あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈2〉 久々に帰省したら、親が妄想をこじらせてまして…… 
☞ セルバンテス『ドン・キホーテ』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。第2回のお悩みは……

【お悩み】 久々に実家に帰ったら、親がよその国の人の悪口ばかりいうようになって辟易しています。どうやら退職後はスマホで差別的な動画ばかり見ているようなんです。たしなめても「お前もパヨクか!」「マスコミに洗脳されてる!」とまくしたてられ、取りつく島がありません。常識人だった昔の親に戻ってほしいです。

【お答え】正論を持ち出さず、親の「ぼっち」感が軽くなる物語を用意してみよう!

 

◆ ひまをもてあました名士の暴走

時間とお金がありあまっていてやることが特にないと、架空の物語にのめり込みすぎて妄想をこじらせてしまうことがある。近代小説の出発点といわれる『ドン・キホーテ』もまた、YouTubeならぬ騎士道物語の読みすぎで暴走してしまう中高年を描いた物語だ。

スペインの片田舎に住む50がらみの名士アロンソ・キハーノは、暇をもてあましていた。先祖伝来の家や畑があり、家事は家政婦や同居の姪が、畑仕事は使用人がするので、やることといえばその管理だけなのだ。ありあまる時間を、彼は騎士道物語を読むことに費やした。広大な畑を売り払って買い集めた騎士道物語を夜も寝ないで読みふけった彼の頭の中は、かっこいい騎士、冒険、魔法、バトル、美しい姫との純愛によって満たされてしまう。

やがてアロンソは、自分こそが立派な騎士であると思い込むようになった。馬にまたがり危険をものともせず冒険の旅に出て、悪と戦い、自らの名を揚げ、国士となるのだ。さびついた武具を引っ張り出し、痩せ馬に「ロシナンテ」というかっこいい名をつけたアロンソは、自らにもドン・キホーテという騎士ネームをつけて村を出発した。

とはいえ、騎士道物語と違って周囲は何もない田舎である。彼はなんでもないものを敵に見立て、攻撃をしかけていく。風車を悪の巨人だと思い込んで突撃して吹っ飛ばされるエピソードは、あまりにも有名だ。このエピソードが広く知られているせいか、ドン・キホーテには「向こう見ずな勇気をふるう夢想家」というポジティブなイメージがある。ディスカウントストアの名前に使われているくらいだ。

だが、ドン・キホーテのやることはかなりはた迷惑である。貴婦人の馬車の前にいただけの修道士を姫を誘拐する妖術師だと思い込んで暴行する。羊の群れを軍隊だと思い込んで槍で何匹も突き殺す。金だらいを頭に載せてロバに乗っていた床屋を黄金のかぶとをかぶった騎士だと思い込んで金だらいと馬具を奪う。王妃が閉じ込められている城だと思い込んで水車に立ち向かい、無断借用の小船を壊す。葬列を悪魔と思い込み僧侶の足の骨を折って食糧を強奪する。もうむちゃくちゃである。悪気がまったくないのに、ここまで凶悪な犯罪を犯せるのが逆にすごい。

もちろん暴行をふるってただではすまない。ドン・キホーテは従者のサンチョ・パンサとともに、行く先々でボコボコにされる。倒れて村に帰ってきたときは、これ以上妄想に取りつかれないように蔵書を燃やされてしまったが、それでもドン・キホーテは旅をやめない。何しろ世の中は、自分たちがやっつけなければならない不正や悪でいっぱいなのだから。ドン・キホーテにとっては、姫との出会いを夢見ながら仲間とともに「敵」と戦うより満足できることなんて、ほかにないのだ。オチが基本フルボッコだとしても。

最終的に、彼の狂気を心配した村の学士が扮する騎士との戦いに敗れたことで、ドン・キホーテは村に帰ることになる。純粋なドン・キホーテは騎士の約束とあらば武装を解くこともいとわないが、さりとて元の田舎紳士には戻れない。家に帰ったドン・キホーテは、サンチョや司祭、学士らと一緒に羊飼いになり、姫に捧げる恋の詩を作ろう、と新しい夢を見始める。勝手に司祭と学士のペンネームまで決めてしまうドン・キホーテに司祭らはあきれつつも、騎士となって出歩かれるよりはましだと考え、ドン・キホーテの妄想につきあってあげようとする。

すっかりいい気分になったドン・キホーテだが、姪と家政婦からたしなめられる。羊飼いは、恋の詩を書いていればいいなんてのんきな職業ではない。夏も冬も野外で羊の世話をする肉体労働が、ドン・キホーテに務まるわけがない。そんなしょうもない夢を見ずに家でまっとうな生活をし、財産を管理して貧しい人を援助してあげてほしい。二人の願いはごもっとも。だが、物語の中でしか生きられなくなったドン・キホーテに、正論は致命的だった。

ほどなくして、ドン・キホーテは熱病に倒れる。先が長くないと悟ったドン・キホーテは知人を集め、自分は理性を取り戻し、騎士道物語がいかに荒唐無稽でまやかしに満ちていたかがわかったと宣言した。だが正気に返ったとたん、ドン・キホーテは死んでしまうのだ。

◆ サンチョ・パンサの知恵に学ぼう!

