遠い地平、低い視点

【第30回】「世界は一つ」じゃなくてもいいよね

PR誌「ちくま」12月号より橋本治さんの連載を掲載します。

 ボブ・ディランにノーベル文学賞が与えられると決定して、世界のあちこちで「それはよかった」というのと「あれが文学か?」という声が上がって、肝腎のボブ・ディランはどうなのかというと、「受ける」とも「受けない」とも言わず、自分が受賞したことを知らないように無反応で、私は「あ、そんなもんなんだ」と思った。
 私はノーベル文学賞があったっていいとは思うんですよね。私とはまったく関係ない世界の話で、ノーベル文学賞受賞者の名前を聞くたびに、「世界的に有名な文学者って、まだいたの?」と思う。そういう「文学者」というのはもう絶滅しちゃったと思っているので。五十年以上前にソルジェニーツィンがノーベル文学賞を受賞した時、友達が(真面目な人だったので)彼の『イワン・デニーソヴィチの一日』を読んでいた。ヘンな固有名詞を覚えるのが好きだった私は、読みもしないそんな作品名を今でもまだ覚えているが、実際にそれを読んでいた彼は、「むずかしいんだ」と私に言って、私は「じゃ読まなきゃいいのに」と言った。そこで私のノーベル文学賞は終わったんですね。
 どうやらもらうらしいボブ・ディランは、詩人だからノーベル文学賞でもいいけど、でも「文学」を真剣に考える人は「あれが文学か」と言う。それで「文学とはなにか?」という小規模な論争が起こるのだけれども、「文学とはなにか?」という論争が起こってしまう段階で、「文学」はもう終わってるんだよね。
「文学とはこういうもの」という共通理解があればこそ、「文学」というものは存在している。「文学とはなにか?」という問いが出て来たら、その共通理解が存在しなくなっているのだから、「もう文学は終わっている」ということになる。終わってたって、「もう存在してはいけない」というわけではないから、小説を書く人は書いてる。それと同じで、ノーベル文学賞があったっていいけど、それが「世界的ななにか」であった時代はとうの昔に終わっちゃってると思う。
 それは、スウェーデンのどこかが出す賞で、世界にいくらでもある賞の中の「大きい方の賞」の一つだと考えた方がいいと思う。最早「世界文学の頂点に輝く賞」ではない――そう考えた方が揉め事にもならないだろう。
 今更言うつもりもないけれど、「世界は一つだ。だからその世界の中で頂点を設定する」という、今まで的には当たり前だった考え方を、もうやめてもいいんじゃないのかな。世界は「いろいろな基準」に満ちてもいるんだから。たとえば、二〇二〇年予定の東京オリンピックで、ボート競技の会場をどうするか問題で、都知事の側は「海の森水上競技場」なるものを作るのは金がかかりすぎると言い、ヨーロッパ等の競技連盟の方では「海の森が最適だ」と言っているのは、ヨーロッパではボート競技がメジャーなスポーツではあっても、日本じゃそうではないという、位置付けの違いが根本にあることだと思う。
 欧米じゃ、エリート大学の学生がボート競技をやっているから「メジャー競技」だが、日本では「大学生がやってるよね」的なもので、高い金をかけて立派な競技場を作れば「レガシーになる」とあちらは言うが、前提の違うこちらは、内心で「そんなものいる?」と思っている。高い金をかけて「この国にいるの?」と思うような競技場を作って、オリンピックが終わったら「負の遺産」という例はいくらでもあって、「そういうのはもうやめない?」になっちゃってるんだから、考えた方がいいですね。
「オリンピックは世界のスポーツ競技の頂点だ」という考え方はまだあるでしょうけれども、サッカーのワールドカップはオリンピックより「上」ですね。「人気の競技だからオリンピックに入れたい」と思って、なんでもかんでも入れてしまうから、余分な金がかかる。少しは「餅は餅屋」的な考え方をしたっていいんじゃないか。
 たとえば、ボート競技だったらテームズ川かセーヌ川をその「聖地」にして、世界に中継すればいいじゃないか――「世界的にメジャーなスポーツ」って言うんだったら。
 今ある大きな会場をそのまま使おうと考えると、「小さい。観客数を増やすんだから、大きいのを造れ」と言われてしまう。テレビで全世界に中継するんだから、そんなにでかい会場を要求しなくたっていいじゃないかと思う。わざわざ二週間ばかりの間に世界中から人間を招き寄せて、そのために道路やらなにやらを作って、そんなに人間ばっかり一つに集める必要があるんだろうか? 三代前の都知事は「東京には夢が必要だ」って言ったけれど、ホントにそんなものが必要だったんでしょうかね? 「金がある」と思ってりゃ、後先を考えずに無駄なことをしますかね。

この連載をまとめた『思いつきで世界は進む ――「遠い地平、低い視点」で考えた50のこと』(ちくま新書)を2019年2月7日に刊行致します。

関連書籍