ぼくはこんな音楽を聴いて育った・東京編

第二話 二度目の二日酔い
エリック・ドルフィー「Far Cry」よりTenderly ~ It’s Magic

オーネット・コールマンを練習する先輩に出会い、大友青年は明大ジャズ研へ。そして……。

 東京に来て1カ月もたたないうちに、オレは学校に行かなくなってしまった。正確には学校には行っていたけど、授業には出ず、代わりに通ったのが明大ジャズ研の部室だったのだ。本当はどこの大学に入ろうが、タモリが行っていた早稲田大学のジャズ研にまずは入ろうと決めていて、というのも、ここには高校でオレにジャズとの出会いを作ってくれたドラマーの猫背先輩がいて、噂ではすでに相当幅をきかせているらしく、ここでまずは音楽の道に……なんて安易なことを東京に出てくる前には考えていたのだ。あ、猫背先輩ってのはですね、前回の連載でもたくさん出てきた変わりもんというか天才的というか、強烈な個性の、高校のジャズ研の一年上の先輩。この人の強い影響でジャズの世界に興味を持ったというと聞こえはいいけど、まあ、正確には、あまりの個性に巻き込まれて、ほんとうはロックをやりたかったのに好きでもなかったジャズの世界に引きずりこまれ、気がついたらミイラ取りがミイラになっていたって感じかな。一番やりたかったロックではなく、ついつい巻き込まれたジャズの方に行くってあたりが、優柔不断なオレっぽいというか、いつもそんな感じで、状況やら強烈なもんに巻き込まれて流されるんだよな~。

 猫背先輩はオレが福島でさえない浪人生活を送っているときに、すでに早稲田のジャズ研で活躍していて、学生バンドだけじゃなくプロともやっているとか、そんな噂は福島にも聞こえていて、オレはこの人に憧れてもいたのだ。そういえば受験のときに猫背先輩のアパートに泊めてもらったりもしたなあ。当時は高校生が受験でホテルに泊まるなんて贅沢は考えられなくて、だいたいは先に上京していた先輩のアパートに泊めてもらったりしていた。オレはこの猫背先輩の新大久保にあったアパートか、大森くん、あ、この人は猫背先輩のさらにいっこ上の高校のジャズ研の先輩でオレにジャズを教えてくれた面倒見のいいイケメンサックス奏者で、二つも先輩なのに、オレは「大森くん」呼ばわりしていて、ま、詳しいことは前作を読んでくださいな。この大森先輩の、え~~と、どこだったっけ? 目蒲線沿いの武蔵小山だったかな、そのあたりにあったアパートにもよく泊めてもらった。えっ、目蒲線って名前、今は使われてないって。ほんまかいな。う~ん、時代はどんどん変わる。オレはなんだか時間の流れにとりのこされたまんま、いまだに目蒲線のあった1979年の中に生息しているような気がときどきするんだけど、気のせいかな。

 話が長くなりました。いや本当は早稲田のジャズ研に憧れていたのに、猫背先輩がですね、ここは全国から腕っこきのプロ級の奴らが集まってきていて、とてもじゃないけどお前程度じゃ相手にされない、なんて受験で来ていたオレを脅かすし、オレの目には天才的としか思えなかった猫背先輩ですら、幅をきかせているとはいえレギュラーではないって現実を目の前にして、上京前にすでにビビってしまったのだ。優柔不断なだけじゃなくなにかにつけ臆病なんだよなあ、オレ。そんなときに、明大の学食前でオーネット・コールマンを練習しているアルトサックス青年に出会ってしまい、彼が明治のジャズ研だと聞いて、そんなに部員数も多くなさそうだし「初心者でもいいよ」なんて言われたもんだから、まずはこっちに入ってみたってのが真相。あ、そうそう、それと大森くんも、実は明治の学生で、

「オレもちっくらジャズ研入ってみるか」

 みたいなことを言ってたもんで、なんか大丈夫そうな感じがしたのだ。あ~、ほんとオレ、いつも消極的。

 ジャズ研の部室は明治時代に建てられた石造りの明大本館の地下にある学食「師弟食堂」のすぐ隣にあって、一部屋がジャズ研、もう一部屋がロック研の練習部屋、ほかにもビッグバンドだったりカントリーをやるクラブもあって、それらが全部まとまって軽音楽部ってことになっていて、学食前の地下の廊下も練習場のようになっていた。この雰囲気ありまくりの本館も2年後には解体。今はそこには立派な高層ビルがたっていて、やっぱ時代はどんどん変わる。でも目をつぶるとですね、昨日のことのように、あの薄っ暗い、よく響く地下の廊下で、軽音楽部の連中が練習してるのを思い出すんだよなあ~。みんな元気かな。まあ、そんなわけで当時、学食前の廊下ではいろんなジャンルの人がおのおの個人練習をしていて、それがまた福島の高校や大学で見てきたものとは全然レベルが違って聴こえ、おまけにそんな中にオーネットをやっている人がいたりで、それだけで