ドン・キホーテのように、分別盛りの年代の人が誇大妄想に染まるのは、珍しいことではない。

たとえば数年前、在日外国人を攻撃するブログに扇動され、弁護士に根拠のない懲戒請求を出した多数の人々が損害賠償を求められる事件があった。懲戒請求を出した一人は、弁護士が開いた会見に同席し、退職して仲間がいなくなった疎外感から差別的なブログにはまってしまったと反省の弁を述べたと報じられている。彼はブログを読み込むうちに、面識のないブログ主を大きな力を持っている人だと思い込み、ブログ主の呼びかけに応じて懲戒請求を出してしまったのだと会見で語った。「日本のため、正しい運動をしているという正義感や高揚感がありました」。

弁護士によると、ほかにも「今まで知らなかったような『日本人はスゴイ』『正しいことをしていた』という発見がたくさんあった」からブログにはまったと語る者、懲戒請求をすることに「時代を変えられる高揚感を抱いていた」と謝罪する者もいたという。懲戒請求した人の年代は、「40代後半から50代」が多く、60代、70代もいたそうだ。

少年少女が何者でもない自分に焦りを感じて、秘められた力を持つ物語のキャラクターになりきったり、「漆黒の騎士」といった二つ名をつけたりする現象を、俗に「中二病」と呼ぶ。自らに「愁い顔の騎士」と二つ名をつけるドン・キホーテが「中二病」的なのも、きっと偶然ではない。歳を重ねて人間関係が希薄になるにつれ、何者でもない自分のままで人生が終わってしまうという焦りが再び頭をもたげてくるということもあるだろう。そんなとき、騎士道物語ならぬネットの物語にとりつかれ、仲間と一体となって妄想上の「大きな敵」を叩くことで、ヒーロー感覚を味わいたくなるのもわからないではない。

親がそんな状態にあるとき、子供の立場からたしなめても、素直に聞き入れてくれることは稀だろう。子供に従えば、自分の衰えを認めることになってしまう。正論でやりこめたところで、根っこに疎外感や空虚感を抱えている場合は、ドン・キホーテのように生きがいを失って病気になりかねない。とはいえ、家族相手に陰謀論を口にする程度ならまだしも、懲戒請求の例のように他者への攻撃に転じる可能性があるなら、なんらかの対処はしたい。

そういうときはサンチョ・パンサのドン・キホーテ操縦法にならおう。ドン・キホーテが妄想上の姫に会いたがったとき、サンチョ・パンサは彼の妄想気質を理解していたので、粗野な田舎娘を連れてきて、魔法にかけられているだけだと言いくるめた。

同じように、代わりになる物語を用意するのはどうだろう。YouTubeや陰謀論よりもヒーロー気分を味わえる物語を提供するのだ。たとえば、アジアを含む海外の映画やドラマを多数扱っている動画配信サービスに契約する。仲間と一緒に敵と戦いたい欲を満たすために、最新のゲーム機を買い、すぐに遊べるようにセットアップしてあげる。動物好きなら、保護猫ボランティアなど弱い動物を救う活動を勧める。ときどき連絡を取って、おすすめのドラマや映画について教えを請うたり、一緒に対戦してあげれば、親の疎外感もいくらかまぎれるだろう。

つらいときは、妄想だとわかっていながらドン・キホーテに付き合ってしょっちゅうボコボコにされるサンチョ・パンサの忍耐強さを思い出して乗り切ろう。メディアを通じて魅力的な物語に触れ過ぎた現代人が、物語性の薄い自分の人生を生き切るのは、誰であれ難しいのだから。

 

◎『ドン・キホーテ』(全6巻)セルバンテス著、牛島信明訳、岩波文庫、2014年

セルバンテス(1547―1616)は、スペインの小説家、劇作家、詩人。20代の頃に兵士としてレパントの海戦に参加し、オスマン帝国と戦い負傷。そのときのケガがもとで左手が不自由に。「右手の名誉をさらにあげるため」だったと、この負傷を生涯、誇りにしたという。スペイン艦隊の一員として各地を転戦し、28歳のとき、彼を乗せた船団が海賊船に襲われ、5年にわたる奴隷生活を送る羽目に。母国スペインに戻って以降、思うような仕事に就けず、文筆家を志す。40歳になるまでに20~30篇の戯曲を書き上げたものの、成功を収めた作品はごくわずか。晩年の作品『ドン・キホーテ』は好評を博し版を重ねたが、版権を安く売り渡していたため、暮らしは一向に楽にならなかったという。 (編集部)