2002年4月、本書のもととなる『独立自尊──福沢諭吉の挑戦』が講談社から刊行された。そのとき、世界は大きく揺れ動いていた。
その半年ほど前の9・11テロの衝撃で世界は震撼し、アメリカはその後、アフガニスタンでの「対テロ戦争」としての軍事作戦を展開した。日本はそのようなアメリカの行動を背後で支える役割を担い、年が明けた1月には東京でアフガニスタン復興会議が開かれた。
小泉純一郎首相のもとでは、首相官邸主導で外交が進められていた。本書の著者である北岡伸一東京大学教授(当時)は、首相官邸に設置された「対外関係タスクフォース」のメンバーとして、小泉首相や福田康夫官房長官に対して助言を行い、日本政治外交史の専門家として混迷する国際情勢のなかで日本が進むべき針路を見通していた。
9・11テロが勃発したのは、福沢諭吉が逝去して一世紀が経った2001年のことであった。その年の1月に、北岡教授から私宛に頂いた年賀状には、「独立自尊迎新世紀」という言葉が記されていたことが印象的であった。これは、北岡教授が「私が最も尊敬する人物」と語る福沢が一世紀前に、自らが発想し、筆で書いた言葉である。混迷する激動の時代に言論人として「公智」を高めていく必要を感じ、一世紀前の福沢が果たしていた役割を自らが果たすべく、何かの使命を感じていたのではないか、と私は受け止めた。
福沢は、20世紀を迎える直前の1900年12月31日に、慶應義塾での世紀送迎会の席で、自ら「独立自尊迎新世紀」と筆で書いて、日本人に必要な精神を伝えた。そしてその翌年に福沢は他界した。一世紀というときを隔てて北岡教授は、福沢が一世紀前に説いた「独立自尊」の精神を、現代の日本人に向けて伝えたかったのではないか。その意味でも、北岡教授が「最も尊敬する人物」である福沢の評伝をこの時期に書いたことは、時宜に適っていた。
北岡教授は、立教大学法学部で21年間にわたって学生を教えた。その際、「3年に2回ほどの割合で、ゼミで『福翁自伝』と『学問のすゝめ』(あるいは『福翁自伝』と『文明論之概略』)を取り上げてきた」と書いている(本書「はじめに」18頁)。その理由をあるところで、「あれは若い人に読ませるのに最適な本だといまでも思って」いるからだと述べていた。なぜ北岡教授は、これら福沢の代表的著作を「若い人に読ませるのに最適な本」と思っているのか。
ここで少しばかり、私自身の個人的な記憶を辿ることをお許し頂きたい。私は1990年4月に付属校から立教大学法学部に進学した後に、一年生のためのゼミで、北岡教授のもとでこの『福翁自伝』と『学問のすゝめ』を読む機会を得た。まだ、世界がどのように動いているかが分からず、また大学で何を学ぶべきかさえも分からなかった。大学入学間もない不安に包まれていた時期に、北岡先生の一年生のためのゼミにおいて、福沢諭吉の思想と、北岡伸一教授の外交論に接することができたのは、何よりも好運であった。また同時に、このことがその後の私の人生の針路を大きく規定することになった。このような知的刺激と、魅力にあふれた世界の末端に、ぜひとも私自身も加わってみたい。そのように、私の身体の内側から、熱い情熱が湧いてきたのだ。それほどまでに、福沢の著作と、北岡教授のそれについての解説は刺激的であった。まさに「若い人に読ませるのに最適な本」という指摘はあたっていると思う。それはなぜか。
北岡教授が本書の「はじめに」のなかで語るには、「『福翁自伝』は、世界の自伝の中でも最高傑作の一つ」であり、「維新の変革を理解するために格好の本」であり、また「日本政治の特質を見事に描きだした本」である。それ以上に、北岡教授がこの本を毎年、大学に進学したばかりの新入生に読ませていたのは、「福沢の生き方それ自体を、学生諸君に知ってほしいと思ったから」(18頁)だという。そこに、著者が本書をぜひとも執筆したいと感じた理由があるのではないか。
