あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈1〉推しの結婚相手が匂わせ女で、しんどいです……
☞ シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』がオススメ

「恋のツラみ」から「人づきあいのもつれ」、「職場でのつまずき」、「人生の難問」まで、世界文学をとおして、数々のお悩みに答えていく堀越英美さんの連載、始まります!

【お悩み】  推しのアイドルが結婚してしんどいです。嫉妬ではありません。すばらしい女性との結婚だったら、推しの部屋の壁になって二人のイチャイチャをずっと眺めていたいくらいです。でも結婚相手は、付き合っていることをSNSでこれみよがしに匂わせていたつまらない女なんです。私が推しにつぎ込んだお金が、匂わせ女の養分になるのかと思うと納得がいきません。

【お答え】 匂わせ女”とは正反対の、恋の火力を調整できる人間になろう!

 

◆〝強火〟のヒロインが恋した相手は……

あこがれの人が、気に入らない相手と結婚する。いくら不愉快でも、ファンの立場で-ことはあまりない。人の好いた惚れたは、いくら課金したところで、赤の他人がコントロールできるものではないからだ。どうしようもないことなら、心を静めるしかない。その方法を教えてくれるのが、イギリス文学の古典『ジェイン・エア』である。

幼くして孤児となり、伯母宅でいじめられ、厳しい寄宿学校に入れられたヒロインが、教養を積んで家庭教師としてお屋敷に雇われ、その家の主人と結婚するまでの物語。あらすじをまとめると、『ジェイン・エア』はシンプルなシンデレラストーリーにみえる。でも、ヒロインのジェイン・エアはシンデレラのようにけなげな女の子ではない。忍耐強くはあるが、自らの信念に照らして不当だと思われる扱いには敢然と抗う。いじめてくる伯母の子供たちと取っ組み合いのけんかをし、意地悪な伯母にも幼いながら理路整然と言い返す。はっきり意思表示をするジェインは伯母に疎まれて寄宿学校に入れられてしまうが、おかげで彼女は教師として自立する力を手に入れることができた。

さらに、彼女が恋するロチェスターも王子様ではない。家庭的な愛に恵まれなかったせいか女を見る目がなく、人格に問題のある美女たちに翻弄されてきた30代の中年男性である。さらにいえば、王子より追いはぎのコスプレがよく似合う、いかつい体格の持ち主だ。ジェインはお屋敷に入ってすぐに、その家の主人ロチェスターのことが好きになるのに、結婚するまで上下巻を費やすほど長いお話になっているのは、ロチェスターが現カノおよび元カノとごたついているせいなのだった。

◆好きな人のフィアンセは、性格の悪い匂わせ女

ロチェスターはジェインとの知的なやりとりを愉しみながらも、ミス・イングラムという上流階級の美女とホームパーティでいちゃつき、結婚したいと語る。彼女に比べれば、ジェインは教養はあるが身寄りのない10代の使用人にすぎず、容貌も地味だ。一方、ロチェスターは裕福な紳士である。19世紀の階級社会を生きる二人の隔たりは、現代における芸能人とファンよりも大きいかもしれない。ジェインはロチェスターのことがいくら好きでも、あきらめざるをえない。わかってはいてもジェインにはつらいことだった。これは嫉妬ではない、と彼女は思う。好きな人のフィアンセが、ジェインの教え子を子猿呼ばわりし、虫けらを見るような目で使用人のジェインを見る、性格の悪い女性であることがつらいのだ。

わたしの味わった苦悩は、嫉妬などという言葉では説明できなかった。ミス・イングラムは、嫉妬に値しない人、嫉妬の感情を起こさせないほど劣った人だった。(中略)派手だが純粋ではなく、容姿と才能に恵まれてはいても精神は貧しく、心は不毛な荒地のようだった。そのような土壌には、自然に開く花もなければ、自然に実を結ぶ新鮮な果実もないのだ。善良でもなく、独創的でもない。(上巻 p.370)

イングラム批判はまだまだ続く。このくだりを読んでも、ジェインがただの清純派ヒロインではなく、"強火"の女であることがよくわかる。ジェイン自身、自らの性質を「炎」にたとえて語っているくらいだ。

ジェインの目に映るイングラムは、たえずロチェスターに流し目をして、周囲に彼が自分のものであると匂わせる、愛のない女にすぎない。自分が結婚できないのは仕方がないとして、せめて結婚相手は気高く善良な女性だったらいいのに、とジェインは思う。そうであったなら「わたしは嫉妬と絶望という二頭の虎との死闘の後、心は食い荒らされ、引き裂かれていても、彼女の美点を認め、賛美して、人生最後の日まで安らかに過ごしただろう」(上巻 p.371)。推しの結婚相手に納得できない女性の多くが、「わかる」と思うだろう。

