朴沙羅

生活の練習、甘寧一番乗り、証拠集め
『言葉を失ったあとで』『ヘルシンキ 生活の練習』刊行記念

2021年12月11日、代官山蔦屋書店でのオンライントークイベントの書き起こしです。お互いの本の話から、子どものころ何を読んでいたか、原稿をどうやって書いているかまで、楽しいやりとりになりました。

――事前のやりとりで、上間さんがのけぞったとツイッターで見たんですが。

上間
 あー、これ。本屋さんのイベントだから子どものころ好きだった本とか聞きたいなって。柴山さんが「上間さん、何が好きでしたか」と聞いてきたから、「『クラバート』だったよ」って。いま文庫になってるそうなんですが、出たてのときに読んで、ぶるぶる震えながら読んでた本なんです。
 私が「クラバートです」って送ったら、沙羅さんから来たのが、もうね、堀田善衛とか(笑)。


 もうちょっとあとです。それは小学校の5年生くらいから。

上間
 みんな、聞いてる(笑)? センダックとかはちょっとかわいくて。小学生になったら『三国志』で。それがダダダってきて。
 つっこみどころが多すぎて(笑)。なんかね、小学生がこれ開こうと思うのかなって、のけぞって。「どうしよう、私このなかで知ってるのちょっとしかない」って柴山さんに言って、堀田善衛とか家になかったし。


 私は『クラバート』って柴山さんから聞いて、「うわああああ名作だ!」って。なんだろう、読み始めたら止まらない本ですよね。

上間
 6年生のときに読んだんですけど、すべてを捨ててでも選ばないといけないときが来る。そういう勇気を持てるのか私は、って。大学生になってつげ義春の絵を見たときに、『クラバート』読んでたときの、夜がふくらんできて侵入するかんじはこれだったって。だから震えて読んでたと思うんだけど。
 おうちに、いろんな本があったんだね。


 『三国志』はなくって。京都の百万遍のお寺のところで古本市やってて、父がそこに連れていってくれて、そこで漫画を見つけたんですよね。私が「これ買って」っていったら、一週間くらいして、たぶん梅田の古本屋かどこかだと思うんですが、父が横山光輝の『三国志』をしょって帰ってきて、玄関で母に叱られていました。

上間
 私、これを機会に読もうと。


 いや、やめといてください。恥ずかしい。

上間
 私も、連れ合いに、諸葛孔明とかの話だよねって。そしたら、漫画おもしろいよって。これを機会に大人買いする。


 60巻あるんですけど。

上間
 はっ(笑)。


 初めて全部読んだときに感じたのは、歴史ってあるんだなって。次の政治体制をつくるのってめっちゃたいへん、って話なんですよね。一言でいうと。

上間
 すごい一言(笑)。


 2回以上読むと、今でいう推しキャラができるんですけど、最初はそれもありませんでした。だって、みんなおんなじ顔だから。

上間
 ははは(笑)。


 何回か読むと目が肥えてきて、このひとかっこいいってなるんですが。なので、ざっと読んで、新しい政治体制をつくるのはたいへんだってことに感銘を受けて。歴史の流れがあるんだって。

上間
 そっか……。そういうかたちで読んでたんだ。


 もちろんキーパーソンとか、このひとの意思決定はいかがなものかとかは言えるんですけど。そのひとたちがより望ましい意思決定をしたところで、全体として、たとえば漢王朝は滅んでいただろうな、とか。

――推しはだれだったんですか?


 もう、恥ずかしいな(笑)。横山光輝の漫画『三国志』だったら、結局、(若い頃の)曹操です。で、全体というか、いろいろ三国志ものは読みましたが、それであえて言うなら夏侯惇です。

上間
 ははは(笑)!


 でも、みんな好きです。

上間
 この話、みんなついていけてるんだ?

――魏が好きなんですね。


 えっとね、そんなことないですよ。魯粛も甘寧も好きだし、ベタだけど張飛も好きでした。学童保育でけん玉を振り回して「甘寧一番乗り」って言ったりしてました。

(横山光輝『三国志』希望コミックス版、第37巻「呉軍動く」より)

上間
 すごいね、日本のインテリってすごいね。


 イ、インテリ……? 11月の半ばに、ヘルシンキから関空に着いたんですけど、PCR検査を唾液でやるときに、レモンと梅干しの写真が貼ってあるんです。梅干しを見て、「これは! 「この山を抜けたら梅の林があるぞ」ですね!」って言ったら、娘から「何それ?」って言われました。

