――今回の傑作選は編集部から提案した企画でしたが、即決して下さったのが意外でした。あらかじめ収録作の候補リストがあったものを除けば、アンソロジー編集は初めてですよね。
伊坂 自分で原稿を書かなくていいならできるかも、と思ったからですね(笑)。あと、これまでにも、例えば井伏鱒二さんの「休憩時間」とか、自分のエッセイの中で好きな短編として紹介していたんですが、僕が紹介したとしても、実際に読んでくれる人は稀じゃないですか。そもそも僕自身、好きな作家やアーティストが「この作品に影響を受けたんだよ」とおすすめをしていても、その全部を手に取ることはそんなにないですし。おすすめが三つあったら一つを手に取るのが関の山というか、いざ買おうと思ってもタイミングが悪く買えなかったりとかもしますから、読んでもらえないだろうな、と思いながらおすすめしているところもあって。だけど、「アンソロジーでまとめて読んでもらうという手があったのか!」と気づかされて(笑)、それならお願いしたいな、と思ったんです。
──「一気読みおすすめ集」としての魅力があったのですね。
伊坂 いきなり言い訳っぽいですけど、そんなに短編小説を読んできたわけではないんですよね。もともと長編小説が好きだったので。なので、「たくさんの短編を読んでいるので、そこから選びます」という感じではないんです。たぶん、そういうものはもっとすごい方たちがやっているだろうし、これからもやるんだと思うんですが、僕の場合は自分の記憶に強く残っている短編、それも「百点満点中、五万点」くらいの(笑)作品だけを集めればいいのかな、と考えました。だから、これは勘違いされたくないのですが、「アンソロジーとしてのバランスを考えて古典や名作も入れておこうかな」なんてことはいっさい考えていないんですよ。とにかく、僕の中でめちゃくちゃ良かった短編を選ぶ、というそれだけを考えました。僕、記憶力が駄目なので、基本的になんでも忘れちゃうんですよね。そんな僕でも強烈に覚えている作品をピックアップしたい、と。
──学校の教科書や図書館で読み、記憶に残った作家が意外と多かった、ともおっしゃっていました。
伊坂 そうですね。ただ、それについても「井伏鱒二さんの作品を選びたいけど、教科書に載っていた『山椒魚』は有名すぎるからやめて、『休憩時間』の方を選んでおこう」ということはしていなくて(笑)、まえがきにも書きましたが、見栄とか忖度とか、まったくなく、本当に、収録作品のそれぞれが僕にとって「最高な短編小説」だから選んだだけなんですよね。短編小説はそれほどたくさん読んでこなかったとは言ったものの、もちろん、「これはいいなあ」「すごいなあ」と感じる短編はいくつもあるんですよ。ただ、今回はそのレベルではなくて(笑)、もう二つくらいレベルが上の、「大好きだ!」というものばかりを集めました。
収録作の選び方
──具体的にはどんなプロセスで作品を選んでいきましたか?
