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第3回 われらは傷を修復する――『進撃の巨人』論(3)

アナキスト/フェミニストの高島鈴が、社会現象級の大ヒット作を正座で熟読。マンガと社会を熱く鋭く読み解く、革命のためのポップカルチャー論をお届けします。
最終回となる第3回は、累計発行部数が世界で1億部を超え、今年完結を迎えた諫山創『進撃の巨人』(2009~21年/講談社)。この歴史に残る作品は、いかに歴史を描いたのでしょうか。

●旅の終わり
 アルミンもまた、エレンが虐殺者になってなお、個人としてはエレンに向き合い続けようとする。

「…エレン ありがとう/僕達のために… 殺戮者になってくれて…/君の最悪の過ちは無駄にしないと誓う」【62】

 最終話のこのセリフは、作者をして「あの描き方だとアルミンが虐殺を肯定していると捉えられておかしくないと思います。僕の描き方が未熟でした」【63】と言わしめ、実際に読者からも賛否両論あった。筆者はこの言葉が、歴史という観点から読む上で、『進撃の巨人』の重要な側面を象徴するものであると感じる。
 ここはエレンとアルミンが別れの挨拶をするエモーショナルな場面であり、確かに虐殺を肯定するような読み――「エレンの虐殺は仲間を守るために必要な選択だった」――を招く可能性がおおいにある。その余地を排しきれなかったことは、本作の欠陥だろう。すでに述べたように、個人的かつ些細なものを生の意義とみなす本作であるからこそ、ごく個人的な動機を伴ったエレンの虐殺に対しても同じ姿勢が開かれてしまった。政治的暴力でありながらそれ以上に政治以下的(infrapolitical)暴力【64】であったエレンの虐殺について、前者の側面の「もっともらしさ」に感傷的なスポットライトが当たってしまっているのだ。ハンジがぎりぎりの状況で掲げたような社会正義――「虐殺はダメだ!! これを肯定する理由があってたまるか!!」【65】という不正義の否定、、、、、、――をここで再度提示し、エレンのやり方を批判する必要性は、間違いなくあったと筆者は考える。
 だがこの詰めの甘さこそ、『進撃の巨人』が最後まで潰そうとしなかった「複数性」の現れではないか、とも思われるのである。
 作者は冒頭のシーンの真意について、このように説明している。

エレンが行った最低最悪の手段をアルミンは肯定した訳ではありませんが、本人の意思とは関係なく大虐殺の恩恵を受けてしまう。アルミンは到底理解し得なかったエレンと最後の別れを迎え、「殺戮者になってくれてありがとう」という強い言葉で自分も共犯者であると伝え、少しでもエレンに寄り添いたかったのです。【66】

「どうしてもやりたかった」という理由は、それ以上分解しようがない。エレンはそのような衝動に基づいて大虐殺を犯してしまった人物であり、ゆえにミカサに殺害された。エレンを許す余地がないことは、みなが理解していたはずだ。その上であえて、アルミンはエレンの共犯者であろうとする。ミカサもまた、エレンの記憶を大切に持ち続ける。「史上最低の悪人」となったエレンにも、最後まで罪を共に背負おうとする人がいたことを、『進撃の巨人』は重んじるのである。
 思えば『進撃の巨人』は、キャラクターを選択の連続の結果「そこ」に立った存在として、多角的に描いてきた。たとえばフロックは、後半で世界の和解を妨げるイェーガー派のナショナリスト/民族主義者として登場するが、新兵を死に導き続けた「悪魔」=エルヴィンの死を経て、自らが島を救うために「悪魔」になろうとした背景も併せ持つ。虐殺を止めようとしたアルミンやミカサも、みな立ちはだかる者を自ら殺してきた経緯があり、決して清廉潔白の存在ではあり得ない。
 考え方は違えど、誰もが各々の罪と文脈を持ってそこにいた。公共性とは、あらゆる者の複数のパースペクティブが同時に存在し、それぞれの視座から発せられた言葉に応答がある状況を指す【67】。「理解することをあきらめない姿勢」【68】を買われて調査兵団最後の団長となったアルミンだからこそ、議論の椅子に決して着こうとしないエレンに、最後まで応答の言葉を用意したかったのではないか。

「アニ…争いはなくならないよ/でも……こうやって一緒にいる僕達を見たら みんな知りたくなるはずだ/僕達の物語を/散々殺し合った者同士がどうして パラディ島に現れ…平和を訴えるのか/僕達が見てきた物語/そのすべてを話そう…」【69】

 やがてアルミンは和平交渉のため、虐殺を共に食い止めた協働者たちとともに連合国側の大使としてパラディ島へ出向く。そして公の場へ出て、「僕達の物語」を語ろうと決意するのだ。
 ここで言う「物語」はstoryというより、むしろ「物語り」=narrativeだと解釈しておきたい。アルミンが試みているのは、自らの、そして協働者のナラティブを公に開く歴史実践である。地獄のような戦争を生き延び、自らも手を汚してきた人びとが、エレンの「共犯者」として証言台に立つ。パラディ島の人びとにも各々の言い分があり、対話は簡単には終わらないだろう。それでも未来の平和は、対話による合意形成を通じて生まれる新たな歴史――パブリック・ヒストリーによって紡がれていくはずだ。

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