ちくま文庫

全部「五万点」な傑作選
伊坂幸太郎編『小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇/オーシャンラズベリー篇』刊行記念インタビュー

「小説の凄さ」を知りたいけれど、一体何から読めばいいのかわからない。物語は好きだけれども、小説以外に漫画や映画、アニメ、舞台、数多のエンタメ作品はある――。そんな人にこそ届けたい、作家・伊坂幸太郎が究極の短編だけを選んだ二冊のアンソロジー『小説の惑星』。刊行までの舞台裏を伊坂さんにうかがいました。

 

さらに、こぼれ話

――続いて、オーシャンラズベリー篇の方に移ります。

伊坂 永井龍男さんの「電報」は、笑えるというか、くだらないというか、この作品の肩透かし感というか、ずっこけ感が大好きで。初めて読んだ時、「これ、笑っていいのかな」「笑っていいんだよね?」と不安になりましたけど(笑)。

 絲山秋子さんは、「全部いい」としか言いようがないんですよね。押しつけがましさがないですし、一言で、「こういうテーマの小説です」と評せるような小説ではなくて。「人間賛歌」というのとも違いますし、「人間ってこんなにひどいぞ」みたいな話でもない。偉そうに観察をしているのでもなく、上から見る感じもなく。あと、小説に限らず、映画でも漫画でも、「好きな作品」を挙げる時って、自己顕示欲というか、「その作品を挙げることで、他人にどう見られるか」というのを気にする部分があると思うんですけど、絲山さんの小説ってそういうものからも離れているような気がして、だから、絲山さんの小説が好きだという人は信用したくなりますし、絲山さん自身も、本当の意味で、小説が好きなんだと思います。

 阿部和重さんは『キャプテンサンダーボルト』(文春文庫)で合作もしていますが、もともと憧れの存在なんですよね。書く小説がとにかく、小説的にかっこよくて。自分がデビューした後はそれこそ、「阿部和重はいつも自分の先を行っている」という感じで、嫉妬心もあって。ただ、阿部さんの作品って、インモラルなものが多い、というか、不謹慎なこともたくさん起きるので(笑)、今回のアンソロジーは、「あまり嫌な気持ちにならない作品」というコンセプトですし、収録できる短編がないかもしれないと思っていたんです。でも、「Geronimo-E,KIA」を思い出しまして。はじめて読んだ時は、何も考えずに読みはじめたので、「え? これ、どういうこと?」「どう味わえばいいの?」と思ったんですけど、「近未来を舞台に、ウサマビンラディンのこととeスポーツ的なものを融合させているのか」と分かると、「よく思いつくなあ」「思いついたとしても、自分は完成させられないなあ」と唸ってしまいました。これが発表された時よりも今のほうが、FPSと言うんでしょうか、ああいうゲームやeスポーツが身近になっている気がするので、より、この小説の面白さ、凄さが分かるのでは、と思ったりします。

 中島敦さんは、漢文調の文体がかっこいいじゃないですか。難しそうなんですが、読んでみると案外、分かりやすいというか。自分では書けないので、やっぱり憧れちゃいますね(笑)。「名人伝」も大好きですけど、収録作に選んだ「悟浄歎異」の方は、今だと、「西遊記の二次創作」みたいな感じなんでしょうか? 単純にパロディをしているのでもなくて、原典の登場人物たちを中島さんが書くことで奥行きが出てきて、物語がより愛しくなる感じで。何と言っても最後が大好きです。隣で寝ている三蔵法師の寝顔を、沙悟浄が見るんですよね。「自分が信じているなにかを確認する」ようなシーンだと思っていて。宝箱から大事なものを取り出してみつめる、尊敬するもの、大切なものをみつめる、みたいな感覚なのかな。西遊記にこんなに詩的な時間が流れていたんだと驚きましたし、孫悟空や猪八戒、沙悟浄の関係性ってこんな風に解釈できるんだな、と。

