あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈8〉母からのLINEがヒステリックで恥ずかしい
☞ ジェイン・オースティン『高慢と偏見』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】都会で暮らす独身者です。実家の母から「実家に帰ってこい」「結婚相手はいないのか」とLINEでうるさく催促されて困っています。適当にかわすと「ふーん、一生一人で生き続けるつもりなんだ? あんたが病気になったって養ってあげないから!」だとか「仕事をがんばるあなたのために孫を代わりに育ててあげようと思ったのに!もう手伝ってあげない!」といった飛躍した怒りが返ってくるので、いつスイッチが入るのかわからなくて返信しづらいのです。こんな母が恥ずかしくて、結婚する気にもなれません。

【お答え】『高慢と偏見』を読んで、母親を恥ずかしがるより自分も含めて笑いに変えてみよう

 

◆ 平和なラブコメをスパイシーに彩るベネット夫人

『高慢と偏見』といえば、鼻っ柱の強い才気煥発なお嬢さん(エリザベス)とオレ様系の富裕層男性(ダーシー)が、すれ違いを繰り返しながら惹かれあっていく王道ラブストーリーである。すべてのカップルが収まるところへ収まっていくこの平和なラブコメを、絶妙なヒステリックさでスパイシーに彩るのが、ヒロインの母親であるベネット夫人だ。

冒頭、お金持ちのビングリー氏が近所に引っ越してきたと浮き足だつベネット夫人に対し、夫のベネット氏は五人の娘のうち嫁に推薦するなら賢い次女のエリザベスがいいと冗談交じりに語る。ところが母であるベネット夫人は、エリザベスはほかの娘に比べていいところなんか全然ないと断言する。長女のジェインの半分ほども美人ではないし、末娘のリディアの半分ほどの愛嬌もない。そう言われても夫のエリザベスびいきがゆるがないとみるや、ベネット夫人は早々にヒステリックになる。「あなたは私を苦しめるのが楽しいのね。私の傷つきやすい神経をいたわってやろうって気持ちがぜんぜんないのね」「まったく! あなたには私の苦しみがぜんぜんわかってません!」

ちょっとでも自分の思い通りにならないと情緒不安定になるベネット夫人にとって、素直に愛せるのは一番美しくて従順な長女のジェインと、自分と同じように軽薄で話しやすい末娘のリディアぐらいのもの。読書家でしっかりとした自分の意見を持つエリザベスは、自分の言いなりにならない憎たらしい存在にすぎない。ベネット夫人がエリザベスを嫌っているようすは、物語のはしばしからもうかがえる。もっともそれがはっきりあらわれるのは、ベネット家の相続権を持つ親類のコリンズ牧師の求婚を、エリザベスが断ったときである。

「(……)でもリジー、はっきり言っておくけど、こんなありがたいお話をつぎつぎにお断わりしたら、一生結婚なんてできませんよ。そしてお父さまが亡くなったら、あなたを養ってくれる人なんていませんよ。とにかく私はまっぴらです。いまここではっきり言っておきます。今日かぎり、おまえとは縁切りです。さっき書斎で言ったでしょ、おまえとは二度と口をきかないって。きかないと言ったらききません。こんな親不孝な子供と口をききたくありません。ほんとにもう、誰とも口をききたくありません。私みたいに神経を病んでる人間は、誰とも口なんてききたくないんです。ああ、私の苦しみは誰もわかってくれない! いつだってそうなの。愚痴をこぼさない人間は、誰にも同情してもらえないの」(上巻 p.197~198)

求婚者を一人断っただけなのに、連想ゲームで怒りを燃え広げていくベネット夫人。もっとも、現代人からは飛躍しすぎとみえるこの反応も、彼女からすればそれなりに筋が通っている。女性には不動産の相続権がない時代だから、娘しかいないベネット家は、娘のひとりをコリンズと結婚させなければ、家屋敷をまるまるコリンズにとられてしまう。そして財産を持たない女性にとって、「結婚は、人並みに生きるための唯一の生活手段」(上巻p.215)だった。強情なエリザベスが生活に困るのは、ベネット夫人にとって十分に想定しうる未来だったのである。