上間
 ちょっと、だれか解説して、私それ……。


 『三国志演義』で、真夏に軍隊が移動するとき、兵士の喉が渇くのをどうしたらいいかというので、「この山を越えたら梅の林があるぞ」と言って梅を想像させて唾液を出させるエピソードがあるんですよ。「これやん!」みたいな。
 「誰かこの話を知ってる人はいませんか!」って思ってたら、奥のほうから「おもろい人がおんな」っておじさんの声が聞こえました。関空でそう言われると、「あなたを戦士として認めます」みたいな意味だと思うんですが。

上間
 よかったね(笑)。


 次回からは、「ここにレモンと梅干しの写真を貼るのは会議で決まったんですか?」にしとこうと思います。

上間
 フロアから、質問が来てますね。
 「本にあった、いろんな問題を個人の特性に帰するのではなく、技術のレベルで対処できるという考え方。それをもうすこし聞きたいです」


 お散歩友だちのエリナさんによると、教員のマニュアルというか教育省の指導があるとのことです。彼女は「だって、人格で〇とか×とか点数つけちゃだめでしょう?」って言うんです。
 たとえば恥ずかしがり屋だから点数が低い、というのはおかしい。手をあげられるように、手をあげる練習をするとか。別に手をあげなくていいから、考えていることを言語化する練習をするとか。求められたら言わないといけないときがあるから、そのときに言えるように練習する。そうすると、教員も評価しやすいでしょうって。
 フィンランドでよく感じるんですけど、こっちは何か深いことがあると思って聞いたら、すごいプラクティカル(実際的)な回答がかえってくるという。社会人が服装で気をつけることが、反射材をつけるとか、滑りにくい靴を履くとか。私はそれがすごくいいなあと思います。向こうからすると、「なんでそんなびっくりしてんの?」みたいなかんじなんですが。
 何事も練習しないとできないというのはすごく感じることで、オーストラリア国立大に博士のときに半年だけ行ったことがあるんです。そのとき学内の安全講座でやったことが、「みんなで大声を出す」でした。広いグラウンドで、みんなでわーって叫んで。あとは、最寄りの警備員の詰め所まで走る。やっとかないとできないからって言われて。たしかに、大声出さないですよね。思い切り走るとかも。
 でもそのあとに、学内でいちばん危ないのは酔っ払い以外だと夜にあらわれるカンガルーで、走っても無駄だからって言われました(笑)。カンガルーはまっすぐにしか飛べないから、横によけろって。

上間
 すごい合理的。


 そうそう、ある種の合理的な考えとか、必要に即したことをやるという。
 あと、フィンランドだと、大学4年生で卒業して就職したけどスキルアップのために休職して大学院に通って、そのあと昇進したり転職したりするひとが当たり前にいるんです。理系だけじゃなくて文系でも。大学に入る年齢もまちまちだし。いまの首相も大学に入ったのは確か、高校卒業から3年くらい経ってからじゃなかったかな。
 だから、技術をだれでも習得できるという発想って、ある意味でいろんなスキルを一生伸ばし続けないといけないというか。再チャレンジし続けないといけない、ということもあると思うんですよね。ちょっと厳しいというか。

上間
 シビアなことに対応しないといけない場所では、そういう合理的な判断がたくさんあるはずなんですよね。どこに逃げるかとか、走る練習、大声出す練習とか、女のひとってとくに大声出すように育てないから、練習しないと声出せないんだよね。
 それこそDVの現場で働いているひととか、実践知のなかで、スキルの話をしてるとは思うんだけど。ただ、それがそのひと固有の力になり物語になるというか、いい話に転換されやすいなって。もっとドライでいいというか。


 スキルにしたほうが、共有しやすいのはあると思うんですよね。

上間
 そうですね。人格的な話と言われるとたいへんなことになっちゃう。練習して身につけられるって。


 敷居は下がるし、何をやったらいいかわかりやすくなる。優しいひとになるとか、すごく難しいじゃないですか? でも、自分がもっているものをほかの子がほしそうにしていたら、ちょっとわけてあげるとか、具体的な行動のレベルに落としてみる。回数を増やすとか。それだと、できそうな気がする。
 けっこう難しいけど、そのひとの人格でなくて、問題を見る。エスニックマイノリティの属性をもつ子が卒業論文を書きたいと言ってきたら、私は「あなたは問題に向き合うのであって、すくなくとも卒業論文とかでは、自分と向き合わなくていいですよ」と言いたいです。苦しみとあなたをわけるというか。そういうふうに、人格に戻さないというのは、私が研究のいいところだと思ってることなんですよね。

上間
 解放されるための方法、ってことなのかな?


 そうですね。守り方のひとつではあると思います。
 上間さんにも聞いてみたいことがあります。上間さんは自分の仕事は調査だとおっしゃっていますが、調査や研究であるということが、上間さんを守ったり解放したりするときがありますか?

