◆高校から大学へ、そして大人の鑑賞
――おふたりがいままで提案した教材で、一番印象に残っているのは何でしょう?
安藤 何だろう? 自分が出したんじゃないけれども、僕がすごく好きだったのは、さっき言った『ジョセフと女子大学生』。それから、江戸川乱歩は僕が最初に提案した記憶があるんですよ。乱歩に対する思い入れがすごくあって、だからある人に「引っ込めようよ」と言われたのは、いまでも恨んでいます(笑)。
紅野 僕が、自分で出したもので印象に残っているのは、『出征』なんですね。『出征』は難しいかもしれないけれども、訳がわからない形で招集されて、騙されたような形で戦線へ送られていく兵士の思い。そのときに、家族に連絡するかしないかの一瞬の決断。ああいうのは、実際に戦争状態を生きた体験として語っている数少ない教材だと思う。
それと、漱石だと『文鳥』。太宰は『トカトントン』。高校生ぐらいの頃は妙に生意気に、人生に意味はないんじゃないかとか、世界をわかったような感じになってくる時期でもある。そういう時期に出会うものということを考えたときに、『トカトントン』みたいなものを入れることができたというのは、すごく面白いと思っています。
安藤 『出征』には、武田泰淳の『審判』のイメージが重なります。どちらも、「だから戦争はいかん」ということに直ちに持っていくのではなく、ある極限状況に置かれたときに、「人間って何なんだ」と、もっと普遍的に問いかけてみたい。
『出征』か『審判』かと言えば、僕はどちらかと言うと『審判』に愛着があるんです。あれは非常に今日的な問題でしょう。当時の上海の置かれていた状況。国境が溶解していくような感覚は非常に今日的なテーマでもあるから、もっともっと取り上げてもよいと思いますね。
紅野 それから、三木卓の『砲撃のあとで』は僕が持ってきたんだよね。もう一つが、石原吉郎の『ある〈共生〉の経験から』。あの辺の文章に、僕は非常に惹かれていった。
安藤 太宰に関しては、『水仙』に愛着があります。『富嶽百景』は、太宰がどういう人だったかという方向に行きがちなんですよ。説明しやすいからね。それから、正確に読み解いていくと、実は富士山と心情とが必ずしも対応しない。そんなにきれいに対応したらかえって不気味ですが。だから、『富嶽百景』よりは『水仙』ですね。これは太宰の小説としてはあまり知られていないけれども新しい定番にしたいという思いが強かった。
紅野 『お伽草紙』も面白いね。このひねくれた感じが大好きです。
もう過去形になったと思っていた作家も、もう一回付き合ってみると、かなりいろいろ奥深い、面白い世界が開けていくように思いますね。どの作家を取り上げてみても。
名作が万能というわけではないけれど、そこから広がる世界があることを、ぜひ皆さんに知ってもらいたいと思います。今回のちくま文庫の「教科書で読む名作」シリーズはそれに最適じゃないでしょうか。
安藤 このシリーズは、大学の前期課程でもそのまま通用するようなアンソロジーになるという感じがします。高校と大学は接続してるということをあらためて実感しました。
紅野 ちょっと背伸びしている子には、ぜひ読んでほしい。もちろん、大人になって読み直していただくのもいい。先にも言ったように年齢を重ねて見え方がちがってくるのが、名作ですから。
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