を知る人間も、もはや少ない。
予算の問題から、刑務所の慰問をするのが人間から備え付けのロボットになったのはいつからだったろう。ロボットやアンドロイドによる漫才、落語、演劇、歌謡ショーは、「僕ならこう動かすな」とか「内部構造はどうなっているんだろう」という想像をおさえきれず、僕にはつらい時間だった。
ときどきボランティアで訪れるミュージシャンや俳優も、ロボットやアンドロイドを連れてくることが多かった。芦村雪のライブと桐生狭間によるロボット演劇だけは、彼らとアンドロイドとの関係にまつわるエピソードの披露もあって、とても印象に残っている。僕もできることなら、アンドロイドと、いい関係を築きたかった。
(「時を流す」(第二回)につづく[12月23日更新予定])