上間
 うーん。いまは結局、10代のママのシェルターつくって責任者やっているから、なんだろう。調査対象を難しい層にするって決めた10年前には、いままでのように仕事と生活をわけるとか、スマートなやりかたは通用しないなって。
 そのまえまでは、データはデータ。生活をそこに投入する必要はなかったので、時間的にも空間的にもわかれていて。なんか、証拠を集めるみたいな仕事だなって思う。
 ただ10年前に、沖縄の、しかも女のひとたちをやるって決めたときには、そういう話にはならないと思ってて。実際、時間のとられ方がおそろしくあるし、空間的にも共有してるので、侵入される感覚とともにしかいられない。でも、私はここを知りたいと思っていて。
 沖縄の風俗業界って、東京・大阪よりもいちだんと年齢が下なんです。中学生で業界入りしているという話をするときに、私は加害者への怒りも強いし、被害を受けている子たちの痛み方とかわかるのに、ほんとに仕事としてやるのかって。でも知りたかった。知りたかったから、あんまり自分を安全なところには置かないというやり方をしてしまった、というかんじです。
 でもね、しんどい話を聞いても、その場所に居続けるっていうことと、ちがう空間に帰るというのは、とんでもなくちがうことで。言うまでもないことなんだけど、すごく納得ずくでやってる気はします。こういうスタイルしか、いまは聞く方法がないと思ってるので。
 支援がメインじゃないんだけど、状況が厳しくて緊急度が高いときとか、このままいくと大変になるから時間稼ぎしたいとかがあって、支援のように動くことも、納得はしています。答えてるかな?


 大丈夫です。なるほど……

上間
 支援のプロのひとたちもまた、別空間があるからこそ支援の場に出ていけるとは思います。そのときのノウハウって、社会調査しかやったことない人間がやることよりも、徹底してるんですよね。軸足の置き方もちがうし、その後の時間的な読みもちがう。打つ手がちがう。
 それこそ、Justiceの話をしてもどうしようもないからUsefulの話をするみたいなことを、支援系のプロは、やっぱりそういう選択をしている。正義の話で場を動かさないで、こっちのほうがうまくいきそうだとところは、もうすこし合理的な判断でやってる。そこは、正義で理屈の世界にいる私は正義を思っちゃって、そういうやり方は、そんなにうまくいかない。
 いま若年出産女性調査のメンバーがいて、沖縄の支援系で働いている友だちでそれはシェルターの母体のメンバーでもあるんだけど、そこに何があったか共有しているんですね。どこにつなげるのかとか、何を軸にしないといけないのかとか、複数の目にさらされて考えないと、私はJusticeみたいな話をパッとしようとしてしまいます。
 だから、支援のひとたちが当人の主体性を奪わないかたちでいまある資源を組み立てていく方法と、こんなことあっていいはずがないと思っている人間がやろうとすることはやっぱりちがう。


 よかった、これすごい聞きたかったんです。これを研究でやるってどういうことだろうって思ってたんです。空間的にも同じ場所の、すごく大変なひとたちを、うっかり境界がなくなってしまいそうなときに、「調査です」っておっしゃっていたのを見て、この「調査」ってどういう意味なんだろうと思っていたので。

上間
 やっぱり社会調査しかできないんです、証拠集める。証拠を集めて、どこを軸に展開できればいいのか、というのはもちろん考えています。
 場所が変わればパフォーマンスってだいぶ変わるから。そういうものの証拠を集めている。それをやるのが仕事だよね。DVで、逃がさないといけないから逃がすけど、それは仕事じゃない。付随して起こることで、時間稼ぎも必要だから、やる。
 お時間ですね。今日は、聞いてくださってありがとうございました。


 ありがとうございました。

2022年1月19日更新

  • はてなブックマーク

特集記事一覧

カテゴリー

朴 沙羅(ぱく さら)

朴 沙羅

1984年生まれ。専攻は社会学(ナショナリズム研究)。単著に『ヘルシンキ 生活の練習』、『家(チベ)の歴史を書く』(ともに筑摩書房)、『外国人をつくりだす――戦後日本における「密航」と入国管理制度の運用』(ナカニシヤ出版)、編著に『最強の社会調査入門』(ナカニシヤ出版)、訳書にポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』(水声社)がある。

上間 陽子(うえま ようこ)

上間 陽子

1972年、沖縄県生まれ。普天間基地の近くに住む。1990年代から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に携わる。2016年夏、うるま市の元海兵隊員・軍属による殺人事件をきっかけに沖縄の性暴力について書くことを決め、翌年『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を刊行。沖縄での日々を描いた『海をあげる』(2020、筑摩書房)が、第7回沖縄書店大賞を受賞した。

関連書籍

信田 さよ子

言葉を失ったあとで (単行本)

筑摩書房

¥1,980

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入

朴 沙羅

ヘルシンキ 生活の練習 (単行本)

筑摩書房

¥1,980

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入