あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈9〉やる気のないわが子を、中学受験から撤退させるべき?
☞ オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】わが子が自由な校風の中学に行きたいと言い出したため、大手中学受験塾に通わせています。地頭がいいので入塾当初はアルファという一番良いクラスだったのですが、ガツガツ努力する性分ではないせいか、学年が上がって授業時間と宿題の量が増えるにつれ、下のほうのクラスになってしまいました。そこで「お前が受験したいといったから高い月謝を払ってる。やる気がないならお金の無駄だから塾をやめなさい」とハッパをかけたところ、「もうやめる」と言い出す始末。子どもの将来のために続けさせるべきか、子どもの意思を尊重すべきか迷っています。

【お答え】『すばらしい新世界』を読んで、序列意識に対する自分の価値観を見極め、親の責任のもとに方針を打ち出そう。

 

◆アルファ胎児がエリートになるディストピア

ジョージ・オーウェル『一九八四年』に並ぶディストピア小説の名作『すばらしい新世界』は、家族制度や出産が消滅し、人間が人工的に作られる架空の未来社会「新世界」が舞台である。ほぼすべての人間は人工授精によって瓶の中で培養され、エリート階級であるアルファとベータの胎児は美しく賢く、労働者階級であるガンマ、デルタ、イプシロンに振り分けられた胎児はわざと醜く知能が劣るように操作される。生まれた子どもたちは階級ごとに集団で育ち、徹底的に管理された環境で教育を受ける。「親ガチャ」ならぬ「瓶ガチャ」ですべてが決まる世界。こう書くといかにも暗い社会だが、人々は意外に明るく暮らしている。たとえばベータの女性は、睡眠学習でこのように聞かされながら育つ。

「アルファの子は灰色の服。わたしたちよりずっとたくさん勉強する。すごく頭がいいから。わたしはベータでほんとによかった。あんなにたくさん勉強しなくて済むから。ガンマやデルタよりもずっといい。ガンマは莫迦。みんな緑色の服を着ている。デルタの子はみんなカーキ色の服を着ている。いやだ、デルタの子とは遊びたくない。イプシロンなんてもっとひどい。頭が悪すぎて読み書きもできない……」(p.41)

一方、熱帯で働く労働者階級は、胎児の段階で条件付け学習によって寒さを嫌い、暑さを好むように仕込まれる。こうして人びとは下を見下し、上を哀れみながら、誰もが自分の境遇に満足して過ごす。

◆タワマン文学のような新世界

アルファやベータたちの人間関係には、タワーマンションを舞台に高学歴男女の格差や嫉妬を描く現代の「タワマン文学」的な面白さがある。グラマラスなベータ女性レーニナを40階建てのタワマンに連れ込むアルファ男性ヘンリー。アルファだが培養時のミスで労働者階級並みに貧弱な身体をもって生まれ、コンプレックスを抱えているバーナード。レーニナを一途に愛するバーナードは、彼女をエロい肉扱いしてもてあそぼうとする周囲のアルファ男性たちに我慢がならない。もっと最悪なのは、「あの娘が自分のことを、自分でも肉みたいに思ってることだ」(p.78)。妊娠や性病の心配のない新世界では、女の子は誰とでも気軽にセックスする。バーナードは思い切ってレーニナをデートに誘い、すぐにベッドをともにすることができたが、虚しさを感じずにいられない。

バーナードはさみしさのあまり、「連帯のおつとめ」という乱交パーティに参加する。しかし他のメンバーのように盛り上がることができない。印象に残るのは、女の子のつながった眉毛のことだけ。

アルファの中で孤立しているバーナードと仲良くしているのは、顔面とコミュ力が最強で、何百人もの女の子と寝ているとうわさされるアルファ男性ヘルムホルツだ。現状肯定の感情をかきたてるコピーライティングの才に恵まれた彼も、優秀すぎてやはり孤立している。

◆恋愛と家族愛は労働の敵

ディストピアのはずが、やけにバブリーな雰囲気が漂う新世界。ここでは人々が社会に不満を抱いたりしないよう、すでにリベラリズムや文化芸術が絶滅に追いやられている(自意識と個性が強くなりすぎた者は島送りになる)。その代わりに、憂鬱を吹き飛ばす麻薬のような薬「ソーマ」が配給され、キスの触感を味わえる感覚映画などの娯楽がたっぷり用意されている。さらに新世界の子どもは幼いころからエッチな遊びを推奨されて育つので、職場で女性の尻をさわるのがエチケットというくらい、エロが日常にあふれている。清潔に管理されているはずの未来世界で、昭和日本のようにエロが蔓延しているのは、ちゃんと合理的な理由がある。性欲を少しでも堰き止めると、あふれた欲望が愛というクソデカ感情に育ってしまうからだ。

資本主義社会の歯車として安定した労働力を提供するには、「気がたしかで、従順で、現状に満足し、安定した人間」(p.60)でなければならない。相手のことで頭がいっぱいになってしまうロマンティックラブや、子どもの保護を最優先する家族愛は、社会の安定を乱すもととなる。だから絶えず性欲を発散してロマンティックラブに至らないようにし、その延長線上の家族愛が生まれないようにしている。新世界では、一夫一婦制の恋愛と家族愛はおぞましい悪徳なのだ。

