あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈15〉ネットに悪口を書き込むのがやめられません
☞ スティーヴンソン『ジキルとハイド』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】私は真面目な会社員です。理不尽な上司や同僚に仕事を押し付けられてもいやな顔一つせず、飲み会でいじられてもみんなを不快にさせないように気を遣っています。そんな私のストレス発散方法は、善人ヅラ・被害者ヅラしている奴らの悪口をネットに書き込むこと。善良な自分が評価されないのに、社会正義をふりかざして善人ぶっている奴らが許せないのです。いいねがたくさんついたり、‶信者〟を論破したりすると、普段味わえない爽快な気持ちになれます。匿名でも誹謗中傷で訴えられることもあるときいて怖くなりましたが、いつもと違う自分になれる楽しみを捨てられそうもありません。

【お答え】『ジキルとハイド』を読んで、闇の人格に乗っ取られる怖さを体験しよう

 

二重人格の代名詞としてあまりにも有名であり、有名でありすぎるために読まれる前から盛大にネタバレしてしまっている名作『ジキルとハイド』。だが、ハイドがはたらいた具体的な悪事や、人格が入れ替わる理由、最終的にジキル博士がどうなるのかまでは、あまり知られていないのではないだろうか。

◆ハイドは「踏みつけおじさん」

舞台は19世紀のロンドン。閑散とした平日の裏通りに、曲がり角で鉢合わせた幼い少女を平然と踏みつけ、そのまま立ち去ろうとする男が現れた。幸い目撃者が彼をつかまえ、女の子は家族が連れてきた医者にみてもらうことができた。目撃者が驚いたのは、鬼畜な所業もさることながら、一目でおぞましさを感じる不快な容姿だった。集まった女たちは鬼のような形相で男を見つめ、医者まで嫌悪で顔を真っ青にしている。ところが男は平然としたもの。被害の告発を受けても、「あんたらがこのことを利用する気なら、こっちとしても打つ手がない(…)さあ、金額を言ってくれ」(p.14)と自分こそ被害者であるかのように開き直り、裏通りの家に彼らを連れていって小切手を渡した。この「ぶつかりおじさん」ならぬ「踏みつけおじさん」こそが、極悪人ハイドだった。

目撃者からハイドの話を聞いた弁護士アタスンは、小切手の署名が自分の旧友であるヘンリー・ジキル博士だったと知って当惑する。アタスンはジキル博士から、自分が死んだら友人のハイドに遺産を相続させるようにという内容の遺書を預かっていたからである。医学と法学の博士号を持つ名士であるジキル博士が、なぜそんな悪人の面倒をみているのか。アタスンは、皆が口を極めて不快だというハイドの姿を見てみたくなり、彼が入っていったという裏通りの家に通い始めた。ハイドが現れるとすぐにわかった。彼は人間とは違う種族に見えるくらいの小柄さだったからだ。

ここまで読んで、疑問に思う人は多いだろう。ジキルとハイドは二重人格で同一人物のはずなのに、旧友も気づかないほど骨格レベルで見た目が違うのだ。実はジキルとハイドは、一般的にイメージされる二重人格とは異なっている。

◆暴力的な別人格を作り出してストレス発散

ジキル博士は人当たりのいい高潔な表の顔の裏側で、快楽への欲望を捨てられないことに苦しんでいた。普通の男ならやんちゃとして自慢するレベルの不品行も、プライドの高いジキル博士は恥ずべき行為としてひた隠しにするしかなかったのだ。ジキル博士は悩んだ末、医学の知識を駆使して、自分の中の悪の領域を分離させる方法を編み出す。ジキル博士は自ら発明した薬品を飲むことで、自分を安全圏においたまま、ハイドとして姿形を変え、道徳から解放される自由を楽しんでいたのだった。二重人格というと、不可抗力で人格が入れ替わってしまうイメージがあるが、ジキル博士は当初、自らの意志で別人格になっていたのである。真面目な医師が、日々のストレスから匿名のソーシャルネットで他人を「踏みつけ」る行為に近いかもしれない。

