筑摩選書

歴史の中に「自由」の場所を確保する試み
赤上裕幸『「もしもあの時」の社会学--歴史にifがあったなら』(筑摩選書)書評

PR誌「ちくま」12月号から、社会学者の大澤真幸さんによる、赤上裕幸『「もしもあの時」の社会学--歴史にifがあったなら』(筑摩選書)書評を転載します。この書評で大澤さんは、「歴史の中に『自由』の場所を確保すること」を目指しているのがこの書、との解釈を示しておられます。読み応えたっぷりの一篇です!

可能性という概念には、極端な両義性がある。一方で、それは、現実との関係で、まったく虚しいものを指す。誰かが、実際には実現していないことに関して「俺だって本気を出せばできるんだ」と言ったとしよう。これに対して私たちは、「あなたは虚勢を張っているが、現実になっていない可能性は結局は無に等しい」と感じる。他方で、可能性が現実と同等の、いや現実以上にアクチュアルなものとして感じられるときもある。誰かが、悲惨な結果に終わった自分の選択に関して、「あのときには、ああするほかなかったんだ」と言っているのを聞くと、私たちはこう反論したくなる。「いや、あなたは別様にもできたはずだ」と。今度は、他の可能性がなかったかのように言い張ることは、倫理的にいかがわしい責任逃れである。

本書の中心的な問いは、歴史記述に後者のタイプの可能性を組み入れるにはどうすればよいのか、にある。鳥羽伏見の戦いで徳川方が勝っていたらどうなっていただろうか、と問うことに学問的な価値があるだろうか。「歴史にIFは禁物だ」と言われてきた。このとき念頭に置かれているのは、前者のタイプの、空虚な可能性である。だが、可能性には、これとは正反対のタイプがある。アクチュアルな可能性が、である。こちらの可能性は、歴史記述の中でも活きているべきだ。困難は、いかにして二種類の「可能性」を判別するか、にある。

そのために本書が提案するのは、「歴史のなかの未来」という概念だ。私たちは、結果を知っている事後の観点から、過去の人々の選択について論評してしまう。例えば第一次世界大戦の結末を知っている者の立場から、イギリスは中立を維持すべきだった、などと批判する。しかし、歴史の過程の渦中にある者は、どんな未来が現実になるのかを知らずに決断しなくてはならない。1914年8月のイギリス人は、大戦が結局どうなるのかを知らずに、参戦か中立かを決めなくてはならなかった。反実仮想的な可能性が、ほんとうにアクチュアルなものだったかどうかを判断するには、歴史の渦中にいる当事者の目にはどのような未来像が映っていたのかから始めなくてはならない。

とはいえ、これはまだ基本的な方針だけだ。歴史記述の現場で、具体的にどのようにして、何が「歴史のなかの未来」で、どの可能性が客観的に見て蓋然性があったと判断すればよいのか。本書が手がかりにするのはニーアル・ファーガソンの「仮想歴史(シミュレーションとしての歴史)」の概念だ。ファーガソンは例えば、当事者が書き残したシナリオだけを「歴史のなかの未来」の像として認定すべきだ、と提案する。だが、これでは、公式の記録を残しうる政治的エリートが考えたことだけが、「もうひとつの歴史」の証拠として採用されることになるし、そもそも歴史はそんな個人レベルの意図をこえた社会現象ではないか、という批判がある。この批判を承けて、本書の著者は怯むわけではない。逆にファーガソンを超えて、客観的に妥当な可能性を探り当てる基準を見出そうと、マックス・ヴェーバーやリチャード・ルボウの説の検討へと入っていく。

私の解釈では、本書が目指しているのは、歴史の中に「自由」の場所を確保することである。「他でもありえた」と言えるときにのみ、そこには「自由」があったと認定する権利が生ずるのだ。だが、このとき二律背反に逢着する。一方で、仮想の出来事がただのお伽噺ではなく、十分にありえたことだと言えるには、それが現実の因果の系列にしっかりと組み込まれうるものでなくてはならない。他方で、自由は、因果関係にすべては規定されていないことを意味している。この二律背反は乗り越えられるのか。こう考えると、本書の試みは実に野心的だ。学問的に大胆だというだけではない。本書はほんとうの希望の書になりうる。なぜなら、歴史の中に自由があることを証明できるとすれば、それは、私たちには、真に新しいものを――それまでの惰性を超えた新しいものを――もたらす自由がある、ということを示したことにもなるからだ。

最後の方で、著者は、私の「未来の他者」の概念を検討している。私の仕事を著者の野心的な挑戦の中に巻き込んでくれたことを、嬉しく思う。
 

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