それでは著者は、「福沢の生き方」の、具体的に何を知って欲しいと思ったのだろうか。北岡教授は、次のように書いている。すなわち、「福沢は小さな打算や、利害得失で考えたりはしなかった。それは自らを貶めることである。そうではなく、福沢は自らの内なる声に耳を傾けて、本当にしたいこと、本当に正しいと思うことだけをした」のである。そして「自らを高く持し、何者にも媚びず、頼らず、何者をも恐れず、独立独歩で歩んだ」。これが、おそらくは、教育者としての北岡教授が若い人たちに伝えたいことであったのだろう。それは、福沢の言葉を通じた、著者の北岡教授からの大切なメッセージであったのかもしれない。そしてそのような「福沢の生き方」をもっとも簡潔かつ適切に表現する言葉が、「独立自尊」なのではないか。
福沢は、その著作や思想が優れているというだけではない。その人生そのものが作品であり、物語となるような、希有な人生を辿ったのだ。いわば、19世紀ヨーロッパの小説で流行となった、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』に代表されるようなビルドゥングスロマーン(教養小説)を、小説ではなくて「自伝」というかたちで表現したのが福沢の『福翁自伝』であったのだと思う。そのような若き日の福沢の冒険を辿っていくことに、読者は胸を躍らせて、多くの共感を抱くのではないか。
北岡教授によれば、「「独立自尊」という言葉は、福沢がとくに好んだ言葉」であり、「福沢の人生そのものであった」という。福沢の『福翁自伝』には「独立自尊」の精神があふれている。その「独立自尊」という言葉をタイトルに用いた北岡教授による福沢の評伝もまた同様に、いわば伝記文学のような「教養小説」のスタイルを感じさせる。『福翁自伝』を存分に参考にしながらも、大量に存在する福沢研究の成果を効果的に活用しながら、政治史家の目を通して客観的に、しかしながら愛情も込めながら、著者は「福沢の生き方」とその時代を色鮮やかに描いている。
福沢にとりたてて関心や前提とする知識がなくとも、あるいは福沢が活躍した幕末から明治にかけての時代背景を知らずとも、いわば「自らの内なる声に耳を傾けて、本当のしたいこと、本当に正しいと思うことだけをした」福沢の人生を辿ることは、われわれ読者に勇気と、活力と、道徳を提供してくれる。そして、北岡教授が述べるように、「現在の混迷の中で手探りをしている人々」こそが、本書を読むのにもっとも相応(ふさわ)しい読者なのかもしれない。
大学進学直後に私は北岡伸一教授のゼミで『福翁自伝』と『学問のすゝめ』を読む機会を得て、卒業後は慶應義塾大学大学院に進学をした。現在は、福沢が創設したこの大学で教鞭を執らせていただいている。不思議な縁である。その慶應義塾大学では、新入生全員に慶應義塾大学入学記念版の『福翁自伝』(富田正文校注、非売品)を配付している。だが、この読みやすく魅力にあふれた世界史的な価値を持つ福沢の自伝をきちんと読んでいる学生は、どうやらそれほど多くはないようだ。
日吉キャンパスで学ぶ新入生たちの多くは、創設者の福沢の人生よりも、福沢生誕150年を記念して建てられた福沢諭吉像をよく知っている。というのも、その胸像の台座部分に足をかけたり腰掛けたりすると、留年すると噂されているからだ。そのようにして慶應の創設者福沢は、新入生に「怖れられ」ている。だが、彼の奇想天外で、未知への冒険に溢れた若き日の人生にこそ、親しんで欲しいと思う。その上で、『福翁自伝』とあわせて、この北岡教授による最良の解説書に目を通して頂ければ、その人物と時代についての背景に親しむことができるのではないか。
やはり、それを親しみ、深く知るためには、その分野の最良の解説者によるていねいな、そして魅力あふれる説明が重要なのだろう。優れた古典には優れた注釈がときに必要なように、読みやすく親しみやすい文体の福沢の著作にしても、その時代背景や、その意義や価値、そしてその思想と行動の理解のために、優れた解説者が語る言葉の価値は大きい。以下に述べるようないくつかの理由から、私は北岡教授が福沢の最良の解説者の一人ではないかと考えている。