「東京すげえ」

 ってなってしまったのだ。

 ジャズ研に入った新入部員は十数名ほど。なんかみんなすごく都会っぽい格好してるし楽器もうまそうに見える。先輩たちに至っては、もうプロのジャズミュージシャンにしか見えない。いや~明大でこれなら早稲田はどんだけなんだろう。先輩たちはなんか怖そうではあったけど、学生運動やら応援団みたいなマッチョな感じではなく、まあどっちかといえば、チャラチャラした感じで、おまけに5年生とか6年生とかもいて、あ、ジャズ研では5年生はG年(ゲーネン)、6年生はA年(アー年)って呼んでたなあ。みなろくに授業にもでてなくて落第した連中で、そんなだらしない感じにも、ちょっと憧れたのだ。ちなみに2年生はD年(デーネン)、ぼくら1年生はC年(ツェーネン)と呼んだ。これ音階のドイツ語読みだけど、当時はバンドマン用語ってのがジャズやらバンドの世界では使われていて、数字の1, 2, 3~は音階のC, D, E~のドイツ語読みに置き換えたり、今でこそテレビなんかで知られることになった逆さ言葉……「美味い」を「マイウ」と言ってみたりするやつね……も、ジャズ業界というかバンド業界では普通に使われていて、これを使うとなんだかその業界に入ったような感じがするからなのか、大学のジャズ研でも普通にこのコトバが使われていた。みんな「彼女」を「ジョノカ」って呼んでみたり、バイトのギャラが5千円だと「ゲーセン」って言ってみたり。でも、オレはこのコトバを使うのが、いつのころからか恥ずかしくなって、というか、こういう業界内コトバみたいなもんを使うことで、その業界に所属していることを確認するみたいな感じがどうも苦手で、二十代の中頃には使わなくなってしまったけど、でも最初のうちは一生懸命このコトバを使ってみたのだ。

「ツェーネンの大友です! 好きな音楽はリーフっす。ターギやってます」

「は? リーフ? ターギ?」

 さすがに、ここまではひっくり返さない。あ、リーフはフリージャズで、ターギはギターって言いたかったんだけど、やりすぎて通じませんでした。

 ぼくら新入生は、演奏する前からいきなり先輩たちに新歓コンパってやつで居酒屋に連れて行かれ、あ、え~~と、これは新入生歓迎コンパの略称。今もこんな昭和っぽいもの現存しているのかな? 当時は未成年の飲酒喫煙にはまったくうるさくなく、すでに新入生のほとんどは喫煙者で飲酒もみなそこそこいけて、というか、むしろ高校卒業するころには喫煙も飲酒もたしなむのが当時の常識くらいな感じで、だからオレは初めて行く居酒屋だったけど、

「こんなところ高校の頃から年がら年中いってたもんね」

 って顔をしていたのだ。今考えると他の皆もそんな程度だったのかもしれないけどね。

 いやね、ロック喫茶やジャズ喫茶には年中出入りしてたし、ストリップ劇場にだって1回だけだけど行ったことがあったけど(ここ、ドヤ顔ね)、でもタバコは吸えないし、居酒屋にはいったことも一度もなかったのだ。お酒は中学のときにおでん屋のしんちゃんちの2階で皆で呑んで吐いて以来どうも苦手でほとんど飲んだことがなかったしね。でもそんなかっこ悪いこと言えなかった。

「オレ酒飲めるのかな」

  そんな不安をよそになみなみとコップにビールが注がれていく。でもきっと大人になるってことは、ビールとかで乾杯して日本酒とかで一献傾けることに違いないし、なによりもなめられたくないと思っていたオレは、このとき大人への道を歩む決心をしたのだ。

「よっしゃ ”乾杯”でもなんでも来い!」

 きっとオレ、めっちゃくちゃ緊張してたんだろうなあ。田舎もんって思われないように。ガキだって思われないように。気がついたときには意識を失っていて、帰りの道もまったく覚えてない。遠くでエリック・ドルフィーのバスクラの音がかすかに聴こえてきて目をさましたら、うわ~~やたら気持ちが悪い。しかも全然知らない人の家じゃん。時計を見ると午後2時。あ、なんか吐きそう。ってか吐く。

「目覚めたか? 大丈夫か?」

 ものすごい勢いでタライを持ってきてくれたのは、あの丸眼鏡にカーリーヘアのオーネットの先輩だった。タライに向かって吐いてるオレの背中をさすりながら、

「おまえ、昨日のこと覚えてるか? 大変だったんだから」

「うぇ~、す、すいません、なんも覚えてません、うげげげ~、あのここどこですか? うぇ、うぇ~」

「板橋、オレのアパート」

「うぇ、うぇ、なんで板橋、うぇ」

「おまえ、オレについてきたんだよ」

「えっ、えっ、オレがですか、うぇっ~」

「一緒に来たハヤシとツガルはバイトがあるって言って、朝でてったぞ」

「え? ハヤシ? ツガル? うぇ、てか、うぇ、先輩お名前は、うぇっ~」

「何度言わすんだよ、てか覚えてないのかよ。松藤、ま、つ、ふ、じ!」

「あ、あの、まつふじさん、これ、今流れてるの、うぇ、うぇっっ、ドルフィーのIt’s Magicですよね、これ、うえっ、オレ、このバスクラ、うぇっ~」

「大好きなんだろ。昨日100ぺん聞いたよ、この曲が大好きだっての」

「あの、うぇ、この前のTenderlyから聴いていいっすか? TenderlyからIt’s Magicの流れが、うえぇ~」

「死ぬほど好きなんだろ、それも100ぺん聞いた。ってか、いいから吐くことに集中しろ」

「はい、うぇ、うぇ、うぇっ~~~ 気持ちわり~~~」

 ドルフィーの無伴奏アルトソロTenderlyが流れる中、オレは吐き続けた。

 中学以来、人生二度目の二日酔いでした。

関連書籍

良英, 大友

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