 堰き止められた衝動はあふれ出る。あふれ出たものが感情となり、情熱となり、狂気にもなる。(…)堰き止められない流れは、定められた水路をよどみなく流れて、おだやかな幸福に至る。(…)瓶から出された赤ん坊が泣きわめく。すると、保育士が外分泌物(ミルク)の容器を手にして駆けつける。感情は、欲求と充足との時間差に潜んでいる。その時間差を短縮し、過去の無用な堰をすべて破壊せよ。(p.62)

昭和日本においてセクハラが蔓延し、会社帰りに連れ立って風俗に行くような文化が存在したのも、労働者を家族愛から切り離して効率的に働かせる効果が確かにあったからだろう。家族を大事に思い、ケアし、一緒に過ごしたがる労働者になってしまうくらいなら、即物的なエロと娯楽を適宜与えて孤独なままにおくほうが合理的だ。今だって、子供の看病で休む労働者よりは、家庭に居場所がないのでサービス残業もいとわず働く労働者のほうが企業に好まれることに変わりはない。1932年出版の小説の中の世界とは思えないくらい、新世界は理にかなったしくみで動いている。しかも新世界は、少子化とは無縁だ。

バーナードはレーニナにせがまれて「野人保護区」の観光旅行に出かける。野人保護区は旧世界の暮らしをしている野人が隔離されている区画で、新世界では消滅した結婚、出産、病気、老化、さらに「文学」が生き残っている。そこで二人は、孤独感からシェイクスピアを愛読し、隙あらばシェイクスピアの引用を会話に混ぜ込むジョンという青年に出会う。文学や一夫一婦制の恋愛が生き残っている「人間的な」世界がいい感じに描かれているかというと、そうでもないのが本作の一筋縄ではいかないところだ。後半は、シェイクスピア仕込みの激情を抑えられないジョンが新世界で起こす騒動が中心に描かれる。

◆新世界と中学受験の相性

新世界の労働者が本当に幸せなのかどうかをいぶかしむジョンに、新世界を統治する世界統制官はこう答える。「疲れない程度の軽い労働を七時間半やれば、あとは配給分のソーマとゲームとフリーセックスと感覚映画が楽しめる。それ以上、何を求める?」(p.311)。現代でも、リベラルや人文系が排除され、金稼ぎとフリーセックスと娯楽だけで回る新世界を好もしく思う人は多いのではないだろうか。そしてそう思える人は、おそらく中学受験のシステムと相性がいい

中学受験マンガ『二月の勝者ー絶対合格の教室ー』(高瀬志帆)には、業界トップの中学受験塾が、入塾を検討している保護者に対し、災害時の避難経路も成績順に優遇していると説明するシーンがある。このような塾が実在しているかどうかはともかく、命の序列をつけるような反リベラリズム的な価値観を塾がわざわざ告げるのは、親子をふるいにかける意図があるのだろう。いちいち反発するような人間は、序列意識を子どもに刷り込むことで競争心を駆り立てて、効率的に知識を詰め込むシステムについていけそうもない。いってみれば「新世界」のような階級社会に違和感を抱かないタイプの人間のほうが、子どもを成績で序列化する中学受験のシステムに適応して、偏差値の高い学校に進みやすいのだ。

新世界のエリートのように「○○クラスのやつはバカだから仲良くしたくない」という人間に育っても、親が考える子供の幸せを優先するか。あるいは、子どもが「不幸になる権利」を求めたとしても尊重できるくらい自分はリベラリストなのか。きれいごとならいくらでもいえるが、格差社会を生きる以上、私たちは序列意識とまったく無縁ではいられない。結局のところ子育ては、どこかで親の価値観の押し付けにならざるをえない。だから「子どもが選んだから」などと子どもの責任にせず、自分の価値観を直視して、親の責任において決めるしかないのだと思う。親が「おまえのためを思って」式の言葉でごまかしたりせず、はっきり自分の価値観を示せば、反発するにせよ同意するにせよ、子どもも子どもなりの価値観で向かってきてくれるだろう。

 

◎『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー、大森望訳、ハヤカワepi文庫、2017年

オルダス・ハクスリー(1894-1963)は英国の小説家、評論家。生物学者のトマス・ハクスリーを祖父に、同じく生物学者のジュリアン・ハクスリーを兄に、文芸誌の編集長を務めたレナード・ハクスリーを父に持つ。1908年、医者を志してイートン校に入学するも角膜炎を患い退学。2年後、視力がある程度戻り、オックスフォード大学のベイリアル・カレッジに入学、文学と言語学を学ぶ。1916年には第一詩集『燃える車輪』を、21年には初の長編『クローム・イエロー』を刊行。以後、小説や評論、旅行記といった幅広い分野で活躍し、32年に『すばらしい新世界』を刊行。同作はオーウェルの『一九八四年』と並び、ディストピア小説の傑作として広く知られる。63年、舌癌のため死去。享年69。(編集部)

 

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