このたび、「ちくま学芸文庫」にホッブズの『リヴァイアサン』の拙訳を入れていただいた。ロックの『統治二論』の邦訳に続く今回の訳業を通じて、二人の思想家の関係をめぐって改めて強く感じたことを記してみたいと思う。
オックスフォード時代のロックは、『リヴァイアサン』を熟読していた。1658年以降、『リヴァイアサン』が「ほとんど常に」ロックの机上にあったとの親友J・ティレルの証言がそれを示す。では、『リヴァイアサン』は、ロックに何をもたらしたのだろうか。『リヴァイアサン』の影に強迫観念のようにつきまとわれたロックは、その影を追い払うための知的格闘を強いられたこと、これが議論の多いその問題への私の回答にほかならない。紙幅の関係で歴史的な背景は割愛し、理論のレヴェルに限って示せば、事情はこうである。
17世紀のイングランドにおいて、政治権力の正統性論には神授説と契約説とがあり、前者の代表者はR・フィルマー、後者のそれはホッブズおよびロックであった。もとより、政治権力の正統性根拠を神の授与に求める神授説と、それを人間間の同意=契約に帰する契約説とはまったく相容れない理論であった。その点で、フィルマーはロックの敵であり、ロックが『統治二論』の前篇でフィルマーを徹底的に批判したのはその当然の帰結であった。他方、ロックにとって、ホッブズは契約論者として同類ではあっても、決して友ではなく、フィルマーよりもはるかに手強い理論上の敵であった。ここで重要なのは、フィルマーとホッブズとが政治権力を絶対化する点を共有していたことである。そこから『統治二論』のロックは、前篇でのフィルマー批判に続き、その後篇において、主権者権力の絶対性を契約説によって導いたホッブズの影を、同じ契約説の論理によって追いやる努力を迫られることになった。ロックが、その努力を集中的に払ったのは、自らの政治理論の中核をなす政治権力の制限論、政治と宗教との分離論の二つの領域においてであった。
第一に、ロックは、人間が契約によって政治社会を形成する際に、為政者の統治権を「生命・健康・自由・資産」から成る各人の「固有権」の保全に限定したとする権力制限論を主張した。契約説にもとづくこうした論理を展開することで、ロックは、主権者権力に絶対的な権威を与えた『リヴァイアサン』の巨大な影をまず追い払ったと言ってよい。しかし、権力の絶対化に関連して、ロックの政治思想を覆うホッブズの影にはきわめて切実な第二のものがあった。『リヴァイアサン』第三部で展開された「キリスト教徒から成る政治的共同体」論の圧倒的な重圧がそれである。そこにおいて、ホッブズは、政治と宗教との抱合体制を正当化し、主権者への政治的服従を救済の条件に繰り込んでいた。ロックが、そうしたホッブズと理論的に対峙した跡は、『統治二論』の系として書かれた『寛容についての手紙』の中の一節「福音の下においては、キリスト教政治的共同体などというものは絶対に存在しない」にくっきりと示されている。ここに込められているのは、キリストは「特別な統治形態を指定しなかった」との大前提の下、政治と宗教との分離を求め、人間の「固有権」のうちの「自由」に信仰の自由を含めることで「寛容」を政治権力の義務とし、それによってホッブズの影を追い払おうとするロックの強い意志であった。
以上のように、ロックの政治思想の個性的な領域は、『リヴァイアサン』の核心部分を覆し、その影からの自由を得ようとする努力によって形成されたものであった。その意味で、ロックを、政治的自由主義の旗手、寛容の使徒にし、ホッブズと並んで近代政治思想史上に屹立する存在にしたのは、ホッブズの巨大な影であったといって過言ではない。今般の『リヴァイアサン』の翻訳は、そうした思いを改めて強く抱かせる作業であった。
このほど政治哲学における一大古典『リヴァイアサン』が新たに完訳されました。訳者の加藤節氏はジョン・ロック『統治二論』(岩波文庫)の翻訳でも知られています。そのロックにとり、トマス・ホッブズはいかなる存在であったのでしょうか。政治思想史的観点から見つめます。