やがてハイドは、ジキル博士が脳内で思い描いていた不品行レベルではない悪事を犯し始める。やりすぎでは?とジキル博士は思いながらも、昼間の自分には関係ないと、良心を鈍麻させてやり過ごす。そうこうするうちに、薬を飲んでもいないのに就寝中にハイドに変身することが増えてきた。ジキル博士にとって、抑制ばかりの人生よりもハイドの人生のほうがはるかに楽しかったせいだろう。おびえたジキル博士は変身の薬を飲むのをやめて清らかな日々を送るが、一度解放の喜びを知った悪のエネルギーは増える一方だった。衝動に耐えかねて久々に現れたハイドは、ロンドン中を震撼させる凶悪事件を起こしてしまう。しかも凶行に使った杖は、アタスンがプレゼントしたものだった。

証拠まで残してしまっては、ジキル博士の紳士人生は風前の灯。もう何があっても絶対に変身しないという決意を固め、ジキル博士は慈善活動に精を出す。今の自分は善人そのものだと思えたころ、ジキル博士はまたもやハイドに変身する。薬もなく、寝ていたわけでもないのに変身したのは初めてだった。ジキル博士の体は、もはやハイドに乗っ取られつつあったのである。

◆無敵の別人格にのっとられる恐怖

ハイドがジキル博士に比べて小男だったのは、高潔な自分であるためにハイドの部分を抑圧していたからだと博士は告白する。しかしひとたび解き放たれたハイドは、攻撃性と憎悪を行動に移すことによって、自らを成長させ、より強い存在となった。これまで築き上げた人望や人間関係を失うことを恐れ、罪の意識に苦しむジキル博士に対し、失うもののないハイドは何も悩む必要がなく、ひたすら快楽的に人を痛めつけることができる。ハイドがジキル博士に勝つのは必然だった。結果としてハイドは、ジキル博士の人格そのものを食い破ってしまったのだ。

この人格逆転は、現実生活では善良にふるまっている人びとが、攻撃性と憎悪をすぐに行動に移せるソーシャルメディアの即時性のなかで、抑圧された悪の部分を成長させていく過程に似ている。ソーシャルメディアで憎悪を煽っているインフルエンサーのアカウント開設当初の投稿を見ると、ごく普通の日常を自虐的につぶやいているだけということも珍しくない。

善良さしか持ち合わせていない人間はめったにいない。私たちの多くは、常に心にハイドを抱えている。だが、自分の中の善と悪を切り離し、悪を匿名の場所で発散しようとしても、やがては善の部分すら侵食されてしまう。悪の部分を隠そうとすればするほど、ふるまいが挙動不審になり、善良だという評価も得にくくなるだろう。何をされても耐え続ける人が、本音を隠していて何を考えているのかわからないと敬遠されることだってある。

「善人ヅラ」「被害者ヅラ」しているように見えるネット上の他者への苛立ちは、もしかしたら感情を抑圧して「善良な被害者」に甘んじている自分への苛立ちなのかもしれない。現実生活のなかでストレスがあるのであれば、別人格でストレス発散するより、現実で抗うほうがいい。自分の中のハイドとジキルを統合し、現実の理不尽に対する感情を理性的に表出する練習をしてみてはどうだろうか。

 

◎『ジキルとハイド』ロバート・L・スティーヴンソン著、田口俊樹訳、新潮文庫、2015年

スティーヴンソン(1850-94)はイギリスの小説家、詩人。スコットランドの首都エディンバラに生まれ、病弱な幼少期を過ごす。その頃から詩や小説に親しむ。エディンバラ大学で工学と法学を学び、卒業後は弁護士に。30歳の時、連れ子のいるアメリカ人女性、フランセス・オズボーンと結婚。83年に冒険小説『宝島』を刊行し、一躍文名を上げた。86年には『ジキルとハイド』を発表。88年、以前より悩まされていた肺疾患の療養のため、家族とともに南太平洋に赴き、タヒチ、ハワイなどを経て90年にサモア島に定住。現地の人々から「ツシタラ」(語り部)と呼ばれ、慕われた。94年に死去。享年44であった。

 

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