◆教科書編集会議の雰囲気
──まず最初に、一般的にはあまり知られていないであろう「国語教科書はどのように作られているか」を現場の雰囲気などとともにお話いただければと思います。
安藤先生・紅野先生は、いつ頃から編集委員をされていましたでしょうか。
紅野 僕がはじめて教科書の編集に参加したのは、二十八、九年ぐらい前だと思います。
各委員が採用したい教材を持ち寄って議論するんですが、当時は教材提案者が全部その場で朗読していました。四~五編朗読が続いた後に議論です。これはなかなか手間だなと思ったのを記憶しています(笑)。
安藤 僕が参加したのは、それから三年後ぐらい、二十五年ぐらい前だと思います。その頃から音読はなくなっていましたね。
一番びっくりしたのは、ワーッとたくさんの人がいて、みんなでワイワイガヤガヤやって作るのかと思ったら、そうじゃなかった。現代文の教科書なんかは四人で作っていた。これは筑摩書房の特色で、ほかの教科書会社とは違うけれども、少数精鋭で一気に作る。それで自分の意見が言いやすい雰囲気があって、それはいまでも感謝していますね。
紅野 研究者・学者がいろいろな意見を言って、それに高校の先生が現場からの意見を言う、という形でやりとりしながら進んでいきました。
教材の出し方にもタイプがあって、当時編集委員でいらっしゃった猪野謙二先生(一九一三―九七年:編集部注、以下同)は、めったに提案はされないんだけど、一度、志賀重昂の日記の一節を持ってきたことがある。漢文調で面白いんだけど、大学か大学院ぐらいのレベルの教材ですよね。もちろん、それはボツになったのですけど、勉強になりました。
安藤 だいたい編集委員というのは二つの層からなっているんですね。叩き上げの、教室で鍛え上げてきた人と、大学の教員。観点が違うから意見は必ずしも折り合わない。
大学の教員から見ると、「これはちょっと学問的に危ないんじゃないかな」というような教案もあるし、高校の現場の先生から見ると、「博物館の陳列ケースに入ってるみたいなものを持ってこられても困る」というような話になる。お互い、喧々諤々で揉んでいって最終的にまとまるわけです。
紅野 どんな教材を持ってくるかで、その人の文学に対する考え方・好み・構えが見えてきますからね。みんな「勝負!」という感じでやっていたんじゃないかな。
安藤 採用にはならないだろうけど、敢えて自分の主張するものをぶつけてくる人もいますよね。結局、一回教科書を作るのに百五十本ぐらい読みます。一回の改訂で差し替えられる本数なんて一桁ですが、そこに百本以上の候補が集まって、喧々諤々議論しているというのは、もっと一般に知られてよいことだと思います。
紅野 一つ一つの教材が良くても、アンソロジーだから、並べ方がまたたいへんなんですね。本当に良いものだけれども、この教科書の目次には入らなくて、泣く泣く落としたものがどれだけあったか。そういうことを、もっと知ってほしい気がしますね。