冷やかな頭と熱した舌

第17回 
さわや、新店出すってよ 【後編】
―出版社へのお願い

■枻出版社さんへのラブコール

 僕ができる「」を発することとは、すなわち本屋で「体験」を売ることである。収入が減り、可処分所得が減少し続ける日本において、消費者が財布のヒモを緩める瞬間があるとしたら、それは「趣味」や「自分の体験において」である。分かりやすい例を挙げるなら旅だ。旅先で「せっかく来たのだから」「次はいつ来られるかわからないから」と自分に言い訳をしながら、日常の金銭感覚からすると到底考えられないような値段の商品に手を伸ばしたという経験はないだろうか。さわや書店の新店舗において、日常の延長線上にある「非日常」を演出することが、日常になったらきっと楽しいだろう。

 扱う分野の間口が広い書店では、趣味となり得るありとあらゆることのハウツー本がある。それら趣味に特化する本を出版し、トップランナーとして君臨するのは枻出版社さんだろう。
 枻出版社さんは、様々な「趣味」の分野を広く、かつ深くフォローする。例えば、釣り大会を書店で主催するといった場合を想像して欲しい。その催しに参加するためには、枻出版社の本を購入することを条件として掲げることにする。じつは枻出版社さんは毎年10月に感謝会と称し、増売に取り組んだ書店を会に招待してくれている。そういった付き合いのなかで確信を深めたことは、「書店は必要なものである」との哲学が浸透していること。そして同時に、その哲学を行動によって示す気概を有する出版社だから、釣り大会の広告費や協賛金、もしかしたらマニア垂涎(すいぜん)の景品までも供出してくれるかもしれない。それを求めて、マニアはこぞって枻出版社さんの本を買うだろう。
 なんだか枻出版社さんのことばかり書いているが、これは僕からのラブコールだと思っていただいて構わない。
 主催者である書店は、いかに多くの人々にイベントの開催を伝えるかに腐心すればよい。あ、もうひとつ。開催日に起こり得る「川に落ちた」「海まで流された」「モビィ・ディックに片足を食いちぎられて復讐の鬼と化した」などのリスクをマネジメントする必要があるので、書店で保険代理店も始めてしまえば一石二鳥だ。
 この他にも観光の窓口としての機能、地方の魅力を発信する役割、地域を活気づかせるイベントなどに関連して僕ら本屋が手掛けられることは無限に転がっている。
 先に挙げた「釣り大会」イベントに似たようなことを以前さわや書店フェザン店でやったことがある。新日本プロレス所属のレスラーのトークイベントを持ちかけられたのだ。その際には、新日本プロレスさんが指定する雑誌をお買い上げの方に整理券を差し上げたのだが、合計で100冊以上も売れてイベントは大盛況のうちに幕を下ろした。

■未来の書店の形とは……

ホンモノ」に触れる機会を、それぞれの地域の本屋が取り持つ。昨年の12月に開催された「文庫X開き」(第12回参照)のイベントだって、その気になれば入場料を取れるだけの催し物だったと、いま振り返ってみて思う。
 そうなのだ。書店は「巻き込める」のだ。「のびしろ」ならぬ、人と人とをつなぐ「のりしろ」のような余白は、たくさんある。だから僕は、未来の書店は総合イベント会社へと変貌するべきだと考えている。その第一歩として今度の新店を「」をまき散らす場として、本気でプロデュースするつもりだ。小手先のインチキ臭い「自己啓発型」のようなイベントや拝金主義的な集まりは、互助会的にまだしばらくは続くだろうが、その先に未来はないと思っている。実態のない夢を語り、プロデュース料をかすめ取るようなあり方ではなく、もっと地域に根差したあり方で僕らは本屋で有り続けようと思っている。
 さわや書店に勤め、面白ければなんでもありだと思っているガラパゴスな僕らは、個人的な体験である「本を読む」という行為を進歩させて、SNSとは対極にある「現実のつながり」と「実際の共有」のモデルケースにしてみせる。
 誰かの経験を効率よく伝達するために編まれた本から、「体験できる部分」を取り出しあえて手間をかけて直接伝え、それを入口として、より理解を深めるために本を購入していただく。1冊の本を売るために、「」を生み出すために、それを行うことを僕らは決めたのだ。情報を集積し、発信し、受け方までプロデュースできたとしたら、その時は僕たちの業界が娯楽の王様として再び覇を唱えることになると僕は信じている。


 3日目については書くことはあまりない。
 盛岡駅ビルのなかにもう一店舗できるさわや書店の新店へと思いを馳せ、大きな夢を膨らませて帰路へとついた。