◆心を静めるために、ある作戦を

だが、ジェインは怒りの感情を表に出すことはなかった。ミス・イングラムの存在を知った時点で、心を落ち着かせるために、ある作戦をとっていたからである。その作戦とは、自画像を描くことだった。「ぼうっとかすんだ目を見開いて、始末に負えない分別なしの自分をよく見るがいい!」と自らを叱ったジェインは、自分の欠点を修正せずありのままにクレヨンで描くことで、身分違いの恋をあきらめようとしたのだ。

自画像の下には、「身寄りなく、不器量で貧しい家庭教師の肖像」と記し、上等な象牙紙にラクダの毛の絵筆で美しく描いたイングラムの肖像画には、「たしなみのある上流貴婦人」と記した。自分を盛ることを一切許さず、むしろライバルを盛る。なんという自分への厳しさ。ジェインが現代のSNSにいたとしても、雇い主に気に入られていることを匂わせるどころか、自撮り写真の加工すらしないだろう。

妄想を繰り広げる余地もないくらい両手を忙しく動かす作業は、ジェインの火力を調整するのに役立ったようだ。さらにジェインは自分がロチェスターに期待していいのは給料のみなのだから、親切な待遇に感謝するにとどめ、ロチェスターを「喜びや苦しみを向ける対象にしてはいけない」と自分に言い聞かせる。

全身全霊の愛を惜しみなく捧げるなどと、思い上がったことを考えるな。そんな捧げものは、喜ばれるどころか軽蔑されるだけなのだ(上巻 p.324)

◆強火と弱火を自在に操る

ファンが推しにしていいのは、推すことだけなのである。おかげでジェインは、面と向かってロチェスターにのろけられようが、平静を保ったまま賢い娘としてふるまうことができた。最終的に、移り気な女たちからこっぴどい仕打ちを受けたロチェスターのほうが、強火と弱火を自在に操るジェインを崇拝するようになるのである。

ジェインは炎のような女性だが、炎をコントロールする力も人一倍強い。地味な少女が愛される小説が、都合のいい妄想物語と片づけられることなく世界文学になれたのは、このストイックなジェインのキャラクターによるところが大きい。結婚がゴールとなる話で、「最後に選ぶのはやっぱりジェインだよな……」と読者に思わせることができなければ、長年読み継がれることはなかったはずだ。生まれながらの強い自我と、厳しい生い立ちによって育まれた異常なまでの克己心が、家柄にも美貌にも恵まれなかったジェインを魅力的な文学ヒロインにしてきたのである。

推しと結婚できるかどうかはともかく、この小説から学べるところは大いにある。『ジェイン・エア』にはジェインと対照的に、炎のような情熱を持ちながら、それをコントロールできずに愛する人に嫌われ、自他を燃やし尽くしてしまう女性も登場する。匂わせによる苦しみを表に出してしまえば、推しに「喜ばれるどころか軽蔑されるだけ」になりかねない。匂わせへの憎しみの炎は、匂わせとは正反対の行為、つまり感情を抑制する訓練に使ったほうがよさそうだ。

ジェインのように、たえず自分を客観視し、感情の表出にワンクッションを置くこと。人の恋路を止めることはできないが、誰かの人生の養分になるのか、あるいはその養分で自分の花を咲かせるかは選ぶことができる。自分の強火に焼き尽くされるか、火力を調整して愛をことこと煮込むか。それも自分の意思次第である。自分の人生のヒロインは、自分が演じるしかない。推しの部屋の壁になるのは、来世までとっておこう。

 

◎『ジェイン・エア』(上下)シャーロット・ブロンテ、河島弘美訳、岩波文庫                        

シャーロット・ブロンテ(1816―55)は英国の小説家。ヨークシャーの牧師の家に生まれ、5歳のとき母を失う。ブロンテ三姉妹の長姉。少女時代から、弟妹3人とともに空想的物語「アングリア」を共作するなど創作に熱中。20代で、二つの家庭で住み込みの家庭教師をし、辛い日々を送る。その後、ブロンテ寄宿学校開設準備のためブリュッセルに留学。この計画は失敗に終わり、妹たちとの共同詩集を自費出版し、次いで小説執筆に取り組む。『教授』を書き上げたものの、出版社から刊行を拒否され、次作『ジェイン・エア』が1847年に刊行されると、大評判となる。以後、『シャーリー』(1849)、『ヴィレット』(1853)を刊行。1854年、牧師ニコルズと結婚するも、翌年、38歳で死亡。 (編集部)