教科書で読む名作シリーズ刊行記念対談

国語教科書を編む
あの名作を選ぶ理由、選ばない理由

◆古典化と制度化

安藤 ひと頃、小説離れということが盛んに言われて、いまも基本的にはそうだけれども、逆に芥川龍之介を読んでいるということが大学生の間なんかではステータスになっている。

 芥川龍之介は、我々の学生時代は大変身近な、現代小説の一環みたいな気持ちで読んでいたけれども、いまの大学生から見ると立派な古典なんです。そこは発想を変えないといけない。高校生から見ると、「定番教材」と言われているものは「とてつもなく古い、昔の何か」なのかもしれない。太宰だって古典に入っちゃって、高校生に聞くと、芥川と太宰と、どちらが先だかわからない。もう「昔の人」という点で同じなんですよ。

紅野 そりゃそうでしょうね。

安藤 それはそれで、教科書の一つの功罪でもあるわけです。芥川も太宰もたくさん取り上げてきたから。

紅野 『伊勢物語』と『源氏物語』はどちらが先なのかわからない、というのと同じような状態になっているわけですよね。

安藤 『舞姫』なんかも教科書に載る「古典」なんですよね。同時代で見たら、『舞姫』の文章というのはかなり変わったものだったんだけど、定番教材になることによって、逆にスタンダードになってしまうという逆転現象が起こる。

紅野 たしかにあれはスタンダードではないですね。当時の代表はむしろ徳富蘇峰でしょう。でもこちらは教科書に載っていないから古典化していない。

 ただ、鷗外というのは非常に面白い書き手で、明治後半になってからの歴史小説みたいなものは、いま読んでみても、芥川とはまた別の意味で短編小説の面白さを教えてくれると思うんですよ。『最後の一句』などは、昔、中学二年生に教えた記憶がありますが、「小説とはこれだ!」というのを見せてくれる作り方をしていますよね。

安藤 中学の教科書では、ひと頃、近代小説は姿を消していたけれども、鷗外・漱石・芥川の三人に限定して「古典」とする動きがある。もちろん、読まないよりは読むきっかけになってくれれば有り難いけれども、そう安易に「古典」にしてほしくないという気持ちもあるし、複雑ですよね。

 それと古典化して読みが硬直化するのはつまらないですね。たとえば、芥川の『蜘蛛の糸』ですが、あれは、「人のことを考えないといけません」と非常に通俗的に捉えられがちな作品です。だからある教科書の解説文を書いたとき、敢えて「君もカンダタの気持ちになってみよう」というように促してみました。「自分だったらどうするか。当然、蜘蛛の糸を切るよね?」と。もう一つは、「お釈迦様って、かなり意地が悪いと思わない?」ということも書きました。最後につく溜息なんか、嫌みですよね。

 そういうふうにいろいろ面白く読める作品が教材になっているのに、どうしても道徳の教科書的な扱いをされちゃいがちになる。それで文学が嫌いになっていく子も、いるかもしれませんね。

紅野 そうですよね。学校教育の制度化の中に都合よく当てはめられちゃったら、文学なんか意味がなくなってしまいます。

安藤 先ほど『刺青』の話を出しましたけれども、川端康成も教科書には当たり障りのない短編が採られています。川端や谷崎の本質的なものはなかなか載せられない。

紅野 怖い世界がありますからね。川端でいえば『片腕』や『眠れる美女』とかね。危ない作家です。危ない男ですよ、ほんとに(笑)。

安藤 ほんとにね、ちょっと怖くて読めなくなるような作家ですよ。

紅野 川端の場合は一種のフェティシズムの問題があるし、谷崎にはトランスジェンダーの問題もある。それがもう一回浮上してこないといけない。そこを入り口にしてヤバい世界が広がるようなものを配置しているつもりなんです。まだ気づいてもらえていないという感じもあるけれども……。

安藤 検定自体は、実はそんなに面倒なことは言われないんですが、現場で使いにくいと言われると、採択されない。

──どこに検定意見がつくかは正直言ってわかりませんが、差別的なものはダメですね。それから暴力的な表現や性的な表現にも意見がつく可能性は高いですね。それと商品名など特定の企業等に関わる固有名詞……。

2016年12月22日更新

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安藤 宏(あんどう ひろし)

安藤 宏

1958年生まれ。近代日本文学研究者。東京大学教授。筑摩書房高等学校国語教科書編集委員。著著に、『太宰治 弱さを演じるということ』(ちくま新書 2002年)、『近代小説の表現機構』(岩波書店 2012年)、『日本近代小説史』(中公選書 2015年)、『「私」をつくる――近代小説の試み』(岩波新書 2015年)などがある。

紅野 謙介(こうの けんすけ)

紅野 謙介

1956年生まれ。近代日本文学研究者。日本大学教授。筑摩書房高等学校国語教科書編集委員。著著に、『書物の近代 メディアの文学史』(ちくま学芸文庫 1999年)、『投機としての文学 活字・懸賞・メディア』(新曜社 2003年)、『検閲と文学』(河出ブックス 2009年)、『物語岩波書店百年史1 「教養」の誕生』(岩波書店 2013年)、『国語教育の危機』(ちくま新書、2018年)などがある。

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