世界マヌケ反乱の手引書刊行記念

マヌケ反乱も音楽も国境を越える【前編】
『世界マヌケ反乱の手引書――ふざけた場所の作り方』刊行記念

●ヨルダンの「インターナショナル」

松本 昔モンゴルに行った時、車でゴビ砂漠を横断したことがあるんですよ。そういうところに行くと日本のことが恋しくなるかなと思って、日本のバンドのカセット・テープをいくつか持って行ったんですけど、その中にモノノケ・サミットのアルバムがあって。

中川 風景に合わないと思うけど(笑)。

松本 心細くなった時に聴いたら、安心するじゃないですか。車の中でモノノケ・サミットの曲を聴いてたら、モンゴル人が超喜んで。他の日本のロックよりもモノノケ・サミットに超反応して、「これはなんだ!」という感じで。

中川 2005年に、ヨルダンのパレスチナ難民キャンプで、文化交流会的なライヴをやった。向こうの子どもたちがダンスを披露して、「次は日本からやってきたこの人たちです」みたいな感じで紹介されて。アラブ社会ではそういうイベントの時、町の有力者たちが最前列に座ることになっている。その時も物々しいおっさんが5人ぐらい最前列に座ってたんやけど、時間が押してて怒ってて。「モスクの礼拝時間は19時からなのに、なんやこの音楽は」みたいな感じで(笑)。俺が歌ってるすぐ前に機嫌の悪い顔をしたおっさんたちが並んで座ってて、笑いもしないし、実にやりにくい。後ろのほうにいた人たちは、楽しそうに踊ってたんやけど。で、ライヴの最後のほうで「インターナショナル」をやったんよね。海外でやる時は必ずトランスレーターを付けて、ちょっとギャグが入ったMCをやってそれを訳してもらう。「120年ぐらい前にフランスのあるおっさんが『国家よ、ええ加減にせえよボケ』という感じでつくった曲です。前世紀に入ってからは変な奴らが歌って、変なアレンジでやってたから変な曲だと思ってる人もいるけれど、実はなかなかいい曲で、今から我々が正しいアレンジでやります」とか(笑)。そんな感じのギャグMCを言うと、トランスレーターも笑いながら訳してくれるんやけど、「インターナショナル」をやり始めたらその有力者たちが曲に合わせて足踏みを始めて(笑)。

松本 顔はそのままですか?

中川 そうそう(笑)。俺、そういうちょっとじわっとくる話が好きで。演奏しながら、おかしくておかしくて。

松本 気に入ってくれたんですね。

 

●ベトナムの「インターナショナル」

中川 1997年にベトナムのダナンで演奏をした時も、「インターナショナル」をやり始めると若い人たちが不快な顔をするわけ。「またこの曲かよ」っていう感じで、はたと動きが止まった。でも俺らの演奏のやり方がチンドン・ミュージックで、加えて俺のあの歌い方やから、彼らもだんだん「もしかして……」っていう感じで笑い始めて(笑)。共産圏の若者たちにとっては、「もうええわ」という曲。あの曲は、スターリン時代の国歌でもあるしね。だから徐々に会場の雰囲気が変わっていって。

松本 法政大学に入った時、先輩が酔っ払うと「インターナショナル」を歌うんですよ。そういうの、イヤじゃないですか。いかにも学生運動をやっているような人が歌って、「お前も歌え」みたいな感じになって。だからあまり印象が良くなかったんですけど、モノノケ・サミットのライヴで「インターナショナル」を聴いた時、感動しましたもん(笑)。「先輩が歌ってたやつがこんなふうになってる」って(笑)。

中川 1996年頃に神戸の避難所やイベント等で「インターナショナル」をやり始めたんやけど、その頃ネット上で、オールド左翼のおっさんが「ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの『聞け万国の労働者』あたりのチンドン・アレンジはいいけど、『インターナショナル』のあのアレンジは馬鹿にされてるような気がする。ふざけすぎてる」って書き込んでるのをたまたま見かけて、ならばこれからは毎回やろう、と思った(笑)。

 

●「20世紀日本のうた100選」からこぼれる名曲

中川 神戸の避難所でやる時に、雑多な人たちがいる場所なんやから雑多な曲をやろうということになって。当時、俺らはまだ20代後半で、手さぐりやったけど、まず朝鮮民謡は「アリラン」、アイヌ民謡は「アランペニ」、沖縄民謡は「てぃんさぐぬ花」と「安里屋ユンタ」あたりをやろうと。年寄りを楽しませるためにやるという主題があったから、とにかく有名な曲をやって、あまりマニアックにはしないでおく。労働歌は「聞け万国の労働者」、戦前の流行り唄は「カチューシャの唄」「東京節」、添田啞蝉坊は「ラッパ節」、みたいに。で、自分たちなりに考え抜いた選曲をして演奏したら、最初からウケちゃった。で、あちこち回ってると、「がんばろう」とか「インターナショナル」をやってくれと言われる。

 「がんばろう」をやり始めてからしばらくして、どこかの仮設住宅で演奏が終わった後、80代後半ぐらいに見える、腰の曲がった小さいおばあちゃんが、俺のところに来た。「お兄ちゃん、歌うまいねぇ。今日は私が青春時代に毎日毎日歌ってた歌を聴けて、本当に嬉しかった。元気になったわ、ありがとうね」と言われて。俺はその時、そのおばあちゃんの風貌から「カチューシャの唄」や「竹田の子守唄」、「アリラン」みたいなスローで静かな曲を勝手に思い浮かべた。で、「おばあちゃん、その毎日歌ってたのはどの曲なん?」って聞いたら「『がんばろう』や。あれを毎日、労働組合で歌ってたんや。ほんま懐かしかったで」って(笑)。

 よくNHKとかが「20世紀日本のうた100選」とかやったりするけど、あそこからこぼれ落ちたもので、本来選ばれるべき曲が日本列島にはいっぱいある。レコード産業やマスコミ産業が流行らせた唄ではなく、地べたで広がっていった、真の意味での流行り唄たち。

 音楽と人間が切り離されてしまってるから、人間がいるところに音楽をもう一度持っていきたい。被災地に限らず、モノノケ・サミットの活動は、期せずしてそういうものになっていった。同時期、1996~97年に北朝鮮や香港、フィリピンのスモーキー・マウンテン、ベトナム等の海外や、障害者イベント、寄せ場等で演奏をする機会が増えて、結局、どこで演奏をしても同じような感慨が湧き起こってくる。   

                       (2016.8.8対談 後半へ続く)

関連書籍

松本 哉

貧乏人の逆襲! (ちくま文庫)

筑摩書房

¥328

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入

瀬戸内 寂聴

脱原発とデモ: そして、民主主義

筑摩書房

¥433

  • amazonで購入
  • hontoで購入
  • 楽天ブックスで購入
  • 紀伊国屋書店で購入
  • セブンネットショッピングで購入