筑摩選書

過去を参照しつつ邁進するために
筑摩選書『マリリン・モンローと原節子』

 映画史に燦然と輝く、永遠の二大ミューズについて書かれた本……と身も蓋もない紹介で事足りればいいのだろうが、実際に読んでみると、それぞれ美貌だけでなく主演する作品にも恵まれていた幸運を痛いほど感じて、決して戻ることのできない映画の黄金時代に余計に思いを馳せてしまう。

 誰しもが連想する先行の四方田犬彦『李香蘭と原節子』は、同時代に活動した彼女たちの生きた激動の時代を浮き彫りにすることによって、互いに意識することなく対照的であった二人の興味深い一冊であったが、この本では日米二人のスター女優を同じ時系列に丁寧に並べながらも、あまり交わる様子がない……時折シンクロニシティ的な瞬間はあるが……。

 1920年に生まれて戦前から映画女優であった原節子が、半世紀も人前に姿を現さずとも存命であり、1926年に生まれて(たまたま本稿を書いているのが、彼女の89回目の誕生日だ!)戦後にデビューしたマリリン・モンローがすでにこの世にはいないという、誰もが何となく知っているが意識したことのない事実を再認識させてくれただけでも、本書を読む価値はある。

 だが、生まれるのが遅すぎた多くの読者たちが、こうして彼女たちの生きた時代を追体験し、例えば今日「アイドル」と呼ばれるような女性たちと同じくらいに崇めることが、果たして可能なのだろうか?

 残念ながら映画の中の彼女たちは、そういった意味での「アイドル」ではない。非デジタルの鮮明でない陰影は、古い新しい、好みかそうでないかという以前に、その不確定な存在感が若い世代にとって、ひたすら不穏なものを感じさせるのみかもしれない。

 そんな彼女たちの神秘性を損なわぬよう心がけながらも、優れた映画作家たちの作品との宿命的としかいいようのない出会いが永遠の名画を産んだ、そのひとつひとつの経緯を丁寧に紹介し、映画の中のシーンを読み解き、監督の名前だけでわかったような気分になるハードコアなシネフィルでなくとも、十分に楽しませてくれるのが本書の魅力だ。ネタバレを恐れず(本書には基本的にネタバレはない……そもそも優れた映画はネタバレなんてチンケなもので、つまらなくなることは一切ない)映画の細部を読み解いていく作業は決して研究者や好事家だけのものではなく、初心者を優しく導いてくれる。例えばモンローのほぼ脇役時代であるフリッツ・ラングの『クラッシュ・バイ・ナイト』など、ラングのファンであっても困惑するような珍品も、これほどはないという興味を読者から引き出してくれるに違いない(以前、何だかボンヤリと観てしまって、あんまり記憶に残っていなかった筆者も、本書を機に再見……評価を新たにした)。去年出版された塩田明彦監督の『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』と並んで、過去の映画を再発見することが、単なるお勉強でなく、人間の営みがいつの時代も複雑かつ多様性に満ちたものであり、人間の普遍的な優しさと溢れる愛が永遠であることを実感できるはずだ。知的な読みが、決して押し付けがましいものにならず、常に優しい文体だ。それも、懐古趣味なんていうものとは完全に無縁の。

 この本は20世紀を代表する二人の女優が築き上げたすべてを参照することによって、映画や、芸術や、文化や、人間が、大袈裟にいえば今後も存続するに相応しいとさえ思わせるスケールを持った一冊である。遠く感じられる古い作品であっても、それを読み解き続けることによって生も死も超えて、永遠を掴むなどという無謀さに答えなど求めず、過去を参照しながら邁進するために、我々も少しだけ生きた20世紀の遺産がある。

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