スイッチが入ったベネット夫人の言動は、作中では「大噴火」とコミカルに表現され、いつものことだと娘たちにスルーされている。だが、それを日々くらってきたエリザベスは、人間というものにすっかり絶望してしまっている。他人の善性をまったく疑わない長女のジェインに対し、エリザベスはこうこぼす。「ほんとに愛せる人間なんてほとんどいないし、ほんとに立派だと思える人間なんてますますいない。世の中を知れば知るほど幻滅するの」(上巻 p.233)。

◆ 金と結婚の話にしか興味のない母親を恥じるエリザベス

人間嫌いのエリザベスは、他人を見る目が極端に厳しい。それゆえダーシーとわかりあうまでにさまざまな困難が発生してしまうのだが、その厳しい目はもちろん母親にも注がれる。エリザベスはお金と結婚の話にしか興味のない愚かなベネット夫人のふるまいを恥ずかしがっていて、他人に見られたくないとたびたび考える。だがいよいよ裕福なダーシーとの結婚が決まると、叔母に結婚を知らせる手紙のなかで、エリザベスは本音をぶちまけてしまうのだ。

「ぜひ小馬に馬車を引かせて、ペンバリーの庭園めぐりをいたしましょう。私は世界一の幸せ者です。(……)私はお姉さまよりもっと幸せです。お姉さまはほほえむだけですけど、私は高笑いしています」(下巻 p.296)。終盤のエリザベスは、ダーシーが所有する庭園をわが物にしたことを勝ち誇っている。のみならず、母に溺愛されていたジェインへの対抗意識もみせつける。財産や結婚にうるさい母親を恥ずかしがっていたのに、エリザベスの価値観も母親とそうちがっていたわけではないのだった。批評家によれば、オースティンが創造したキャラクターのなかでもエリザベスは作者にもっとも近い人物像だとされる。そのエリザベスですら、すべてを笑いの対象として突き放す作者のシニカルな視線からは逃れられない。

ヒステリックな母親の怒鳴り声を嫌っていたはずが、怒るときの自分が母親そっくりだった……とはよく聞く話だ。ただ恥ずかしがっているだけでは、同じ轍を踏んでしまう。では、どうすればいいのか。

◆ ヒステリックな言動は分析し、笑いに変えてみよう

たとえばお笑いコンビのラランドは、なんでもない言葉にヒステリックな返しをしてくる自分たちやリスナーの母親の言い回しを「お母さんヒス構文」と名付け、ラジオやYouTubeチャンネルでネタにしている。「お母さんヒス構文」とは、「お母さんが論理を飛躍させたり論点をすり替えヒステリックな語気を伴うことで相手に罪悪感を抱かせる構文」のことだそうだ(https://www.youtube.com/watch?v=cQG5j8hdfUE)。同じように、ヒステリックな言動を分析して笑いに変えてみるのはどうだろうか。 

『高慢と偏見』の著者であるジェイン・オースティンも、自分や周囲の人間の不完全さを小説で笑いに変える名手だった。真面目な歴史ロマンスを書くように手紙で指示されたオースティンが、次のような文面で断りの返事をしたのはあまりにも有名だ。

「自分や他人を笑うようなことを書いてはいけないと言われたら、はじめの一章も書き終えないうちに、絞首刑にされたほうがましだと思うでしょう」(A Memoir of Jane Austen, 訳は引用者)

LINEの文面がいくらヒステリックでも、母は四つん這いで道路を高速移動しながら自宅まで来たりはしない(来たらそれはまた別の問題である)。距離があることに感謝し、じっくり分析して背景にある事情を考察して、今後の自分のありかたの研究に役立てよう。

 

ジェイン・オースティン『高慢と偏見』上下巻、中野康司訳、ちくま文庫、2003年

ジェイン・オースティン(1775―1817)は英国の小説家。ハンプシャー州に牧師の娘として生まれる。ジェインは8人きょうだいの7番目の子ども。文学好きの家庭に育つ。12歳頃から習作を始めたジェインは、20代前半に3篇の長篇小説を執筆。1801年、父親が牧師職を退いたのに伴い、一家はバースへ転居。父の死後、母姉とともに港町サウサンプトンへ。1809年、生まれ故郷に近いチョートンに転居すると創作意欲を取り戻し、かつての原稿に手を入れ、1811年に『分別と多感』、13年に『高慢と偏見』を刊行。同年、『マンスフィード・パーク』を脱稿、14年に刊行。同年、『エマ』を起稿し、15年に刊行。16年、体調不良に悩まされるようになり、17年7月に死去。41歳7カ月の生涯を閉じた。(編集部)

 

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