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第3回 われらは傷を修復する――『進撃の巨人』論(3)

アナキスト/フェミニストの高島鈴が、社会現象級の大ヒット作を正座で熟読。マンガと社会を熱く鋭く読み解く、革命のためのポップカルチャー論をお届けします。
最終回となる第3回は、累計発行部数が世界で1億部を超え、今年完結を迎えた諫山創『進撃の巨人』(2009~21年/講談社)。この歴史に残る作品は、いかに歴史を描いたのでしょうか。

●終わりに――歴史と責任
 以上、『進撃の巨人』について、歴史をキーワードとして全貌を見渡してきた。
『進撃の巨人』は、歴史的怨嗟によって引き起こされた戦争に翻弄される人びとの選択を描く群像劇であった。ある者は不自由を憎み、自らの考える自由を求めて全てを蹂躙した。ある者は幼馴染を守りたい一心で戦い始め、その戦争を愛によって終わらせた。またある者は多大な好奇心に基づいて外の世界を志し、共同戦線をぎりぎりで維持して和解へこぎつけた。
 全編を通じ、最も注視せねばならないのは、死者の視線の存在だ。命を落とした仲間はもちろん、自らが殺した他者をも背負い、人びとは決断を下してゆく。最後までアルミンらが大虐殺の恩恵を受けた「共犯者」の自覚を持っていることは、ごく重要な姿勢だろう。自身の犯した罪でなくとも、歴史的な搾取や暴力によって生じた利潤の影響下で生きているなら、そこにはすでに責任がある――たとえばこの列島社会が、朝鮮半島や中国などの諸地域から強制連行されてきた労働者の搾取、戦争で得た利潤によって作られたインフラの上に成り立っているように。失われた命が戻ってこない以上、生者がせねばならないのは、失われた人びとの視線の継承だ。そして死者ひとりひとりを記憶することはパースペクティブの複数性の保持であり、新たな公共性構築の契機なのである。
 本連載では、三つの少年漫画作品の批評を「革命」という視点から読み解いてきた。このごく左派的な立場から少年漫画というポップカルチャーに向けて批評という暴力を振るったのは、少年漫画の世界に満ち満ちている「世界を変える」想像力をいかに現実的に受け止めうるか、問い直したかったためである。物語が「消費者」を囲い込む閉鎖的構造になって久しい今、物語が現実を生きる者にとって逃避以外の意味を持ちうるものだと、筆者は信じたい。より直接的に述べるなら、世界を変える物語から、自らが現実世界を変えられると信じる力を得たいのだ。
 筆者は『進撃の巨人』に描かれる死者を含めた公共性の構築に、革命の可能性を見る。2021年の困難、いやもっと前から続くこの列島社会の問題は、まさに公共の不在であるからだ。
 もちろん、『進撃の巨人』の描写が完璧だとは言わない。すでに確認してきた通り、同作の革命は極めて苦しくむごい状況と何度も妥協しながら、ぎりぎりで立ち上がってきたものだ。単行本版の最終話は、巨人化能力が失われてからさらに遠い未来、再び戦争が起きて世界が荒廃し、再び巨人の力が発見される予感によって幕を閉じる。公共は脆い。だからこそ、それを諦めるのではなく、何度でも結び直す勇気が要る。他者の恐ろしさや長い沈黙に耐えながら、それでも相手の声に応答する用意を、常に新しく整えておく必要がある。そしてこの営みを絶えず続けていくために必要な実践こそ、大文字の「歴史」からは外れた場所に埋もれてしまうような個人の歴史=パースペクティブを拾い上げる行為なのではないか。
 われらがわれらの無力に立ちすくむとき、その後退を押し留めるのは死者たちである。われらが大きな力にすり潰されようとするとき、抵抗する腕を支えてくれるのは死者たちである。われらが意見の異なる者たちと協働しようと試みるとき、人的結合の不安定を繋いでくれるのは死者たちである。われらが新たな公共を紡ごうと決意するとき、独善を除いてくれるのは死者たちである。そして「われら」という自己と無数の他者の協働の中に、死者はすでに存在している。そしてもう一歩踏み込むならば、この他者との輪に、物語の登場人物が介在しうるのではないか。語られた他者として、フィクションの中を生きた人の視線は、われらの決断を眼差しているとは言えないか。
 いま一度、2021年の困難を思う。ぼろぼろに破綻しかけた社会の紐帯を前にして、現実に生身を晒すわれらに何ができるのだろうか。ぎりぎりの生の中で下す決断が世界を変えるかもしれないと、少なくとも筆者は、そう信じている。


【参考文献】
保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』岩波書店、2018年(初版2004年)
ヘイドン・ホワイト著/上村忠男監訳『実用的な過去』岩波書店、2017年
菅豊・北條勝貴編著『パブリック・ヒストリー入門 開かれた歴史学への挑戦』勉誠出版、2019年

【注46】30巻、143頁
【注47】30巻、143頁
【注48】30巻、144頁
【注49】16巻、166頁
【注50】22巻、144頁
【注51】27巻、23頁
【注52】22巻、77頁
【注53】30巻、149頁
【注54】34巻、100頁
【注55】34巻、101頁
【注56】34巻、103〜105頁
【注57】34巻、106頁
【注58】34巻、195頁
【注59】29巻、12頁
【注60】34巻、228頁
【注61】18巻、46〜48頁
【注62】34巻、207頁
【注63】諫山創『進撃の巨人 キャラクター名鑑 FINAL』講談社、2021年、186頁
【注64】政治的理由付けを持たない暴力。経済的理由に依拠する暴力や、全く理由のない暴力を含む(酒井隆史『暴力の哲学』河出書房新社、2016年)。
【注65】32巻、10頁
【注66】『進撃の巨人 キャラクター名鑑 FINAL』、186頁
【注67】齋藤純一『公共性』岩波書店、2000年
【注68】33巻、81頁
【注69】34巻、235〜237頁

<編集部より>
本稿p.1につき、「ユミルは実際に家畜を逃しているので濡れ衣ではない」というご指摘をいただきました。該当箇所を以下のように訂正しています。(2021年9月17日)

(訂正前)ユミルの主人・フリッツは、ある日ユミルに豚を逃した罪――濡れ衣である――の責任を問い、森の中で逃げるユミルに矢を射掛けて殺そうとする。
(訂正後)ユミルの主人・フリッツは、ある日ユミルに豚を逃した罪の責任を問い、森の中で逃げるユミルに矢を射掛けて殺そうとする。

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