第一に、これまで福沢についての多くの評伝や研究が思想史家によって行われてきたのに対して、本書は政治史家によって書かれたことに大きな意義がある。それは、福沢が象牙の塔にこもった学究の人ではなく、色々なことを試み、政治や社会に巨大な影響を及ぼした実践の人であったからだ。したがって、政治史家としてこの時代の政治や社会に精通した研究者だからこそ、より深くその本質に迫れるのだろう。ケンブリッジ大学の歴史家であるクエンティン・スキナーがかつて、思想史と政治史を融合した画期的なマキャヴェッリ研究の書籍を刊行して巨大な影響を及ぼしたが、方法論的には類似したかたちで北岡教授の福沢論は思想史と政治史を融合させている。著者は、そのような問題意識を示唆して、「はじめに」のなかで、「私は福沢の思想を、明治国家の発展と福沢自身の成長の中に、統一的に把握することが十分可能だと考える」と書いている。著者に拠れば、「そこでいう思想とは、抽象的な論理の体系ではなく、より実践的な性格のものである」という。
第二に、福沢が確立した自由主義と合理主義の精神が、その後の近代国家日本の中で確実に継承されていき、そのような思想と実践の系譜こそが北岡教授のこれまでの研究の中枢に位置していたからだ。国際政治学者の高坂正堯(こうさかまさたか)京都大学教授は、その著書『国際政治──恐怖と希望』(中公新書、1966年)のなかで、国家が「力の体系」と「利益の体系」であるだけではなく、「価値の体系」でもあると喝破した。福沢は、明治国家にそのような自由主義や合理主義の精神を注入した。そしてそのような価値は、「福沢の生き方」に根づいており、「独立自尊」という個人および国家の精神に基礎づけられていなければならなかった。そのことは、北岡教授のような優れた政治学者であるからこそ、深くかつ適切に洞察することが可能なのだろう。
第三に、福沢の思想は後進国が近代国家として発展していくための重要な叡智を提供しており、北岡教授はそのような明治国家の近代化に政治史家として深い関心を抱いてきたからだ。著者によれば、「西洋と非西洋との違いは何か、非西洋世界の近代化は可能か」という問いは、「世界史的な意味を持つ課題」なのであり、「これらの点において、福沢以上に優れた答えを提示した者は、日本以外を探してみても、それほど多くはいないだろう」という。まさに、適切な評価であろう。
著者の北岡教授は、現在は国際協力機構(JICA)の理事長を務めている。その「理事長あいさつ」のホームページで、「日本の経験や知見を、世界の貧困削減や経済成長に活用できれば、日本の存在感は高まります」と書いている。これは、福沢が『学問のすゝめ』や『文明論之概略』で問いかけた、重要な問題提起である。その精神を受け継ぎ、実践として、著者は「公智」に深く関与しているといえる。
そのようなことを書きながら、あることを思い出した。今から十年ほど前、慶應義塾が設立150周年を迎えたときに、私が所属する法学部では政治学者の国分良成学部長(当時)の強い意向で、ロックシンガーで世界的に著名なU2のボーカリストのボノに名誉博士号を授与することになった。アフリカ貧困撲滅のための活動を高く評価してのことである。三田でボノを歓迎するなかで、安西祐一郎塾長(当時)からボノへと、『福翁自伝』の英訳版がプレゼントされた。大学を卒業していないボノは、慶應義塾から名誉博士号を授与されることを喜び事前に福沢について色々と調べてきたのだろう。
受諾演説の中で、若い学生たちに向かって、ボノは日本が自ら近代化して、豊かになった経験を、是非ともアフリカの人々に伝えて欲しいと熱弁をふるった。福沢の精神が、世界的なロックシンガーのボノにまで継承されて、それが実践に結びつくのを感じた瞬間だった。なんとも不思議な、そして嬉しい気分になった。
福沢諭吉の思想、そしてその人生は、専門家の手によって学問の世界に閉じ込めるにはあまりにも惜しい。ぜひとも幅広く、一般読者の手に渡り、その魅力を感じて、その精神に触れて欲しい。そのような著者の思いが本書を通じてよりいっそう広く伝わることは、かつて著者のゼミで福沢の思想に触れ、さらに福沢が創設した大学で教育に携わる私にとっても、最良の喜びである。
政治学者・北岡伸一氏の『独立自尊――福沢諭吉と明治維新』がこのほど、ちくま学芸文庫より刊行されました。数ある福沢諭吉伝のなかでも白眉とされる作品です。本書の意義について、国際政治学者の細谷雄一氏が自身の思い出とともに解説をお書きくださいました。