伊坂 「記憶に残っているものを選ぶ」と決めたので、当たり前ですけど、新しく読んで探すことはやめました。ただ、作品ではなく、「この作家の書くものはどれも素晴らしいから、絶対に入れなければ」と作家名が浮かんだ方もいて、そちらの作品についてはどの作品を選ぶか悩みました。あと、分量の制限がありますから、そこはとても難しかったです。大好きな小説家だけれど、好きな作品は長編ばかり、という方も、奥泉光さんや佐藤正午さん、島田雅彦さんとか、かなり多くて。そうそう、反対に、記憶の中ではよかったのだけれど、今読んでみたら違うかも、というケースもありました。
──企画段階から本の薄さは気を付けていましたよね。元々は一冊にまとめる計画が、途中で分冊することになりました。
伊坂 普段小説を読まないような人たちに読んでもらうには、やっぱり薄くしたほうがいいかなあ、とは思ったんですよね。さらに、怖かったり、暗かったりするものはやめておこう、という方針も決めました。いざ好きな作品をあげていくと結構、嫌な話とかグロテスクなものが多かったんですが、そういうのはなるべく外しました。あと純文学系の方の好きな作品って意外に短編というより中編の長さだったり、ミステリー系の方も短編とはいえ分量があったりするんですよね。なので大好きな短編でも、いろいろな理由で入れられなかったものも多くて。収録してもいないのに勝手にお名前を挙げるのも失礼な気がしちゃうのですが、連城三紀彦さん、吉田修一さんや本多孝好さん、円城塔さんや津村記久子さん、赤川次郎さん、京極夏彦さん、有栖川有栖さんとか、河野多恵子さんとかも記憶に残っている作品があったり、あと、法月綸太郎さんの「バベルの牢獄」(角川書店刊『ノックス・マシン』所収)も大好きなんですけど、読んだ方なら分かると思いますが、あれは独自の理由で簡単には収録できないんですよね。
先入観なく楽しんで
──「普段、小説を読まない人」向けにしようと考えたのは何故ですか?
伊坂 まえがきにも書いていますが、今って娯楽が多いですよね。僕もこどもの影響でYouTubeなどの動画もよく見ますし、「小説を読まなくてもいいんだなあ」って思うこともあるんですけど、もし万が一、いま小説に興味を持った人がいて、「何を読んだら、小説ならではの凄さが分かりますか」って訊かれた時に、出せるものがあるといいなあと、別にそんなことを訊かれる予定もないのに(笑)、考えちゃいまして。「これで、面白いと思われなかったらしょうがない」と自分で諦めがつくものを作りたいと思いました。それと、アンソロジーというとテーマがあるものが多いと思うんですけど、僕はすごい読書量とか知識量があるわけではないので、そのテーマで傑作を十本集める、ということができないんですよ。だから、やれるとすれば、「めちゃくちゃ好きな小説」というコンセプトしかないな、と。気を付けたのは、先ほども言ったように、あまり嫌な気分にならないものを選びたい、というくらいで。ただそれも、出来上がってみると「そんなこと考えなくてもよかったのかな」という気持ちにもなったりして。「あまり小説を読まない人は、暗い話とかいやだろうな」と決めつけるのも、僕のほうの勝手な思い込みだったかな、とか。
──選択の際にそういった抑制はあったかと思うのですが、それでも案外、どの作品も「明るい」というだけではないような。
伊坂 そうなんですよ(笑)。やっぱり、自分の好みで選んでいるので、どれも少しおかしみがあって、不思議と笑える、だけどちょっと奇妙、とか不安になる、みたいな話が多くなって。とはいえ、マニアックというか、小説を読み込んでいるからこそ凄さが分かる、みたいなのは僕の自己満足になってしまうような気がして、気軽に読んでも、「いいなあ」と分かるようなものを選んだつもりです。
──「入りやすさ」の他に、意識した点はありますか?
伊坂 「小説ならでは」という部分は、だいぶ意識しました。「ストーリーの良さ」をアピールしてしまうと、ほかのエンタメでもいいのでは? となっちゃう気がしますし。この本に収録されている作品については、小説だから面白いというか、「違う人の文章で書いたら全然違う印象になるんじゃないのかな」と感じるものばかりだと思っています。あと、とにかく僕の好みで選んでいるので、少なくとも、僕の熱心な読者が読んだら、「伊坂が好きそう」とか「ここから影響受けてるんだ」とか思うんじゃないかなあ、という気はしています。実際、町田康さんの「工夫の減さん」についての編者あとがきで、主人公の台詞に「けっこう」という言葉が挟まれていることについて触れたんですが、その後、自分の作品『フーガはユーガ』で、「俺の弟は、俺よりも結構、元気だよ」って書いていることに気がついたんですよ。完全に無意識だったんですけど、どこか記憶に残っていて、影響を受けたのかも、と思いました。