ちくまプリマー新書

信仰対象である「神さま」と哲学の問題である「神」の違いを知る
『神さまと神はどう違うのか?』より「はじめに」を公開!

一神教ってなに?哲学者はどうして神を問題にしているの?となんとなく神に対してモヤモヤしている人に向けた宗教哲学入門書。神さまと神のちがいがわかれば西欧文化も理解できるようになる!『神さまと神はどう違うのか?』より「はじめに」を公開!

 私はずっと神さまや宗教のことが気になっています。だから今から四十年(!)くらい前に哲学を勉強しようと決めたときも、神さまのことも考えられるように、西洋中世哲学史という領域を選びました。西洋中世はキリスト教の世界ですので、主にキリスト教が話題になるのですが、私にとってそれはどうでもいいことで、当時は仏教にもかなり関心がありました。毎朝、般若心経を新聞広告の裏に筆ペンで一回書いてから、トマス・アクィナスなど西洋の思想家の本を読み、疲れてくると座禅を組んでうとうとする、という生活をかなり長い間していましたが、自分としては何の違和感もありませんでした。

 神さまや宗教のことが気になるのはどうしてなのか、自分でもわかりません。気がつくと気になっていて、なんとなくしっくりこない。しっくりこないからよけいに気になって、ともかく、落ち着いた感じがしない。だけどぜんぜん手が出ない問題というわけではなくて、手がかりはあちこちにあるように思え、どこかうまくいってないところがあるけれども、ひょっとすると自分だったらそれを解決できるんじゃないか、これは一つ腰を据えて解明してからじゃないと先に進めない、と思っているうちに今がある、というのが実感です。

 しかしこの点を除けば、私自身は、宗教に関してごく平均的な日本人だと思います。特に何かの宗教に属しているわけでもありませんし、というより、自分がどの宗教に属しているかということをあまり考えたことがありません。生まれ育った実家に神棚はありましたが、仏壇はありませんでした。しかし法事はあって、お坊さんがお経を読むのを痺れた足を我慢しながら聞いていた記憶はありますので、自分が知らないだけで、どこかの檀家なのかもしれません。もしそうなら私は仏教に属していることになるのかな。しかし結婚式は神道でした。たぶん葬式は仏式になるのかなとぼんやりとイメージしていますが、それも、もし葬式をしてくれるなら、送ってくれる方々のご都合に合わせてもらってまったく問題ないと思っています。

 縁起でもなく冒頭から遺言みたいになってしまいましたが、気を取り直して、この本について少しだけ説明しておきます。書き始める時点で、私は、哲学の視点から見て宗教のどんなところが面白いのかを、なるべくわかりやすく、しかし手を抜かないでお話ししたいと思っています。タイトルにある「神さま」と「神」は、信仰の対象としての「神さま」と、哲学の中で問題になってきた「神」にそれぞれ対応しています。「神さま」という宗教的なものと比較対照させることによって、「神」という哲学的な問題の魅力を感じてもらう、また逆に、哲学的な「神」と対照させることで、信仰の対象としての「神さま」の位置づけについて理解を深めてもらう、ということを期待しています。

 第一章は、「神さま」と「神」の対比が比較的わかりやすいかたちで現れている議論から始めたいと思います。それは「悪の問題」と呼ばれるよく知られた議論ですが、西洋の「神さま」と日本など東洋の「神さま(仏さま?)」の違いにも関心をもってもらえると思います。

 第二章と第三章では、「神」をめぐる哲学の議論を紹介します。さまざまな神の存在論証を見ていくことで、そこで問題になっていることが何なのか、何が面白いのかということを、とくに信仰の対象である「神さま」との関係に目を向けて、西洋思想の迫力を感じてもらえればと思います。一つ種明かしをすると、第三章で出てくる「がある」存在というのが、本書を貫く裏テーマです。

 第四章は、少し目先を変えて、魂の話をしてみます。宗教と言えば魂でしょう。面白いことに、魂は西洋哲学の中でも、不動の人気を誇るテーマです。そしてそれは決して過去の話ではなく、この科学技術が咲き誇る現代においても、魂の問題はリアルな関心を引き起こし続けています。哲学の中で魂がどのように考えられてきたのか、そして、いま、どのように考えられているのか、ということを感じてもらえればと思います。

 第五章は、第四章に続いて魂の問題ですが、もう一歩踏み込んで、「私」の問題を取り上げてみました。かりにソクラテスが言うように、身体が滅んでも魂は滅ばないのだとしても、その魂が私でなければ、意味がありませんよね。でも私とは何か、自己とは何か、という問題は、例えば禅仏教などでも重要な問いとして扱われてきたように、一筋縄ではいかない問題です。本書では、第三章の「がある」存在と絡めながら、神とは何かという問いと、私とは何かという問いが奇妙に共鳴して、不思議な音色を奏でる様子も紹介しようと思います。

 第六章は、第三章から派生するある問題を扱います。それは、絶対的に無限な神が存在しているのに、なぜ、神でないものが存在しているのか、という素朴な疑問です。とくにキリスト教では、この世界は、神によって神の外に、無から創造されたと言います。しかし、神の外とはどこでしょうか。無限な神に外側などあるのでしょうか。この問題を、汎神論という別のシステムと比較しながら考えてみたいと思います。それを通して、「がある」存在がもつ一つの重要な性格がおぼろげに見えてきます。

 最後の第七章は、「神」の話から再び「神さま」に視線を向け直して、信仰の問題を取り扱います。昔から、信仰と理性の対立と言われて、哲学と宗教は対立するものだとされてきました。たしかにその側面はありますが、信仰について、哲学は以前とはやや異なる側面から考えるようになっています。「神さま」は宗教、「神」は哲学、と冷たく切り離しているように見えて、神さまを信じるということ自体は、哲学から見ても非常に気になる問題なのです。その現代的な展開について、少しお話ししたいと思います。

 私は本書を、私と同じように神さまや宗教のことが気になっている人に向けて書きました。とくに、何が気になっているのかよく分からなくてモヤモヤしている人が、自分が気になっていることに気付く最初の一冊となることを願ってです。だれもが自分の心を隅々まで分かっているわけではありませんからね。かつての私のように、自分が気になっているのが哲学だと気付いていない人はたくさんいると思います。西洋哲学の予備知識はいっさい必要ありません。そういうのが出てきても読み飛ばしてください。ただ自分のペースで読み進めながら、気になったところがあればじっくりと読み返し、あるいは本を閉じて考えを巡らせてみてください。この本が、そのような時間があなたの中に生まれるきっかけとなるならば、私は幸せです。



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