私が現代美術を見始めたのが一九九〇年代、仕事として関わるようになったのは二〇〇〇年代である。村上隆やヤノベケンジといった、日本のサブカルチャーを参照したアーティストたちが台頭してきていた。村上は「スーパーフラット」というコンセプトを掲げ、アニメの二次元性を日本的な表現として海外にも売り出していた。 本書が出版されたのは一九八六年。私が同時代に目にしていた美術が現れる前である。今日もなお、針生一郎の『戦後美術盛衰史』や椹木野衣の『日本・現代・美術』とともに、本書は戦後日本美術の通史を扱った数少ない書籍の一つに数え上げられる。しかし、本書で著者も言っているように、網羅的に詳述しようとする「通史」ではなく、ある特定の立脚点から戦後を貫く美術の流れを捉えようとするものである。その視線は、日本の固有性への着目によって特徴づけられる。江戸末期以降、常に西欧からの影響を受けてきた日本の美術の中で、日本固有の文脈に根ざした表現とは何かを追求し、「具体」から「もの派」への展開を跡付ける。 歴史を大づかみし、否定も厭わないストレートな言葉が魅力である。アンフォルメルの影響を受けた後の「具体」や、一九八〇年代の「ニュー・ペインティング」など、西欧から移入されただけの動向はばっさりと切り捨てられる。環境芸術についても、テクノロジー主導型は重視されない。 また、作品自体を論じるよりも、批評を追ってゆく方法も特徴的だ。「具体」に関しては、東野芳明、針生一郎、宮川淳といった批評家の言説が俎上に載せられ、東野は「視野がひろくてめくばりがきいているという長所も、するどい垂直的な切りこみに欠ける」、宮川は「日本の美術の固有の文脈にたいする自覚」を欠くなどと手厳しい。批評家だけでなく、「もの派」の李禹煥や菅木志雄、一九七〇年代の彦坂尚嘉など、作家自身の言葉も重視される。日本の固有性を考えるときに、英語の「art」に対して、日本語では「芸術」と「美術」の二つの言葉があることが持つ可能性にも言及している。 今回の文庫化にあたり増補された部分は、本書出版以降の動向が対象となっている。「もの派」の作家や、一九八〇年代から活動している戸谷成雄や遠藤利克といった作家による今日までの作品が中心で、一九九〇年代以降に現れた村上などはほとんど触れられていない。評価に値しないということであろう。だが、村上自身は「スーパーフラット」というキーワードで日本の固有性を主張している。どう違うのか。 二〇〇六年に出版された千葉の『未生の日本美術史』では、この傾向を「サブカルチャー的アート」と呼び、「イメージ」を無批判に採用している点を批判している。一方「もの派」は、物質を素材として扱ってしまう西欧の美術に対して、物質自体に世界が含まれていると捉え、それに手を加えることなく、世界と「出会おう」とした。特に菅木志雄においては、ものの強さに頼ることなく、「無名のままただそこに在ること」を実現している点を千葉は高く評価した。そして、この考え方は「具体」にも先取り的に示されていると千葉は捉え、「ものを扱うことがそのまま世界とかかわることたりうる」と述べている。作ることに対する否定を極限まで推し進めた点において「もの派」は、西欧のミニマル・アートとも共通するが、物質に世界が含まれているという捉え方をした点に、千葉は日本の固有性を見出している。二〇世紀西欧美術の還元主義を日本に移入し同じ課題を共有しながらも、その先に生じた独自性こそが重要であって、西欧の還元主義を無視して無批判に「イメージ」を扱い、マンガや江戸時代以前の日本美術と結びつけて平面性を日本の独自性とする主張は、評価しえないと考えているのだろうか。だとすれば、「もの派」以降、西欧の課題を引き受けた先にある日本の独自性など果たしてあるのだろうか。私たちの世代に残された宿題であるように感じられた。
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