伊坂 島村洋子さんの作品は、あとがきでも触れましたが、恋愛小説のアンソロジー『Friends』『LOVERS』(共に祥伝社文庫)で初めて出会いました。今回収録した「KISS」と、もうひとつの候補だった「七夕の春」、ふたつ読んだらふたつとも好みだったんです。だから、自分と感覚が似ている作家さんなのかな、と勝手に思いまして。多分、僕の読者が、その二つの短編を読んだら、「どっちも伊坂が好きそうだな」と感じるんじゃないですかね(笑)。こういう恋愛小説もアリなんだな、と思って書いたのが、短編「透明ポーラーベア」(祥伝社文庫・アンソロジー『I LOVE YOU』所収)でした。もともとその執筆のための勉強と思って読んでいたのですが、「いまはもうここにいない人」について書く、というのはやっぱり好みなんでしょう。

 横光利一さんの「蠅」は担当編集者から教えてもらった作品なんです。読んでみたら、すごく好みで。横光さんの短編小説だと、「機械」も好きなんですが、「蠅」はコントみたいな感じもあって(笑)、収録するならこっちかな、と。後で思ったんですが、おそらく担当編集者が薦めてくれたのは、人間の悲劇を別の存在が俯瞰的に眺めている、という感じが、僕の「死神」シリーズ(『死神の精度』ほか文春文庫)と重なったからかもしれません。

 筒井康隆さんはどの作品も面白いし、すごいですよね。初めて読んだのは、高校生の時に読んだ『おれの血は他人の血』(新潮文庫)だったような記憶が。今回のあとがきにも書きましたけど、「小説で実験的なことをやろうとするとだいたい筒井さんがすでにやってしまっている」っていうのは本当なんですよね。ミステリーに関しても、若い作家さんのトリックが、『ロートレック荘事件』(新潮文庫)と同じだったりしたことがあって、「残念だけど、すでに筒井さんがやっているんだよね」と同情に近い気持ちを抱いちゃいました。収録作の「最後の伝令」は、単純な擬人化、とも違いますし、映像化とかできないじゃないですか。読者が想像力を駆使するのを信じている、というか、読みながら、自分の想像力がぐるぐる働いている感覚が、気持ち良いです。

 島田荘司さんは、もうあまりに自分への影響が大きすぎて。でも、実は島田さんの作品も、このアンソロジーには入れられないかな、と思っていたんです。大好きな短編はたくさんあるんですが、たぶん、僕が何度も読み返しているので、勝手に、「改めて、収録しなくてもいいのかな」みたいな気持ちになっちゃったのかも(笑)。ただ、「大根奇聞」はミステリーとしても、お話としても感動した記憶があって、再読したらやっぱり良かったので、これは収録したいな、と。僕の好きな名探偵、御手洗潔は電話でしか出てこないんですが(笑)。あ、そういえば、会社員の頃に読んだ『龍臥亭事件』(光文社文庫)も思い出深くて……。たしか、この長編も御手洗はほとんど出てこなかったんですよね。ワトソン役の石岡君がひたすら、一人で頑張る、という。途中で、御手洗を頼るんですけど、御手洗から手紙が来るだけで(笑)。だけどその手紙に、「君に必要なものは自信だけだ。成功することを信じているよ。頑張れ」とか書いてあって、まあ、特別な言葉じゃないですけど、その、「信じているよ。頑張れ」という言葉にウルウルして、泣いちゃったのを今思い出しました。たぶん、当時、会社での仕事がつらかったんじゃないですかね(笑)。

――最後に、大江健三郎さんです。

伊坂 大江さんの作品こそ、正直、収録できる短編はないだろうなと思っていましたね。大江さんの小説は長編がとにかく好きでしたし、やっぱり、どれも結構、重いというか、「読み終わって、楽しかった!」という小説ではないので(苦笑)。ただ、「人間の羊」を久々に読み直したら、これはやっぱり凄いし、小説の凄さを味わってもらうためにはこれはぜひ入れさせてほしい、と思ったんです。大江さんの小説に対する思いは、あとがきにたくさん書いたのでそちらを読んでいただきたいです。
 そういえば、デビュー前、学生のころかな、「なんちゃって大江さん」的な小説を書いたことがあるんです。今思い出しましたけど(笑)。難解な比喩をふんだんに盛り込んだものを書いたんですが、独りよがりな、本当にひどい小説しかできあがらなくて(笑)。憑き物が落ちたというか、一回、書いてみたからこそ、「自分はエンターテインメント小説を書こう」と思えたのかも。